当時、父は地下鉄丸ノ内線で職場に通っていた。
いつも「いってきます。」も言わずに出掛けてしまうので、
母も私もドアの閉まる音で父が出掛けたことを知るようなものだった。
それは私が家を出た後も変わることはなかったらしい。
あの日、父はいつもより早めに家を出たそうだ。
1本早い丸ノ内線に乗り、何事もなく職場へ着いた。
そして、いつも乗る電車が、サリンを撒かれた電車だと知る。
父は真っ先に母に電話をしたそうだ。
「俺は大丈夫だから!」
母は父が出掛けてしまうとテレビを消してしまうので、
そんな重大な事件が起こっていようとは思いもしなかったという。
そして、父の乗る時間の電車など知るはずもない。
母は父の声に答えたそうだ。
「なにが?」
「なにがって。テレビつけてみろ!いいから!」
テレビをつけてやっと母は何が起こったかを知る。
「俺は大丈夫だから!」
改めて父が言う。
電話をきってすぐに母は私に電話をする。
「お父さんは大丈夫だよ!」
そして、母と同じくテレビをつけていなかった私。
おまけに、母の電話で起きたばかりだった。
「・・・何が?お父さん、なんかあったの?」
「やだもう。テレビつけてごらん。いいから!」
何が何だかわからずテレビをつける。
上空から録った画像が流れていた。
なにこれ?外国でなんか起こった?
沢山の消防車、救急車。
赤と白のコントラスト。
青いシートの上、道路に寝かされる人々。
あ、これ、日本?
それも東京だ!
やっと母が
「お父さんは大丈夫。」
と言ったわけがわかった。
「お母さんも『何が?』って言っちゃったのよ。
そしたら、お父さん怒ってんの。」
そ、そりゃあ 怒るよね。
心配しているだろうと思ってやっと電話したのに、「なにが?」って言われたら。
その日、父はいつも通りに帰宅したそうです。
「びっくりしたよー まさかあんなことになるとは。」
帰ってくるなりの父の言葉だったそうです。
それでも、父は特に何かを感じて、いつもより早く家を出たのではないそうです。
「いつもより早く用意ができたから。」
だそうです。