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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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虹の橋

悲しいことは沢山ある。
つらいことは、山ほどある。

14日に、コーギー幸湖さんが逝った。
3年と8ヶ月の闘病の末に。
最期の1年半は、寝たきりだった。
寝返りもうてなかった。
時々、向きをかえてあげていた。

わんわん!と、もう吠えることもできなかったから、
掠れた声で、わふっわふっと鳴いて、
水が飲みたい、おしっこがしたい、としらせてくれた。
濡れてもいいシートの上に寝かせていたので、
「おしっこがしたかったら、しても大丈夫だからね。」
と教えたが、
トイレまで連れて行かないと、絶対にしなかった。
掠れた声で、おしっこがしたいと鳴く。

14日の朝、いつものように、幸湖さんは、毛布から顔を出して、
大きな目を開いていた。
主人が、幸湖さんをトイレに連れて行き、
水を飲ませ、おしっこをさせたとき、
泡を吹いて、えづきだした。
横にして、体を擦っても治まらなかった。
いつもは体を擦って、安静にしていると治まるのだが、
そのときは違った。
えづきが止まらなかった。

幸湖さんがいつも寝ている絨毯と毛布を2枚重ねた寝床に戻した。
黒目が上に上がりかけていて、心臓の鼓動も弱く不規則だった。
前足を握ると、冷たくなっていた。
慌てて、添い寝をして、心臓の上をマッサージした。
しばらく続けていると、上に向いた黒目が正面に戻って来て、
前足もすごく温かくなり、心臓の鼓動も強くなったので、
大丈夫だと思い、少し目を離した。

幸湖さんは、逝ってしまった。

体も足も、まだとても温かかった。

目が重くなって、鼻の奥が痛くなるまで、泣いた。

幸湖さんの遺体が無くなって、まだお寺から帰ってこないとき、
幸湖さんが寝ていたままになっていた布団の上で、
初めて声を出して泣いた。
つらかった。
悲しかった。
心が潰されるようだった。

もう何年も散歩にもいけない
もう何年も寝たきり
こんなに苦しいことはないだろうと、思っていた。
それならいっそ、この体から離れてしまった方が、
幸湖さんにとって、いいのじゃないかと、思っていた。

今、その通りになった。
自由に駆け回れるようになった。
それを喜んであげなければいけないのに、
私は、声をあげて泣いていた。
幸湖さんが、いなくなってしまった悲しさに。


主人は、思ったより、私が冷静なことに安心したと言う。
それはその通りだが、その通りではない。

例えば、空をとんでいて、
雲の上ぎりぎりを飛んでいる。
幸湖さんのことを思い出しても、
写真を見ても、
誰かに、幸湖さんの死を告げたとしても、
幸湖さんに似た子の動画を観たとしても、
悲しくなったり、泣いたりすることはない。

けれど、
高度が少し下がって、下の雲に触れた途端、
涙がとまらなくなる。
それがどういうタイミングなのかは、全くわからない。

悲しいことは、沢山ある。
つらいことは、山ほどある。

昔、心が壊れそうになるくらい、つらいことがあった。
幸湖さんがいなくなったことは、それ以上につらいと思うのに、
まだ大丈夫だと思える。

幸湖さんの気配は、感じない。
幸湖さんが死んだ日の夜、頭の右上に、何かが乗っているような感覚があったけど。
でも、もう虹の橋を渡ったね。
今度は、何になって生まれてくるのだろう。

さっちゃん、家族になってくれて、ありがとうね。


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口角をあげて

「あんたたちは、何にもしてくれない。」
父が電話でそう言った。
何にもしてくれないってなに?
未だ自分でやろうとしないところに、腹が立った。
が、だんだん怒るのもあほらしくなった。

どこへ行ってどう相談するのか、常にアドバイスをしてきた。
なのに、何一つやろうとしない。
そして、
「あんたたちは、何もしてくれない。」
だ。

仕方が無く、相談窓口の電話番号を調べ、
ここに電話しろと、メモを渡した。

母は認知症だ。
話すと普通だが、物忘れが激しく、おしっこも漏らしてしまう。
父は、そんな母が許せなくて、怒るらしい。
怒るだけで、公の場所に電話するでもなく、相談するでもなく、
オムツを買ってくるでもなく、
誰かがやってくれるのを待っているだけ。
手を貸してしまうと、何もかもやらされてしまうのがわかっているので、
わざと手は貸さなかった。

電話をすると、すぐに看護師さんが来てくださった。
母は、熱中症の気があったそうだ。
それで起き上がれなくなっていた。
看護師さんが、色々介護してくださっているところに、
私が手を貸す。
当の父は、リビングで座っているだけ。
いやいや、あなたも一緒にいて手伝うのが本当だろが。
さんざん文句言って、これだから。

「しっかりしてた人だから、あんな風になって、ショックだった。」
と、父が言う。
「私だって、あんな母親の姿見せられて、ショックだよ!」
と言い返した。
実は、そんなにショックではない。
私は既に、父にも母にも、何の希望も期待ももっていないからだ。
歳をとって、なるようにしてなっただけ。
父は、いつまで母に自分のことを面倒見させる気だったんだろう。
何にもできないからと、何もしようとしないのは、おかしいとは思わないのか?

でも、
公の所にお願いすれば、ちゃんと手を貸してくれるんだということに、
ひどく安堵した。


『口角をあげて』
今、これが私の目標だ。
昔は、嫌なことがもっと多かった。
自分自身の性格に難ありだったからかもしれない。
だけど、そうじゃないことも多々あったと思う。
理不尽に貶されたり、虐められたりもした。
不機嫌な顔をしていれば、誰も寄ってこないと思って、
ずっと口角を下げて、『への字』の口をしていた。
でも、今は、いつも笑っていたいと思う。
たとえ、笑っていられないときでも。






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コタツをしまう

コタツを仕舞った。
いつもは梅雨が終わってから仕舞うのだが、
今年は早々主人が言い出した。

暑い。
毎日暑すぎる。

気温は猛暑!というわけではないのだが、湿気がすごい。
それだけで息苦しくなる。
と、いうわけで、コタツを仕舞うことになった。

うちのコタツは、主人と私の作業台になっていて、
天板からしてでっかくて、重い。
「コタツを仕舞う」といっても、
上にかかっているコタツ布団や上掛け、
下に敷いてある絨毯などを仕舞うだけだ。
それだけなのだが、
重くてでかくて丈夫な天板の上には、
ディスプレーやスキャナー、PS3などがのっていて、
更にペン立て、その他もろもろがのっている。
これを全部どかしてから、片付けるわけで・・・(T-T)

コーギー幸湖さんは、コタツの中で寝るのが好きだ。
寝ながら、絨毯をなめなめしてくれて、
まめに、というほどではないが、拭いてはいたが、
異様な幸湖さん臭さが(^◇^;)

しかし、今回は、幸湖さんは『変性性脊髄症』という病気のため、
自力で移動できなくなり、
コタツの中で寝ることができなくなった。
なので、コタツの中に敷いていた絨毯からは
幸湖なめなめ臭がしなくなった。

それでも、全部取っ払った後の洗濯が大変だ。
冬中敷きっぱなし掛けっぱなしだったので、
汚れが半端なく、
洗った水の汚れ具合を見ながら、何度か洗濯機をまわし、
このくらいでよかろう、
というところで、濯ぎに移行する。
そして、乾かない・・・
今日も朝から再び干してあります(^◇^;)
あまり天気が良くないんだよね。
あと、コタツ掛けと上掛けが残ってて・・

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職場

今月から、職場の経営者が替わった。
大手に吸収された形だ。
経営者が替わるけど、とりあえずはそのままの状態で行く、とだけ伝えられて、
後の事は何もきかされていない。

私は、曜日と終わる時間は決まっているが、
出勤時間がバラバラで、
とりあえずこの時間までには来て、という時間の、かなり前に出勤することが多い。

今までは台風や雪がひどいときは、先生が気を遣ってくださって、
急遽休みになったりするが、
これからはそういうことができるのかも、何もわからない。

体制がよくわからないのは、不安だ。

主人は、
「よくなるかもしれないよ(^^)」
と言う。
「だめだったら、辞めればいいじゃない。」
とも言ってくれる。
ありがたいお言葉をいただきましたーヘ(>ロ<)ノ 

でも、
将来のことを考えると、やはり働いていたい。


土曜日、職場に行くと、新しい会社から男性が一人、いらっしゃった。
常ににこにこしていて、物腰の柔らかい人だった。
私の不安は更に深まった。
その男性は、とてもいい人だった。
仕事も、今は慣れていないだけで、慣れればきっと私よりできることだろう。

ただ、
私は男の人がかなり苦手なのだ。
子供の頃に、親戚の叔父からの性被害にあっている上に、
この、かなり残念な性格(近年ではまともになったとは思うが)と
それに輪をかけた残念な容姿故に、小中高では、男性にいつも嫌な思いをさせられた。
もしかしたら、嫌な思いだけを、執念深く覚えているだけかもしれないが。
なので、一人の男性に慣れるまでにかなり時間がかかる。

先生も男性だが、長年勤めている間にやっと慣れて、
この頃では、職場に来て、先生の顔が見えると、安心する。
その先生も、何ヶ月かしたら、いなくなってしまう。

この先、どうなるんだろう。
・・・胃が痛い。


仕事が終わった後、
本店と支店を合わせた全員と新しい会社の幹部?の人達との食事会があった。
あとから、社長もいらっしゃった。
社長は勿論、幹部の人達は、皆、男性だった・・・
それでも、始終にこにこして腰の低い方ばかりだった。
皆、優しそうなんだけどな・・
最初だけかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
やはり、男の人は苦手だ。
慣れてしまえば、その人がどんな人なのかがわかれば、全然平気なのだが。

それにしても、職場の人達、先生を除いて、全員が女性なのだが、
かなりなペースでアルコールを消費していた。
私はほとんど飲めないし、駅までは主人が迎えに来てくれるとはいえ、
電車に揺られて帰るので、ソフトドリンク。
ハイペースなアルコール消費で、周りはだんだん盛り上がっていく。
皆様、かなりいけるくちだったのね(^◇^;)

毎晩、友人の誰かがうちに来て、盛り上がっていた頃のことを思い出した。
馬鹿な話をして、大笑いしていた。
休みをとって、一緒に旅行に行ったり、日帰りで遠くに行ったりもした。
楽しかったな、あの頃は。
陽気になった同僚に囲まれて、思う。

「前は、0時までやってたんだよね。」
一人おいた右隣の同僚が、幹部の人と話しながら、私に同意を求める。
「えっ! 0時?夜中の?」
と、驚かれる。

この職場に来たとき、私の勤務時間は、16時から0時だった。
主人のシフトが17時から0時、もしくは3時だったので、
その時間がちょうどよかったのだ。
終電の1本前で帰ったなぁ。
あの時間、電車の中では、宇宙と交信している人が少なからずいたし、
電車の窓が少しでも開いていると、
ホームに入ってくるときに巻き起こす風が、やたら酒臭かったり、とか。
懐かしいね。
主人が、夜中の仕事を辞めたときに、
私の勤務時間は、13時から21時になった。


22時にお開きになって、私は同じ大学出身の先輩と一緒に駅まで帰ってきた。
先輩は、駅前から出ているバスに乗って帰るという。

帰り際、出勤の曜日の関係で、全然会えない同僚をハグしてきた。
お姉さん達、みんないい匂いがするので、自分の中だけで盛り上がった。
支店の先生と、本店が忙しいときにヘルプに来てくれる同僚と、
ほんの少しだけだが、話せた。
それも嬉しかった。
支店の先生は、今ほどではないが、
これからも今の仕事に関わっていくと聞いて、嬉しかった。
もっとみんなと話したかったが、できなかったのが残念だ。

6人位で、まだ騒いでいる団体から離れた。
これから2次会へ行くそうだ。
私は、23時から『魔境争奪戦』に参加するので帰るよ。
ギルド同士の戦いに、ギルマスが出ないのはまずいんね。
サブマスの主人だけに戦いをおしつけるわけにはいかん(;゜ロ゜)

ま、間に合うかしら(;゜ロ゜)
と、思いつつ電車に揺られ、途中特快に移った結果、
2分前に、パソコンの前に座すことができました(^_^)b
二戦とも、負けたけど・・・・
今回から下位に参加できなくなって、仕方なく中位でやったけど。
主人と私しか参加してないんだもんね。
たまに一人来てくれるけど。
誰か、魔境に来てくれる人、入ってくれないかなー










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4回目のワクチン

先月の終わり頃、4回目のワクチンをうってきました。
コーギー幸湖さんの幹細胞治療が一段落したので、
主人がそろそろうってきなさいと予約を入れてくれました。

今回はモデルナです。
ファイザー ファイザー ファイザーときて、モデルナ。
ここでも書きましたが、3回目接種の副反応はきつかった。
以前、原因不明の38.2℃の発熱が毎日続き、
それでも仕事に行っていたので、
38.2℃くらいの発熱なら容易に耐えられますが、
あのひどい頭痛と吐き気は勘弁して欲しい(T-T)
4回目もあれだったら、いやだな・・

結果、わりと早いうちから腕が痛くなったので、
明日はどうなるのだろうと、楽しみ・・
いや、警戒しておりました。

問診のとき、少し時間があったので、先生に
「副反応はどうでしたか?」
とにこやかに訊かれました。
「3回目ひどかったです。
治まるのに4日かかりました。」
と言ったら、
「3日かかったとは聞いたことがありますが、4日はないですね。」
と、驚かれました。

しかし。
期待の4回目の副反応。
次の日、起きたときも、腕が痛いだけ。
午前中も腕が痛いだけ。
ただ、お昼近くなると、熱が37.4℃まで上がり、
すごく怠くなりました。
椅子に座ったまま、ぐったり。
変性脊髄症だろうと言われ、
4つ足で立ち上がれなくなった幸湖さんを残してベッドに向かうわけにも行かず、
椅子にぐったりで過ごす。
その間、熱は37.2と37.4の間を行ったり来たりしていました。

再び、しかし。
夜、お風呂に入って出てきた途端、
全てが正常に戻ったぁ!
熱も下がり、怠いのも全て吹っ飛んでいき、副反応は終わりを告げました。

今回、一番軽かったよね。


1週間後、主人が4回目をうちました。
モデルナ×4です。
その日の夜から、なんだか怠そうでしたね。

以前は
「8時間以上寝ないと保たない!」
と豪語していた主人は、今では、休みの時間が勿体ない!と叫んで、
休みの日は、朝は私よりもずっと早く起きます。
その主人が、
「起きられない・・」
と言って、ずっと寝てました。
体温は、既に37.4℃。
主人は熱があまり出ない体質らしいのですが、
今回は38.4℃まで出て、
「こんなに熱が出たのは、生まれて初めてだー」
と、言ってました。

お昼、寝室に様子を見に行く。
私は休みの日は、動かないせいかあまりお腹が空きません。
ただ、見ると食べたくなるので、目が食べたいんだなぁと思ってます。
寝室を覗くと、目は開いてるらしい。
「お腹空かない?
おじやかなんか作るよ。」
というと、
「起きる。起きてご飯作るよ。」
と言って起き上がる主人。
『寝てていいよ。」
と言っても、
「起きる。」
と言って起きてくる。

我が家では、私はご飯の支度をしません。
私は食べ物に執着がないので、料理することがかなり苦痛です。
何か美味しい物食べたいなーと思っても、
その美味しい物が思いつかないのです。
ステーキ?お寿司?ケーキ?
考えているうちに、
「まぁ、いいや。」
と、なってしまい、結局は主人に無理矢理食べさせられます。

お昼ご飯の後、主人はずっと起きてましたが、
「風邪をひいたときのようだ。
えらくつらい。」
と言いながら、時々鼻をすすったり、咳をしたりして、
パソコンにむかってゲームをしてました。

しかし
お風呂から出てきた途端、
「回復した!」
と叫んでおりました。
「風邪っぽいのも、怠いのも治ったし、熱も下がった!」
お風呂に入ると、副反応、なくなるのかしら(^0^;)

主人は4回目が一番つらかったと申しております。
私は、4回目が一番楽でしたね。





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