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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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幸湖日記

『幸湖日記』という素人小説を書いている。
コーギー幸湖さんと、ねことうさぎが、
過去から現在に戻るまでのお話にするつもりだ。

最初に書きだしたときは、過去を旅する冒険、のようにするかなと思ったのだが、
書いているうちに、生きるものは、『何を目的に生まれてくるのか』、
がメインになっていってしまい、
それぞれの、この世に生まれてきた目的、
『何のために生まれてきたのか』ではなく
『何をするために生まれてきたのか』を問う小説になってしまった。


生きるものは、学ぶために生まれて来るのだと、私は思う。
色々な経験をして、技術や考えや、ありとあらゆるものや事象を、
取り入れるために生まれてくるのだと。
そして再び生まれかわったときに、新たな事に巡り会ったときに、
それを利用できるように。

そういう考えを元にして、『幸湖日記』は書かれている。


3匹の考えと、語りと、記憶などを
それぞれの時間に語るので、今は、時代背景などがバラバラでまとまりがない。
時々、読み返して、
「ああ?そうだっけ?そういうことにしたっけ?」
と忘れてしまっていることもある。
そして、
「え?ここで、このネタつかってた!」
ということも(^◇^;)

そして、ほとんど心象風景なので、景観が全く書かれていない(^◇^;)
それもこれから徐々に付け足して行く予定です。


「お前のこれまでの人生は無駄だった」
と、知らされたとき、これから何を目的に生きていけばいいのか、
何のために生きていけばいいのか、わからなくなった。
そんなとき、ある体験談を読んで思った。
「もう、今の自分のための希望も目的も見いだせないのなら、
本当にあるかどうかはわからないけど、
死んでしまったら、この魂はなくなってしまうのかもしれないけど、
また人に生まれかわってくるかもわからないけど、
次に生まれかわったときに、少しでも手助けになるように
色々なことを学ぼう。」
と。
今できる色々なことを、やってみよう、と。

主人に話したら、
「そして宗教を信仰するようになる。」
と言われた。
そうなのか?
これは宗教にはまる前兆なのか?
宗教だとしても、
神様って、自分の中に存在してるんじゃないのか?
個々人の中に、それぞれ存在してるんじゃないのか?
誰かの中の神様は、その誰かしか導いてくれないものなんじゃないのか?

『幸湖日記』にも神様はでてくる。
その世界の創造主様として。
何度も同じ人物に生まれかわって、
運命を変えようとしてできなかった幸湖さんのことを、
うさぎに思い出させ、諭す役割で。

死んだら、何に生まれかわってくるかわからない。
虫かもしれない。
魚かもしれない。
草食動物で、餌として食べられるかもしれない。
人間として生まれてきても、まだ喋れもしないうちに、
また生を閉じるかもしれない。
怖いと思う。
死ぬことは、怖い。
その先がどうなっているかわからないから、怖い。

それでも、どうなっているかわからないのは、
この生がなくなった後の世界が、開放された世界だからかもしれない。
死んだ後どうなるか、わかってて、その方が今の世の中より楽だったら、
すぐに死んで還りたいと思ってしまうから、
死んだ後にどうなるのかわからなくなっているのかもしれない。

幸湖日記では、そのことにも触れていきたいと思っている。

なんだか、まとまりがなくなってしまったけど、
独り言だから、いいか。







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好きだった人のことを思い出す。
最初からずっと、私の方が好きだった、と思う。
だけど、その人の元を自分から離れた。
お前は家族じゃないと、私の中で一番大切で愛する人に、言われたから。
それでも、好きだったから、そばにいた。
だけど、空しかった。
自分が、その人の中で一番だと思っていた。
でも、なんのことはない、その人にとっては家族ですらなかった。

このまま、一生いなくちゃいけないのかと思った。
二番目どころではなく、三番目以下の私。
一生、誰の一番にもなれずに。


雪が降った日、窓を細く開けて、ぼんやり雪が降るのを見ていた。
寒かった。
灰色のベランダが、白く染まっていく。

このままで生きていかなくちゃいけないのかと、思った。
誰の一番でもない人間として。
誰のためではなく、自分のために生きればいいじゃないか。
無理矢理そう思い直して、窓を閉めた。
体は寒くなくなったが、心は寒いままだった。

自分のために生きよう。
そう決めたはずなのに、やはり、その人のそばにいるのがつらくなった。
職場の人間関係で悩んでいても、私の話はあまり聞いてくれなかった。
いつもテレビに夢中だった。

結局、自分からその人の元を去ることになったのだが。


今、あの人はどうしているのだろう。
あのとき、あの人が迷わず『家族』と言い切った人と暮らすと言っていた。
他人は裏切るからいやだと、もう、恋愛も結婚もしないと、怒りを露わにして言っていた。
自分が、お前は家族じゃないと言ったくせに。
お前は一番じゃないと言ったくせに。
なのに、私の中で、自分が一番じゃなくなったら、そうやって怒るんだね。


でも。
また恋愛をして、結婚もしてくれていればいいと思う。
私より、ずっとずっと懐の大きな人と暮らして、
その人との子供を抱っこして、笑っていてくれていればいいと思う。
そうであって欲しいと思う。

きっと今は、私の願った通りになっていると思う。
誰かと結婚して、子供がいて、奥さんに怒られたり、
不機嫌になったり、それでも笑ったりしながら、生きているだろう。

今となっては、知ることはできないが。
それでいいと思う。
それでいいと、思う。



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昔のこと

高校のときの友人は、5人姉妹だった。
女ばかり5人だという。
男の子ができるまでと思ったんだろうなぁと思っていたら、
そうだと友人は言った。

あるとき、友人が
「お母さんが手術をする。」
と言った。
どこか悪いのかと問うと、
もう子供ができない手術をする、と言う。
深くは訊かなかったが、
当時はピルという方法は皆無に等しく、
男性側のコンドームか、
女性側のリングとか、そういう方法しかなかったと思う。

「え?なんで?手術までする必要あるの?」
と他人の御家庭のことなのに踏み込んで訊いたと思う。
「知らない。」
と友人は答えた。

このとき私が思ったのは、
そんなに四六時中してるの?
時々だったら、お父さんがコンドームすればいいんじゃないの?
卵巣とか子宮とか、そんなデリケートなところをいじって大丈夫なの?
ホルモンとかそういうのは大丈夫なの?
あと何年かすれば、生理もなくなる歳だろうに、なんで?
本気で心配になっていた。
お父さん、ゴムするのめんどくさいとか、
気持ちよくないとか、そんな理由で奥さんに手術させるんじゃないの?
考えてるうちに、なんだかとても腹が立った。
自分にはリスクなく、高みの見物かよ。
そして言い放った。
「お父さんの方がすりゃいいんじゃん!」
友人は困った顔をしていたと思う。
以前、友人が言っていた。
女が6人もいるけど、父の言葉は絶対だ、と。
その言葉には従わなければならない、と。
友人の家は、たぶん、裕福で、稼ぎのあるお父さんは、
絶対の権力をもっていたのだろうと思う。

私の父も、高度なモラハラ男なので、
そのときは、まぁ、父親なんてそんなもんかな、程度だったのだが、
夫婦間のそういうデリケートな問題を、妻に丸投げというのが、納得できなかった。
睾丸を取ってしまえ!とまでは思わなかったが、なんだかもやもやした。

他人の御家庭のご夫婦のことで、
水面下での話し合いが持たれた結果、こういうことになったのかもしれないので、
それ以上は何も言わなかった。
友人も、その話題にはそれ以上触れて欲しくなかったようだった。
何か、思うところがあったのかもと思う。

ピルは、当時もあった。
あったけど、そうそう手に入るものじゃなかった。
今くらいにピルが手に入れば、
友人のお母さんもそんな手術をしなくても済んだろうと思う。

当時よく聴いていたアルバムを久しぶりに聴いていたら、ふと思い出したことだった。

そして、当時はなんとも思わなかったが、その中のある曲の歌詞を聴いていたら、
この「思い(歌詞)」を伝えられても、心の中で思われてても、かなり怖い・・・(;゜ロ゜)
と思った。



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好かれないことも、嫌われることも慣れてるから

いつか、主人に言った言葉だ。
「好かれないことも、嫌われることも慣れてるから」

父は、自分がこの世で一番優れていると思っている。
間違うことはないと、思い込んでいる。
自分と違う意見や好みを持つ人間を、親の敵のように嫌う。
非難して、罵詈雑言を並べる。
かなり聞き苦しいし、見苦しい。
これが自分の親かと、自分が恐れて従ってきた人間かと思うと、情けなくて惨めだ。

だが、子供の頃は、自分もこうだったと気が付いた。
何一つ優れたものがないのに、
容姿も頭も、何一つ優れたものがないのに、
自分は特別だと思っていた。

誰にも好かれなくて当たり前だ。
嫌われて、当たり前だ。

あのとき、自然に口から出た。
「好かれないことも、嫌われることも慣れてるから」
慣れてなどいないけど、そういう思いには慣れている。
心の底では自分が悪いのに、そうわかっているのに、見えないフリをしてた。
感じないフリをした。

それでも、少しずつでも、自分には何一つ優れたものなどないと、
特別な存在ではないということに目を向けてきた。
上には上がいて、決して頂点などに立てないのだと。
だから、少しずつ何かをできるように歩いてきた。
そのつもりだった。

だが。
『お前の人生は何の価値もなかった』
と思い知らされた。
あがいてみても、何も進みはしないと、思い知らされた。


ただ
昨日、インスタにあげた私のイラストに、いいねをしてくださった方がいて、嬉しかった。
それだけで、救われた気がした。

いいのかな、と思った。
少しは、前に進めているのかな。


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価値の無い人生

9月に、ある知らせがきて、その内容を読んだとき、
『お前の今までの人生は何の価値も無い』
と言われた気がして、ずっと立ち直れなかった。
今も、引きずっている。

確かに、がむしゃらに生きてきたわけではないかもしれない。
一生懸命生きてきたわけでもないかもしれない。
それでも、順風満帆な人生では無かったし、自分なりに頑張ってはきたと思う。

だが、
『お前の人生は何の意味も無かった。』
と。


子供の頃、母によく怒られた。
「教室の中で、一人だけ、手を挙げない。」
と。
「沢山の子達の中に入ると、この人、後ろに下がるのよ。」
とか、不満げに親戚に言いまくる。
神経質だとか、引っ込み思案だとか、さんざん人前でこき下ろされたが、
結局は、母が、そうなるように私を育てたということを、つい最近知った。
いつも怒られて、常に両親の顔色をうかがっているような子供が、
自信たっぷりに人前で話したり、どんどん前に出ていけるようになれるかよ、って。
母は、積極的で、人を押しのけてまで前へ進んでいく子にしたかったんだろうが、
全部逆効果だったわけだ。
今になって、いや、今までずっと、生き辛かった。

もっと友達と遊びたかった。
なのに、塾や書道教室に通わされ。
もっとお洒落したかった。
普通の中学生や高校生のように、生きていきたかった。

父に対する考えが変わったとき、足下を掬われるようだった。
あんな人間を恐れ、従い、そして我慢を強いられてきた自分が、とても惨めに思えた。

もっと好きに生きればよかった。

さんざんこき下ろされて、我慢して生きてきた結果が、
無価値な人生だったわけだ。


イラストを描くのが好きで、
それで作った作品を通販サイトで販売しているが、ほとんど売れることはない。
Twitterにあげるのがいいとあっても、
フォローしてくださってる方に、私の作品を買ってください、と、
どしどし流すのも、おこがましい気がして、利用していない。
インスタに投稿してみても、見に来る人はいない。
いくつかの通販サイトを利用しているので、まとめのブログを作ってみたが、
だいたいそれを見に来る人がいない。

何をやっても、だめなんだなぁ・・

だから、お前の今までの人生は何の価値も無い、と

ずっと一人で考えていたことを、昨日主人に話した。
無価値だと言われた気がしたこと。
作品を作って販売しても売れないこと。
色々試してみても、だめなこと。

主人は、
「何のためにイラストを描いたり、作品を作ったりしてるのか。」
と言う。
「誰かに認めてもらいたいのか。誰かに認めてもらうためにしているわけじゃないでしょう?」
と。

イラストも作品も、好きで描いたり作ったりしてるよ。
描きたいから描いてるし、作りたいから作ってる。
描いてるのが、楽しい、というか、思い通りに描けないと、すごく苦しいけど、
完成したときがすごく嬉しいんだよ。
作品も同じ。
みんなに評価されたいわけじゃない。
みんなに認めて欲しいわけじゃ無い。

でも。
唯一、私が作り出せるものは、もうこれしかなくて、
将来、今の職業が続けられなくなったとき、
もうこれを売って生きていくしかないんだよ。
だから、それを認めてもらわないといけないんだよ。

でも、こんな風に、誰も見に来てもくれないんじゃ、
一生懸命になったって、無駄だよね。
何もかも、今までの人生もこれからの人生も、無意味で無価値で無駄。

主人は、返答に困っていた。
答えなくてもいいんだよ。
答えを聞きたいわけじゃない。

ずっと変わらないよ。
何もかも。
何もいいことはない。
これからも。











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