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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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昔のこと

高校のときの友人は、5人姉妹だった。
女ばかり5人だという。
男の子ができるまでと思ったんだろうなぁと思っていたら、
そうだと友人は言った。

あるとき、友人が
「お母さんが手術をする。」
と言った。
どこか悪いのかと問うと、
もう子供ができない手術をする、と言う。
深くは訊かなかったが、
当時はピルという方法は皆無に等しく、
男性側のコンドームか、
女性側のリングとか、そういう方法しかなかったと思う。

「え?なんで?手術までする必要あるの?」
と他人の御家庭のことなのに踏み込んで訊いたと思う。
「知らない。」
と友人は答えた。

このとき私が思ったのは、
そんなに四六時中してるの?
時々だったら、お父さんがコンドームすればいいんじゃないの?
卵巣とか子宮とか、そんなデリケートなところをいじって大丈夫なの?
ホルモンとかそういうのは大丈夫なの?
あと何年かすれば、生理もなくなる歳だろうに、なんで?
本気で心配になっていた。
お父さん、ゴムするのめんどくさいとか、
気持ちよくないとか、そんな理由で奥さんに手術させるんじゃないの?
考えてるうちに、なんだかとても腹が立った。
自分にはリスクなく、高みの見物かよ。
そして言い放った。
「お父さんの方がすりゃいいんじゃん!」
友人は困った顔をしていたと思う。
以前、友人が言っていた。
女が6人もいるけど、父の言葉は絶対だ、と。
その言葉には従わなければならない、と。
友人の家は、たぶん、裕福で、稼ぎのあるお父さんは、
絶対の権力をもっていたのだろうと思う。

私の父も、高度なモラハラ男なので、
そのときは、まぁ、父親なんてそんなもんかな、程度だったのだが、
夫婦間のそういうデリケートな問題を、妻に丸投げというのが、納得できなかった。
睾丸を取ってしまえ!とまでは思わなかったが、なんだかもやもやした。

他人の御家庭のご夫婦のことで、
水面下での話し合いが持たれた結果、こういうことになったのかもしれないので、
それ以上は何も言わなかった。
友人も、その話題にはそれ以上触れて欲しくなかったようだった。
何か、思うところがあったのかもと思う。

ピルは、当時もあった。
あったけど、そうそう手に入るものじゃなかった。
今くらいにピルが手に入れば、
友人のお母さんもそんな手術をしなくても済んだろうと思う。

当時よく聴いていたアルバムを久しぶりに聴いていたら、ふと思い出したことだった。

そして、当時はなんとも思わなかったが、その中のある曲の歌詞を聴いていたら、
この「思い(歌詞)」を伝えられても、心の中で思われてても、かなり怖い・・・(;゜ロ゜)
と思った。



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4回目のワクチン

先月の終わり頃、4回目のワクチンをうってきました。
コーギー幸湖さんの幹細胞治療が一段落したので、
主人がそろそろうってきなさいと予約を入れてくれました。

今回はモデルナです。
ファイザー ファイザー ファイザーときて、モデルナ。
ここでも書きましたが、3回目接種の副反応はきつかった。
以前、原因不明の38.2℃の発熱が毎日続き、
それでも仕事に行っていたので、
38.2℃くらいの発熱なら容易に耐えられますが、
あのひどい頭痛と吐き気は勘弁して欲しい(T-T)
4回目もあれだったら、いやだな・・

結果、わりと早いうちから腕が痛くなったので、
明日はどうなるのだろうと、楽しみ・・
いや、警戒しておりました。

問診のとき、少し時間があったので、先生に
「副反応はどうでしたか?」
とにこやかに訊かれました。
「3回目ひどかったです。
治まるのに4日かかりました。」
と言ったら、
「3日かかったとは聞いたことがありますが、4日はないですね。」
と、驚かれました。

しかし。
期待の4回目の副反応。
次の日、起きたときも、腕が痛いだけ。
午前中も腕が痛いだけ。
ただ、お昼近くなると、熱が37.4℃まで上がり、
すごく怠くなりました。
椅子に座ったまま、ぐったり。
変性脊髄症だろうと言われ、
4つ足で立ち上がれなくなった幸湖さんを残してベッドに向かうわけにも行かず、
椅子にぐったりで過ごす。
その間、熱は37.2と37.4の間を行ったり来たりしていました。

再び、しかし。
夜、お風呂に入って出てきた途端、
全てが正常に戻ったぁ!
熱も下がり、怠いのも全て吹っ飛んでいき、副反応は終わりを告げました。

今回、一番軽かったよね。


1週間後、主人が4回目をうちました。
モデルナ×4です。
その日の夜から、なんだか怠そうでしたね。

以前は
「8時間以上寝ないと保たない!」
と豪語していた主人は、今では、休みの時間が勿体ない!と叫んで、
休みの日は、朝は私よりもずっと早く起きます。
その主人が、
「起きられない・・」
と言って、ずっと寝てました。
体温は、既に37.4℃。
主人は熱があまり出ない体質らしいのですが、
今回は38.4℃まで出て、
「こんなに熱が出たのは、生まれて初めてだー」
と、言ってました。

お昼、寝室に様子を見に行く。
私は休みの日は、動かないせいかあまりお腹が空きません。
ただ、見ると食べたくなるので、目が食べたいんだなぁと思ってます。
寝室を覗くと、目は開いてるらしい。
「お腹空かない?
おじやかなんか作るよ。」
というと、
「起きる。起きてご飯作るよ。」
と言って起き上がる主人。
『寝てていいよ。」
と言っても、
「起きる。」
と言って起きてくる。

我が家では、私はご飯の支度をしません。
私は食べ物に執着がないので、料理することがかなり苦痛です。
何か美味しい物食べたいなーと思っても、
その美味しい物が思いつかないのです。
ステーキ?お寿司?ケーキ?
考えているうちに、
「まぁ、いいや。」
と、なってしまい、結局は主人に無理矢理食べさせられます。

お昼ご飯の後、主人はずっと起きてましたが、
「風邪をひいたときのようだ。
えらくつらい。」
と言いながら、時々鼻をすすったり、咳をしたりして、
パソコンにむかってゲームをしてました。

しかし
お風呂から出てきた途端、
「回復した!」
と叫んでおりました。
「風邪っぽいのも、怠いのも治ったし、熱も下がった!」
お風呂に入ると、副反応、なくなるのかしら(^0^;)

主人は4回目が一番つらかったと申しております。
私は、4回目が一番楽でしたね。





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好かれないことも、嫌われることも慣れてるから

いつか、主人に言った言葉だ。
「好かれないことも、嫌われることも慣れてるから」

父は、自分がこの世で一番優れていると思っている。
間違うことはないと、思い込んでいる。
自分と違う意見や好みを持つ人間を、親の敵のように嫌う。
非難して、罵詈雑言を並べる。
かなり聞き苦しいし、見苦しい。
これが自分の親かと、自分が恐れて従ってきた人間かと思うと、情けなくて惨めだ。

だが、子供の頃は、自分もこうだったと気が付いた。
何一つ優れたものがないのに、
容姿も頭も、何一つ優れたものがないのに、
自分は特別だと思っていた。

誰にも好かれなくて当たり前だ。
嫌われて、当たり前だ。

あのとき、自然に口から出た。
「好かれないことも、嫌われることも慣れてるから」
慣れてなどいないけど、そういう思いには慣れている。
心の底では自分が悪いのに、そうわかっているのに、見えないフリをしてた。
感じないフリをした。

それでも、少しずつでも、自分には何一つ優れたものなどないと、
特別な存在ではないということに目を向けてきた。
上には上がいて、決して頂点などに立てないのだと。
だから、少しずつ何かをできるように歩いてきた。
そのつもりだった。

だが。
『お前の人生は何の価値もなかった』
と思い知らされた。
あがいてみても、何も進みはしないと、思い知らされた。


ただ
昨日、インスタにあげた私のイラストに、いいねをしてくださった方がいて、嬉しかった。
それだけで、救われた気がした。

いいのかな、と思った。
少しは、前に進めているのかな。


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価値の無い人生

9月に、ある知らせがきて、その内容を読んだとき、
『お前の今までの人生は何の価値も無い』
と言われた気がして、ずっと立ち直れなかった。
今も、引きずっている。

確かに、がむしゃらに生きてきたわけではないかもしれない。
一生懸命生きてきたわけでもないかもしれない。
それでも、順風満帆な人生では無かったし、自分なりに頑張ってはきたと思う。

だが、
『お前の人生は何の意味も無かった。』
と。


子供の頃、母によく怒られた。
「教室の中で、一人だけ、手を挙げない。」
と。
「沢山の子達の中に入ると、この人、後ろに下がるのよ。」
とか、不満げに親戚に言いまくる。
神経質だとか、引っ込み思案だとか、さんざん人前でこき下ろされたが、
結局は、母が、そうなるように私を育てたということを、つい最近知った。
いつも怒られて、常に両親の顔色をうかがっているような子供が、
自信たっぷりに人前で話したり、どんどん前に出ていけるようになれるかよ、って。
母は、積極的で、人を押しのけてまで前へ進んでいく子にしたかったんだろうが、
全部逆効果だったわけだ。
今になって、いや、今までずっと、生き辛かった。

もっと友達と遊びたかった。
なのに、塾や書道教室に通わされ。
もっとお洒落したかった。
普通の中学生や高校生のように、生きていきたかった。

父に対する考えが変わったとき、足下を掬われるようだった。
あんな人間を恐れ、従い、そして我慢を強いられてきた自分が、とても惨めに思えた。

もっと好きに生きればよかった。

さんざんこき下ろされて、我慢して生きてきた結果が、
無価値な人生だったわけだ。


イラストを描くのが好きで、
それで作った作品を通販サイトで販売しているが、ほとんど売れることはない。
Twitterにあげるのがいいとあっても、
フォローしてくださってる方に、私の作品を買ってください、と、
どしどし流すのも、おこがましい気がして、利用していない。
インスタに投稿してみても、見に来る人はいない。
いくつかの通販サイトを利用しているので、まとめのブログを作ってみたが、
だいたいそれを見に来る人がいない。

何をやっても、だめなんだなぁ・・

だから、お前の今までの人生は何の価値も無い、と

ずっと一人で考えていたことを、昨日主人に話した。
無価値だと言われた気がしたこと。
作品を作って販売しても売れないこと。
色々試してみても、だめなこと。

主人は、
「何のためにイラストを描いたり、作品を作ったりしてるのか。」
と言う。
「誰かに認めてもらいたいのか。誰かに認めてもらうためにしているわけじゃないでしょう?」
と。

イラストも作品も、好きで描いたり作ったりしてるよ。
描きたいから描いてるし、作りたいから作ってる。
描いてるのが、楽しい、というか、思い通りに描けないと、すごく苦しいけど、
完成したときがすごく嬉しいんだよ。
作品も同じ。
みんなに評価されたいわけじゃない。
みんなに認めて欲しいわけじゃ無い。

でも。
唯一、私が作り出せるものは、もうこれしかなくて、
将来、今の職業が続けられなくなったとき、
もうこれを売って生きていくしかないんだよ。
だから、それを認めてもらわないといけないんだよ。

でも、こんな風に、誰も見に来てもくれないんじゃ、
一生懸命になったって、無駄だよね。
何もかも、今までの人生もこれからの人生も、無意味で無価値で無駄。

主人は、返答に困っていた。
答えなくてもいいんだよ。
答えを聞きたいわけじゃない。

ずっと変わらないよ。
何もかも。
何もいいことはない。
これからも。











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免許更新

昨日、免許の更新に行った。
今年に入ってから、ずーーーっっと憂鬱だった。
もう何年も運転していない。
何年か前に、えっらく久しぶりにモコに試乗させてもらった。
運転の仕方、感覚は覚えていたが、
ハンドルの送り方の感覚が掴めない(^_^;
そして、走る位置が、昔は左寄りだったのが、中央寄りに変わっていて、
昔は左側に座ってた同乗者に、「こわ!」言われていた。
そして、路上駐車があると、えらく怖かったのが、
試乗のときは、すいすい避けることができた。
なんだろうね、これ。

免許の更新がなぜ憂鬱かと言うと、
視力検査。
小学校6年位から悪くなりだした。
昔は、6人の班で席が決まっていて、
目が悪くなって、まだ眼鏡を作っていなかったときに、
「お前のせいで後ろの席にいけないじゃねーかっ!!!!」
と、罵倒された。
あの時代の男子って優しくないよな。
他人を蹴落として上に行けって時代だったからな。
そして今、何故班で行動させるのかが、よくわからん。
人間って、絶対、苦手とか、合わない人っているんだよ。
なのに、誰とでも仲良くしろなんて、おかしな話だ。

裸眼では一番上も見えません。
眼科へも行きたくない。
ただ、
遠くは見えないけど、近くはちゃんと見える。
主人は、近眼ではなく乱視のみだが、
もう老眼で、小さい字は、20センチ以上離さないと見えないらしい。
私はえらい近眼だが、5センチ位の距離でも小さい字は見える。


今年は免許の更新だと思うと、気分が暗くなっていて、
ここのところ、すこぶる視力が悪くなっているので、
『更新』と思い出すと、
「視力検査で引っかかるかもしれない。」
と真っ暗闇。
車の運転ができなくても、私の場合支障はないのだが、
やはり何かあったらと思うと、免許が無くなるのはヤバイ。
主人は、
「命とられるわけじゃないから、大丈夫だよ。」
と、言ってはくれるが、気分はあがらず。

「調べたら3時頃が空いてるって。」
と主人が仰るので、じゃあ、2時位に家を出ようとなっていたが、
あまりにも朝から私が暗いので、1時頃、とうとう
「もう出ようか。」
と主人に言われる。
「はい。」
支度をして、無言で主人運転の車に揺られ。
警察署についてからも、いつもは車の中から
「いってらっしゃい。」
と手を振る主人が、昨日は入口まで一緒に来てくれて、
「雨降ってたら、連絡してくれれば傘持ってここまで迎えに来るからね。」
とまで言ってくれる。
「はあ。お手数おかけします。」
と、頭を下げる。

前回来たとき、2つの暗証番号を打ち出す機械の前に、
案内係の年配の男性の警官?がいらっしゃって、
その機械の前で、何をするのかわからなくて、
(このときも視力検査に恐れをなしていて、テンパった状態)
舌打ちされた経験あり。
思い起こせば、ほとんど説明されなかったと思われる。
今回は、優しげなお姉さんが、案内してくださったので、
前回ほどはテンパっていなかったが、ちゃんとできました。

確かに、私が行ったときは、空いてましたね。
ビデオを観るときも、半分位座れる椅子が空いてました。
でも、新しい免許証をいただいて外に出たら、結構待ってたよ。
3時だったら、混んでたかも。

視力検査は、パスしましたが、次回はどうだろう。
たぶん5年後。




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