忍者ブログ

昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

都会

時々、都会に帰りたいと思うときがある。
光の溢れた夜景を写した写真や、ビルが建ち並ぶパノラマ写真。
そういうものを見ると、ふと、帰りたいと思う。

都会が、あの高い建物がごてごてと建っているのが、
鬱陶しいとか、息苦しいとか、空が狭くて、とか、
思ったことは一度もない。
それが当たり前だったから。
夜は、ネオンが沢山が、当たり前だったから。

今は、どれもない。
高い建物も、眩しいネオンも、ない。

あそこに、帰りたいと、思うときがある。

拍手[0回]

PR

小説『幸湖日記』この頃、遅れっぱなしの言い訳

おこがましくも『小説家になろう』というサイトに
『幸湖日記』という自作の小説をおかせていただいてます。
毎週月曜に続きを載せていたのですが、
この頃、かなり遅れ気味になってます。
楽しみにされてる方は、数少ない(いない?(T-T))と思いますが、
急に色々考えが浮かんできたので、ここに書いちゃおうと。
なにせ、ここは、私の頭の中の八つ当たりの場なので。

『幸湖日記』の終わりは、もう決まっていて、
そこを目指して書いて行くのですが、
なにせ、それまでの筋ができていないので、
(大まかには決まっている)
思いつきで書いたり、書き足したりしてます。

代表の主人公は、一応、コーギー幸湖さんです。
飼い主の二人もそれぞれ独白の場面が多いので、
この二人も主人公です。
この3主人公の思いや行動で話が進んでいきます。
と、いっても、3主人公のうちの一人はまだ完全に出場してません。
書き始めてから、もう1年以上経つのですが(゜o゜;)

この頃、月曜に間に合わないのは、
番外編を思いついてしまって、
そちらに力が入ってしまい、
本編がおろそかになってしまっているからです(^0^;)
この番外編は、『幸湖日記』本編で、
わざと隠している部分を表に出してしまうので、
本編が全部終わってからか、
もう隠す必要がなくなってからでないと、
表に出すことができません。

隠してる部分も、設定が難しくなっちゃって、
『ブクログ』さんに載せている書きかけの小説と同じように設定が難しくて、
幸湖日記でまとまれば、書きかけの方も設定がちゃんとするんだけどな。
幸湖日記では、まだその設定をさらしてないので、
まだ続きは書けるけれども。

そして、もう一つ遅れている理由は『艦これ』。
DMMゲームズさんの『艦隊これくしょん』。
今、秋イベなの・・・
今回は、運営さんがかなり手加減してくださったようで、
2個目の甲勲章をいただくことができましたーヘ(>ロ<)ノ ワーイ
が、来て欲しい正規空母『イントレピッド』さんの2隻目が来てくれない。
(T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T)
昨日まで、挑戦してましたが、来てくれそうもないので諦めました。

うちの母港に来てくれない艦娘を『来ない女』と名付けていて、
(実際は一人いるので、来なくはないのですが)
イントレさんは、『来ない女四号』と認定されました。
ちなみに、一号はタシュケント。
一人目がほんとに、全然来なかったもんね。
実装されたイベントでも、二回目のサルベージ艦のときも、
ひたすら来なかったもんね。
今は、二人囲っておりますが。
二人目は、フレッチャー。
これもタシュケントと同様です。
今回のイベントで、二人来て、三人囲うことになりました。
三人目は、ネルソン。
報酬艦が一人いるけど、結局サルベージは失敗。
イントレさんも同じ。

あー こう書くと、全部海外艦じゃんか(`Δ´)

プリンちゃんもUちゃんもグラーフもアイオワもイタリアもローマも、
サルベージしたら(苦労したけど)来てくれたのにな・・

主人は、考えなくてもちゃんとその子が来てくれる・・・

真面目に小説書けと、イラストを描けということだと思うことにする・・(T-T)





拍手[0回]

東急ハンズ 池袋店

10月31日に、東急ハンズ 池袋店が閉店した。

そう聞いただけで、寂しくなった。

二人で行くときは、
何を買うでもなく、上の階から見て歩いた。

一人で行くときは、午前中に行って、
買い物をして帰ってきた。

池袋から離れてしまったので、行くことはなくなった。
お店自体に行くことも少なくなった。
今はインターネットで買う。

あの頃、一緒に歩いた人も、今は遠く離れ、
どうしているかも知らない。

ただ、懐かしく思う。
そう思うだけ。



拍手[0回]

親友

小学生の時、仲のいい友達がいた。
彼女の家に、よく遊びに行ったし、彼女も遊びに来たりしていた。
だが、親しくなるにつれて、だんだん彼女が我が儘になり、
一緒にいて、苦痛を感じるようになった。
なんだか、楽しくないのだ。

その頃、別の子と遊ぶようにもなっていたので、
彼女から少しずつ遠ざかるようになった。
特に、彼女の誘いを断ったり、
意地悪をした覚えはない。
だが、前ほど一緒にはいなくなった。

そのときのことを、後で、彼女のお母さんから聞かされたのだが、
「親友はいらない。裏切られるから。」
と、彼女が言っていたそうだ。

彼女の我が儘についていけなくなったから遠ざかったのに、
裏切ったと言われるとは。
子供心に、心外だった。


私は、親に与えられるはずのものが与えられなかったので、
それを、外に求めていた。
無意識のうちに、友達に求めていたと思う。

今から考えると、
彼女が求めていたものも、同じものだったんだろうと思う。
両方がお互いに相手に求めていて、
私が先にネをあげた、ということだろう。


新しくできた友達は、何かと面倒見のいい子だった。
私は彼女が大好きだったのだが、
クラスがかわった途端、疎遠になった。
呼び方も、いつの間にか他人行儀な呼び方にかわっていた。

それでも、裏切られたとまでは思わなかった。
しょうがない、とあきらめた。

彼女とは、中学も同じだったが、
クラスが違ったせいか、学校内でもあまり会うことはなかった。
3年になって、幸か不幸か同じクラスになった。
彼女は、制服のスカートを長くして、鞄はぺしゃんこだった。
パーマも軽くかけていたかもしれない。
どれも『校則違反』というやつだ。

このとき見せてもらって初めて知ったのだが、
鞄の脇を針金でがっちりとめると、膨らまなくていいそうだ。

彼女が中学に入ってから、ずっとそうだったのは知っていた。
時々、そんな話を耳にしていた。
「ああ、そうなんだ。」
と、思った。
「どうして?」
とは思わなかった。

教室で、彼女と目が合うと、以前の様に笑ってくれた。
ああ、変わってないんだと思った。
私も、あの頃のようにべったりではなく、友達として彼女に接した。

母親が、またいつものように、頼んだわけでもないのに、
勝手に塾を決めてきた。
うんざりだった。
しぶしぶ行くと、そこに彼女がいた。
自分から行くと言い出すわけがないので、
彼女も親に言われて来たんだろうと思った。
親に言われて塾に来るくらいだから、
見かけより、噂されているより、グレてはいないのだろうと思った。
ただ、少し、決まった道から外れていたいのだろうと。

帰り、彼女が
「一緒に帰ろう。」
と、言った。
自転車で来てるから、と。
彼女の家と私の家は、とても近かった。
仲の良かった頃は、一緒に毎朝学校まで通っていた。
自転車にも、よく乗せてもらった。
久しぶりに彼女の後ろに乗った。
なんだか、嬉しかった。
それからずっと、塾の帰りは彼女と一緒だった。
途中で、今川焼きを買って食べたりしていた。
今川焼きを見ると、今でもその頃のことを思い出す。

だからといって、学校でも急速に親しくなったわけではない。
いつもと同じだった。
それが、お互いにちょうどいい距離だったと思う。

中学でできた友人達は、彼女と私が昔親しかったことを知らなかった。
『素行不良』とレッテルを貼られた彼女を嫌っている友達もいた。
かといって、私は学校内で彼女を避けたりはしなかった。
彼女が私を避けていなかったから、私も彼女を避けなかった。

中学を卒業して、そのまま彼女との縁は切れた。
でも、何年か前に、共通の友人から、彼女が結婚したことを聞いた。
それだけでよかった。


あの頃は、クラスがかわったせいで、彼女と距離が離れたと思っていたが、
今考えると、私は彼女に甘えすぎたんだと思う。
前の友達が私にしていたのと同じことを、私も彼女にしていたのだと気がついた。
いくら面倒見が良くて、しっかりしていても、
小学生が自分以外の誰かの心を支えるのは、荷が重すぎだろう。
クラスがかわらなくても、同じ結果になっていたと思う。


いつからか、
『親友』と誰かを呼べなくなった。
自分がその人を好きで、大切に思っていても、
相手もそうだとは限らないということを悟ったからだ。

それからも、友達は沢山できた。
これくらい親しければ『親友』と呼べるのでは、と思ったとしても、
相手は、『ただの友達』としか思ってない、かもしれない。
いや、実際に面と向かって言われたこともあった。

好きで、大切だから、ただそれだけでは、
『親友』ではないのだ。
その人が困ったときに、手助けができる。
それが『親友』なのだろう。

だから、面と向かって、あなたは親友じゃない、と言われた。
それを知って、益々、私が誰かを『親友』と呼ぶことがおこがましくなった。

今の私は、自分を護ることで精一杯で、
主人と幸湖さんを護ることで精一杯で、
他の誰かを手助けすることはできない。

例え、それでもいいと、それでも『親友』だよ、と言ってもらったとしても、
その響に酔って、嬉しくて、甘えて、失ってしまうのが怖い。

たぶん、あの頃より、まともにはなっているとは思うのだが。

拍手[0回]

今頃になって

昨日、父親と喧嘩した。

7月に母が乳癌になって、手術をした。
前からなのだが、少し母には痴呆が入って来ていて、
普通に受け答えができ、身の回りのことはちゃんとできる。
だが、食事を作ったり、掃除をしたりが、できなくなってしまったようだ。
これは、痴呆が云々というより、
体が弱ってしまったため、
素早く動いて、料理をしたりすることができなくなってしまったから、
というのもあると思う。

それでも、
3~4日前、母が一人で急に来た。
「お父さんがいるとうるさいから、
いないうちに出てきた。」
と。
母の実家から送ってきたという『わさびの花漬け』を
「一つあげようと思って。」
と持ってきてくれたのはいいのだが、
案の定、賞味期限が半年も切れている。
それでも、ありがとうと受け取った。
「切れてても食べられるよ」、
というより、
「送ってきたばかりだから、期限が切れているわけがない。」
これだろうと思う。
母にしてみると、送ってきたのは「つい最近」という認識なのだろう。
たぶん、本当に送ってきたのは、もう1年近く前だと想像する。

うちの玄関は、少し上がり口が高い。
母は、それが上れないのだ。
お尻を押して上らせ、スリッパを履かす。
お茶を淹れて、少し話をする。
「具合はどうか。」と訊くと、「私は元気だよ。」という。
「胸、片方なくなっちゃって、悲しくない?」
なんて、少し意地悪な質問をする。
「全然なくなったわけじゃないよ、少し残ってる。」
上着をめくって見せてくれる。
コルセットのようなブラのなくなったはずの胸のあたりが、
少し膨らんでいた。
「脇の方だけとったね。」
お茶を飲み干すと、
「お父さんが帰ってるとうるさいから、
もう帰るよ。」
と、15分いたかどうかで、もう腰を上げて、
玄関に向かって行った。

うちの、コーギー幸湖さんは、『変性性脊椎症』と診断されていて、
発症してから、もう1年と4ヶ月経っている。
それを母には伝えてあった。
それも気になって、様子を見に来たらしい。

変性性脊椎症は、だいたい1年位で、死に至るそうだ。
だが、幸湖さんは、既に四つ足で立つことはできないが、
前足だけで匍匐前進をして、とても速く進める。
が、後ろ足で立てないので、
トイレは、後ろ足をそろえて
下半身は寝っ転がっている状態でするので、
お尻を拭いてやらないといけないから、
と、両親には伝えてあった。


昨日、父から電話があった。
「お母さん、俺が帰ってきたらいなくなってて、
心配したよ。」
そこまではよかった。
「あいつは、駄目だ。」
何が駄目なんだ?
あんたがうるさいから、モラハラだから、
お母さんは黙ってあんたのいないときに、出てきたんじゃないのか。
なんでそうなのかを、何故考えないのかがわからない。
自分が悪いという考えは、何一つ浮かばないところが、
あんたの異常なところだ。

「あんただって、悪いよ。
具合はどうだとか、電話くらいするのが本当だろう。
あんたの親だよ。」
始まった。
自分はどうなんだと言いたい。
こちらは、主人が忙しくて、メンタルやられてるから、
ということも伝えてあり、
つい最近、嬉しくもない私の誕生日もあったのだが、
大丈夫かでも、おめでとうの電話もよこさないくせに、
自分のところには、電話をよこせ、と。

前に、あんまり「ずっと悩んでて、俺は疲れた」と、
同じことを何度も繰り返しぐずぐず言うものだから、
「私にだって悩みはあるんだよ。」
と言ったら、
「お前の悩みなんてたいしたことない!」
と、平然と言われた。
俺の悩みは、お前のと違って重大だから、
俺の手助けをしろ、俺の悩みをなんとかしろ、と?
やなこった。
そんなことを平然と言う人間とは、
お付き合いしたくないです。
悩みを解決するためのことは、何もしないで、
ぐずぐず文句を言うだけ。
定年してから、どんだけ経つと思ってるんだろ。
毎日毎日、何してきたんだろう?

「お父さん、すぐ文句言うから電話したくないんだ。」
いつもは流して終わりだが、昨日はそう言ってやった。
「だったら、ここにあるお前の物を捨ててやる!」
って、言うぞ。
と思ったら、案の定、言い出したので、
「はいはい!さようなら!」
と言って、電話をきった。
捨てればいいさ。
そんなもので、あんたに縛られて生きていたくないよ。


自分の思い通りにならないと、
怒鳴ったり、物を壊したり、
挙げ句の果てには、平手で顔を思い切り殴ったりする。
そういう親に育てられて、
私は、すごく生き辛かった。
自分の好きな物を好きだって言えないのって、
おかしいでしょ。

もう、あんたのことは知らん。

母も、私を自分の一部としてしか考えてくれなかった。
自分ができなかったことを、私に押しつけた。
私はあんたじゃない。


「キビシク育てられたのね」、と主人の母は言ったが、
厳しく?
あんなの、躾じゃないよ。
私を一人の人間として見てないんだから。
父親は道具、母親は自分の一部

今頃になって、毒親に育てられたんだと理解した。
そして、自分は、アダルトチルドレンだと。

インナーチャイルドを癒やせ、と、
カウンセリングの本には書いてあるが、
「大丈夫だよ。」
なんて、今の自分が言ってあげることはできない。
「お前だって、汚いんだ。」
と、思ってる。
聖人君子な顔をして、私は傷ついているなんて、
どの面さげて言えるんだと思ってる。
お前だって、誰かを傷つけて生きてきたんだ。
自分が恵まれないから、恵まれた他人を羨み、
自分に何もないから、持ってる他人を憎み、
自分ができないから、できる他人を恨む。

上を見ればキリがなく、下を見ればキリがない。


ただ、一つだけ、幸福なことがある。
主人に巡り会えたこと。
こんな私を拾ってくれた主人には、
とてもとても感謝している。
主人と幸湖さんがいれば、まだ生きていける。
例え、幸湖さんが虹の橋の麓へ逝ってしまったとしても、
まだ、主人がいてくれる。

それだけが、救い。









拍手[0回]