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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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planetarian 〜雪圏球〜

『planetarian~雪圏球(スノーグローブ)~』を主人と観た。
『planetarian』はどれも反則でしょう。
主人も私も、観ると泣いてしまう。
主人は、「(こんな泣かせるアニメは)造り方が汚い、ずるい。」と言いながら泣いている。
『planetarian』の舞台は、静岡の浜松の市街で、
主人には子供の頃から馴染みの地だ。
私は数回行っただけだが、すごく懐かしい感じがする。
なので、主人にしたら、更に感慨深いのではないかと思う。
その証拠に、見終わった後、彼の地が舞台のアニメを続けて観ていた。
この間は、「俺はどこへ行っても平気。」みたいなことを言ってたじゃん、
などと無粋なことは言わないことにしよう。

『それ』があるときは、当然のこととして過ごしていて、
なくなったときに、『それ』の存在が大きかったことに気付く。
他のことばかり気に掛けて、『今』が幸せなことに気が付かない。
なくなって初めて、そのときが幸せだったのだと気付く。

浜松は、私には、勿論主人にも、なんの関わりもない場所になってしまったので、
余計なんだろうと思う。

自分で納得して手放したものならば、何の未練も感慨もないが、
そうではない。


私はその地を離れてもうずいぶんになるが、
父がそれを手放したと聞いたとき、
もう、あの騒々しい所には一生住めないんだと思った。
Twitterにあげられたビルの夜景を見たとき、
都会の風景を見たとき、
帰りたいと心のどこかで思っていた。
もう二度と帰ることはできなくなったのだと、思い知らされた。

ここは、好きだ。
蜩の鳴き声も、ウグイスの鳴き声も、聞こえる。
だけど、長年見てきたネオンを、星の代わりに見て暮らしたいと思うこともある。
そう願う事は、最高の我が儘だろう。
そして、叶わなくていい。
今はここにいられて、主人と幸湖さんと一緒にいられることが幸せだと思うから。
それを忘れてはいけない。
だから、叶わなくていい。


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『言の葉の庭』を観て思い出したこと-その2

全然、映画とは関係ないところにいってしまってます(^◇^;)
それでも、多少のネタバレありです。


前回は自分の虐められたことを書きました。
それの付け足しを少し。

洋服が汚れてたり、怪我してたりしてて、
親が気がつかなかったはずがない、と思われるかもしれませんが、
気がつかなかったでしょうね。
両親共々、新しい職場に慣れるのに、または新しい場所に慣れるのに必死でしたでしょうし、
うちには洗濯機がなかったので、自分の着る物は自分で洗ってました。
別にやれと言われたわけではなく、ただ洗濯だけは好きでしたので、
自主的にやってました。

それに、当時は鉄棒が流行っていて、
鉄棒にカーディガンを巻いて、ぐるぐるまわるようなことをしてましたから、
服が汚れてようが、破れてようが、
「また鉄棒か。やれやれ。」
と母は思っていたと思います。

怪我していても、
新宿では転んだり、指挟んだり、子供がしそうな怪我は思い切りしてましたから、
「子供はそういうもの。」
と思っていたと思います。

気がついたとしても、なんとかしてあげようとは思わなかったんじゃないかな。
「自分の事は自分でなんとかしなさい。」
そう思っていたと思います。
子供にはどうにもできないこともあるんですがね。


主人も、小中学校と虐められていたそうです。
主人の場合は、クラスの人間全てからの『無視』ですかね。
主人は、『スイッチが入ると突っ走るタイプ』です。
当時は、融通がきかない、空気が読めない、が強固に加わっていたと思いますよ。
今もこちらが意見を通すのが大変なときがありますし。
主人のことをこんな風に書くのは気が引けるなぁ(^◇^;)

よせばいいのに、『風紀委員』なぞをやっていたそうです。
使命感に燃えてたんでしょうねぇ。
スイッチが入って突っ走って、融通きかなくて、先生にさえ突っかかっていく(^◇^;)
こんな風紀委員が自分のクラスにいたら、私もつらいわぁ。
クラス全員に無視されるでしょうね。
暴力をふるわれなかったのは、勉強ができたから、らしいですよ。
ただそれも気に食わなくて、無視された、と。
そうだったと覚えてるって事は、辛かったという記憶があるんでしょうね。

籍入れてすぐだったかしら。
主人の中学校の卒業アルバムを主人の母に見せていただいたのですが、
クラスの一人に一つ何かコメントを書く、みたいなコーナーがあって、
そのときは、無視されていたなんて知らなかったので、
こんな事書いてもらってるよ、なんて思いながら読んでいました。
ずっと後になって、クラス全員から無視されてたと聞かされたとき、
あのコメントを思い出しました。
わざとらしくて、反吐がでる。
書けって言われた方もさぞ困ったでしょうね。
同情しますよ。
「なんで私が。」
と思ったんじゃないですかね。
いいじゃないですか、
「キビシクしてくれてありがとう!」
ってイヤミたっぷりに書けば。
それを

あれを見たとき、主人はどう思ったでしょうね。
・・・見なかったか。


大人は、傷つかないんだと、子供の頃は思ってましたね。
特に先生は。
5、6年生のときは、若い女性の先生が担任でしたが、
余分に予習していって、
「馬鹿みたい。」
と言われたのをまだ覚えていて、先生に対しての印象は良くないです。

中学では、隣のクラスの先生が、集まっていた生徒に向かって、
「みんな視力、悪いんだろ?そんな眼、つぶしちゃえ。」
と平気で言ってましたしね。

大学の時は、
「女は汚いから。」
と平気で言う教授がいましたし。

先生に対する印象は、どれも最悪で
先生という職業についた人は傷つける側なんだと、思ってましたね。
多少気に入らないことがあっても、生徒を傷つけることで、うさを晴らしているのだと。
今では、大人でも、先生でも、人は傷つくのだとわかっております。

小学校の3,4年生の時の担任の先生は、
保護者になんだかんだ言われて、その子供達になめられて、
注意しても言うことをきかなくて、
いつもため息ばかりついていて、かなりきつかったと思います。
私達の担任をはずれ、低学年の担任になって、その後、
『言の葉の庭』の先生のように、故郷へ帰ってしまわれました。

いつも『故郷に帰る』というストーリーを観て思うのですが、
故郷に帰れば、同じ職業の「先生」として上手くやっていけるんですか?
私は、東京生まれ東京育ちで、更に親が転々としていたので、帰る故郷はありません。
なので、そういうところが全然わからないんです。
故郷の、この場合、東京以外の場所の『生徒』は、底意地悪くないんですかね?
みんな純粋で、素直なんですか?
東京の子供達は、底意地が悪いんですかね?
東京の親たちだけが、先生に対して厳しいんですかね?

それとも、自分が生まれ育った場所だから、
アウェイではなく、ホームだから、
親ももしかしたら兄妹もいて、更に友達もいるから、
上手くやっていけるということなんでしょうか。


はぁ・・・
雨ばかりで、洗濯物が外に干せなくていらいらしちゃうよ。
今日、コーギー幸湖さんの散歩に行ったら、嫌な事あったし。
おかげで、記事が辛口になっちゃったよ。




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『言の葉の庭』を観て思い出したこと

まず、
まだ観てなくて、これから観ようと思っていらっしゃる方は読まない方がいいです。
ネタバレ部分が多少あります。



『言の葉の庭』は、新海誠監督のアニメ映画で、
新宿(主に新宿御苑)が舞台です。

懐かしいですねぇ。
子供の頃、新宿に何年か住んでました。
あの巨大繁華街には歩いて行けましたが、少し遠かったですね。
行きたくもありませんでしたが、
無理矢理習わされた習字の教室が、繁華街の近くにあり、
毎週土曜日の午後、歩いて行ってました。
何年も通ったわりには、字は下手ですよ。
何か意味があったんですかね?
母は行きたくもないのに、
塾とか楽しくもない習い事を勝手に決めてくるんですよ。
いやいやなので、どれも身になった気はしませんが。
あの頃は、毎日思い切り遊びたかったですね。
そんな子供の些細な願いを、なんで許してもらえなかったんだろうな。


まぁ、それは置いておいて
『いじめ』の話を。


父は何回か仕事をかえました。
仕事をかえる度に住む所もかわりましたので、
小学校3年生の時に、新宿から離れました。
新しい所には、某企業の大きな社宅があり、
そこから通っている子供が多かったです。
私の入ったクラスは、癖のある男の子が多く、
その子達はほとんどがその社宅の子供だったのですが。

いじめられましたねー
そのクラスの男子はなぜか女の子を常にいじめるんです。
上履きや筆箱やノートを隠されるのは日常茶飯事。
後ろに座っている子が、
椅子の腰掛けるところに足を乗せてきてそのまま蹴られたり、
上履きを履いているので泥だらけとまではいきませんが、服はそれなりに汚れます。
5段ぐらいの階段の上に立っていたら、
突き飛ばされて落ちて膝に怪我をしました。
この傷は未だに痕になってます。
あるときは、前に座っている子が、テストの用紙を後ろにまわすのに、
思い切り後ろに振り回し、
目の間に当たり、怪我をしたこともあります。
「いたっ!」
思わず言ったら、振り返って
「当たった?あはは!」
だって。「ごめん」もなし。
目に当たったらどうするつもりだったんだ?

こんな奴らも、今頃親になってるんだろうな・・・

新宿では、こんなことはありませんでした。
学校でも、近所でも、年齢も性別も関係なく、
子供達だけで少し遠い神社へ銀杏を取りに行ったり、
道で広がって遊んだりしてました。
そういう所だったので、あの頃は思いっきり遊びたかったですよ。
塾も習字も行きたくありませんでしたね。


引っ越した場所は、新宿とは全然違いました。
上級生は下級生で目立つ子がいると、
「生意気だ。」
と呼び出す始末。
小学生が、です。
同級生でさえ、今で言う、カースト制度がありましたよ。

そして、そんな『手のつけられないクラス』の担任は、若い男の先生でした。
やはりなめられてましたよ。
これは、母に聞いた話なのですが、
社宅のお母様達が、
「あんな若い先生は頼りなくて。」
と、さんざん言っていたらしい。
保護者会でも、先生がいじめられていたようです。
それをそのまま子供達の前でも言ってたんでしょうね。
子供達が先生をなめきるのは当たり前ですよ。
先生はいつもため息をついてました。

あるとき、突然他のクラスの女子からもいじめられるようになったんですよ。
私は、その子達のことは全然知りませんでした。
学校の中で会うと、こそこそ何か言われて笑われる。
「ブスがきた!やだやだ!」
「あー 豚に会っちゃった!今日は嫌な日!」
などと大声で言われたりもしましたね。
階段で、お尻をぶたれて振り返ると、彼女達がいて、
「こうやって手を勢いよく振って歩くのがいいのよ!」
と言って、ずっとお尻をぶってくる。
足を踏んできたりもする。
それでも、いじめられる理由が全然わからない。


自分のクラスでも男子にいじめられる、
他のクラスの女子にもいじめられる。
それでも学校を休もうと思わなかったのは何でだろうなぁ?
親には言えませんでしたね。
『いじめられている』なんて、
親に言うのは屈辱な気がして。
心配させたくない、とか、そういう気持ちじゃなかったですよ。
言っても、たぶんどうにもしてくれなかったでしょうし。
どうにもならなかったでしょうし。
かえって、
「それはあんたに何か虐めたくなるところがあるんじゃないの?」
とか言われて、
「あんたが悪い」
ように言われるのがオチ。

その状態がどれくらい続いたのかは忘れましたが、
友達が気がついたんですね。
そして、
「なんで黙ってるの?」
って。
私はなぜかその頃、大人を頼りにしてませんでした。
親も。先生も。
小学3年生の頃の私は強かったなぁ。
頑固だっただけかしら(^◇^;)
飽きれば、止めるだろうと思ってました。
それでどうしたんだったかしら。
友達に説得されて、先生に話しに行ったんだったか、
友達が先生に言ってくれたのかは忘れましたが、
私をいじめていた子を全員連れて、
そのクラスの担任の先生が授業中に来て、
なんで授業中だったんだろ?
私に一人一人謝らせました。
私が助かったのは、
その後その女子達のいじめがぴたっとなくなったことですね。
自主的に、「ごめんね」と、またわざわざ言いに来てくれた子もいたし、
その後、同じクラスになって、友達になった子もいました。
未だに、理由がわからないのですが、
掘り起こして訊ねるのも、ねぇ。


あのとき、担任の先生は、私がいじめられているということを
ちゃんとそのクラスの担任の先生に伝えてくれたんだなぁと。
黙ってスルーしてしまうような先生ではなかったですね。
お母様達が言うように、全然頼りなくはなかったですよ。

あのまま続いていたら、我慢の限界がきて、
相手を殴って怪我させたかもしれないです。
子供で女子だから、そんな力はないですが、
クラスの男子には反撃して、思いっきり何度もぶったたきました。
切れると、頭に血が上ってやぶれかぶれになるタイプ?(^◇^;)

あんな奴らも、父親になってるんだろうな・・・
あんなに虐めた女子(奥さん達)の尻に敷かれてろ・・・(^人^) オ・ネ・ガ・イ♪


でも、でもですね、
ほとんどが同じ中学に行ったんです。
男子ってかわるのね。
「この屑野郎がっ!死ぬまで苦しめ!」
と小学校の頃思っていた奴らが、
3年生が終わる頃は、みんな優しいお兄さんでしたよ。
奥さんの尻に敷かれてる人がいてもおかしくないですね(¬ー¬) フフフ


例えば、
土曜日のお昼は給食がないです。
午後にクラブ活動のある生徒達はお弁当を持ってきてます。
私は帰宅部だったので、何も持ってきてなかったのですが、
友達に用があって、部室に行くと、
よくあの頃いじめられた男子がパンを食べてました。
クラスが違っていて、ずっと話すこともなかったですね。
友達を待っている間、話しかけることもせず、
それでも手持ちぶさただったので、彼が食べているのをぼーっと見てました。
「なに?欲しいの?」
視線を感じたのか(そりゃ感じるわな(^0^;))笑いながら言われたので、
お腹は空いてませんでしたが、
「うん!」
と思い切り頷いてみました。すると、
「しょうがないなぁ・・」
と言いながら、食べてるパンの半分だったかな?4分の1だったかな?をちぎって
「ほい。」
と、くれました。
昔だったら、
「何みてんだよ!見るんじゃねぇ!気持ち悪い!」
と、怒鳴られるところです。
みんな大人になってかわるんだなぁと、
もらったあんパンを頬張りながら思いましたよ。
その後、来た私の友達にもあんパンとられてましたけど(^◇^;)
いじめっ子も、いつまでもいじめっ子ではないんですね。
環境に左右されるとは思いますが。

こんな風にいじめられた私も、自分ではそんなつもりではなくても、
いじめられた腹いせに誰かにあたっていたかもしれないし、
傷つけていたかもしれないので、
いじめっ子だった誰かを批判できる立場ではないです。
いじめられているときは、悔しかったですし、悲しかったですが。

私は周りに助けられました。
先生と友達と。
いじめる方も底意地が悪かったんではなさそうなので、
助かったのかな。






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