忍者ブログ

昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

子供の頃

まだ小学2年生くらいだったと思う。
仲のいい友達がいて、よく遊んでいた。
公園で、他の友達と一緒に遊ぶこともあれば、彼女の家に遊びに行くこともあった。
ただ、私の家に彼女が来たことはなかった。

当時、我が家は父方の遠縁の親戚の家業で使っていた家の2階に住んでいて、
1階には作業場が有り、常時男女6人が働いていた。
作業場には、父の叔父とその息子と父がいた。
彼女は、「大人の男の人が怖い。」と言って、うちに遊びに来ることはなかった。

彼女にはお父さんがいなかった。
子供なので平気で「どうして?」と訊くと、
「赤ちゃんのとき事故で死んだ。」という答えが返ってきたと思う。
お母さんは、細身の綺麗な人だった。
お父さんがずっと前に亡くなってるから、大人の男の人に慣れてないから、
怖いんだろうな、と、なんとなく理解していたと思う。

ある日、彼女の家で遊んでいると、男の人が訪ねてきた。
なんだか、お客さん、という感じではなかった。
まるで、その家の主のようだった。
亡くなったっていうのは、本当は嘘なんじゃないかと思い、
「あの人誰?お父さん?」
と訊いた。
「違う。おじさん。」
「おじさん?親戚の?」
「違う。」
それ以上、彼女は答えなかった。
そのうち、彼女のお母さんが、彼女に何か言うと、
「今日はもう遊べないから、ごめんね。」
と言われ、私はまだ早い時間だったので、
「なんで?家で遊べないなら、外で遊ぼうよ。」
と思ったが、そのまま家に帰った。

すごく後になってから、彼女のお母さんはお妾さんだったんじゃないかと気が付いた。
今は女性でも正社員で働けて、子供を養っていけるが、
当時はシングルマザーが自分と子供一人を養っていくには、相当大変だったはず。
でも、いつも綺麗。
お金に困ってる感じでもない。
いや、それが悪いとか、そういうことではないのだ。

友達が、大人の男の人を尋常でなく怖がった理由。
お母さんとそのおじさんが、子供の教育には良くないことをしているのを見て聞いてしまったとか、色々あるのだろうが、今更になって思ったこと。
性的虐待を受けていた、とか。

自分に経験があるのに、思いつかなかったのは、
まさか、他の、普通の家の子が、同じような、ましてはあれ以上の経験をしているとは、
思えなかったからだ。
当時は、まだ寝ている間にズボンを脱がされた程度で、それでもすごく嫌だったのだが。
他の家の子は、お父さんもお母さんも親戚の人達も皆まともで、大人で、
子供にあんなことをする輩がいるとは思えなかったからだ。

私の両親は、特に母は、私の父を見ただけであんなに怯える友達に、
何も感じなかったのだろうか。
子供の私の様に、お父さんが早くに亡くなったからだ、なんて呑気に思っていたのだろうか。

もし、私が小さい頃に母が父と離婚して、誰かと再婚したとして、
その誰かが、私に性的虐待をしていたとしても、気が付かないんだろうな、と思う。

その友達は、16歳で結婚してしまった。
家を早く出たかったんだろうと思った。
今は、彼女がどうしているのか知らない。


私も、男の人は怖かった。
彼女ほどではないにしろ、怖いと思っていた。

母方の実家の近くに、当時、大学生のお兄さんと高校生のお姉さんの住む家があった。
母の一番下の弟は、母とかなり年が離れていたので、そこの兄妹と親しかった。
二人とも楽しくて、優しかった。
一人っ子だったので、お兄さんとお姉さんができたようで、嬉しかった。
勿論、あちらはどう思っていたかはわからない。

母方の従妹達は、私より年下だった。
一人を除いて、かなり年が離れていた。
こちらが悪くもないのに、何かあれば大声で泣いて、大人には非難され、
何かあれば「お姉ちゃんなんだから」と我慢を強いられ、
一緒に遊んで楽しいとは思えなかったし、まして可愛いなんて思うこともなかった。

あるとき、その兄妹の家に行くと、妹さんの方はいなかったと思う。
お兄さんだけがいて、勿論、そこのお祖父ちゃんとかお祖母ちゃんはいらしたのだが、
近所の小さい子達もいるから、一緒に遊ぼう(どこかへ行って?)ということに
いつの間にかなっていた。
がっかりした。
前も近所の小さい子達がいるから、一緒に遊ぼうということになって、
遊んだのだが、やはり楽しくはなかった。
気を遣って遊んでも楽しくはない。
「帰る。」
と、言った。
「なんで?」
と、訊かれたと思う。
「小さい子達と一緒はいやだから。」
「なんで?」
「いやだから!」
そのときのお兄さんは、私がいつものように、うん、と言うだろうと思っていたと思う。
それが、「いやだ」と言われて、かなり不機嫌に思ったのだろう。
顔にそれが出ていた。
その顔のまま、お兄さんは私の腕を掴もうとした。
そのまま外に出てしまえばよかったのだが、私は逃げて、あろうことか、
その家の使われていない部屋の柱の陰に隠れたのだ。
勿論、すぐに見つかってしまった。
そのときのお兄さんの形相が、未だに忘れられない。
怖かった。
ものすごく怖かった。
思い切り悲鳴をあげた。
掴まれた手を振り払って、祖父母の家に逃げ帰った。
それから、あのお兄さんには会っていない。
ものすごく怖くて、二度と会いたくなかった。
勿論、お姉さんにも会っていない。
向こうも会いたくはなかっただろう。

叔父のことに加えて、そんなこともあって、
私は年上の男の人がかなり苦手になってしまっていた。

いつも後になって思うのだが、「気を遣うから、いやだ。」とか言えばよかったのかな、と。
しかし、向こうも、いつも「うん」と言って素直な子なのに、
今日はどうしたんだろう?とか思わないんだろうか。


後に、母の弟の結婚式に、そこの家の、お父さんだろうか?が来ていたのだが、
もう、田舎の人員構成は多すぎてよくわからん(^0^;)
式が終わって、母の一番下の弟夫妻と話をしていたら、
髪を撫でられる感覚がしたので、振り返ると、その人が真後ろに立って、
私の髪をいじっていた。
私はそのとき成人していて、子供の頃を知ってるからって、髪をいじるか?
触らんだろう、普通。
なんだろう、この人と嫌な顔をしていたと思う。
その人が呼ばれてその場を去るときに、
「終わったら、一緒に家へおいで。引き出物はここにおいて行くから、見ててよ。」
と、強引に言って引き出物を置いて行った。
そこで、叔母が、
「いいよ、置いて帰ろう。さっきだって、髪の毛、あんな風にいじって。気持ち悪い!」
と言ってくれたので、一緒に途中まで帰った。
あんな風に、子供の頃から知っている人が、
自分を性的な目で見ていると思うと、気持ちが悪い。
子供の頃から、そんな目で見られていたのだろうか。
なんだか、今から思うとぞっとする。


拍手[0回]

PR

性被害にあった。
相手は叔父だった。
その人の娘-従妹-とは仲が良かったから、一人で叔父の家に泊まっていた。
小学校にあがっていたのか、そのすぐ前だったのかは忘れた。

夜、寝ていると、下半身がもぞもぞする。
目を開けると、叔父が私の足下に座って、パジャマのズボンを脱がしていた。
私が目を開けたのに気が付くと、
「おっとっと」
と言いながら、パジャマのズボンをあげ始めた。
「寝相悪いなぁ。ズボン脱げかかってたよ。」
というような事を言われたが、私は自分で寝ながら服を脱いだことはない。
今現在も、一度として無い。
明らかに、脱がされたということがわかった。
自分でズボンを引っ張り上げたが、頭の中は真っ白だった。
どう反応していいのか、真っ白になりすぎてわからなかった。
今もそうなのだが、咄嗟に何も言えないし、何もできなかった。
ただ思うのは、
あのとき、目が覚めなかったら、どうなっていたのだろうということ。
考えると恐ろしくなる。
そばには従妹が寝ていたし、叔母もいたのだが、誰も気が付かなかった。

ショックだった。
親戚に、身内にこんなことをされるということが、とてもショックだった。
そして、お決まりのように誰にも言えなかった。
次の日、泣いて母に迎えに来てもらったように思う。
自分で泊まりたいと言ったくせに、ホームシックで迎えに来てなんて、
という感じで、母はすごく怒っていたと思う。
それでも、本当のことは言えなかった。
大体の子供は、お父さんやお母さんにこんな事を言ったら、
悲しむんじゃないかとか、両親の心配をするが、
私は、こんな事を言っても信じてもらえないと思ったし、
第一、こんなことをされても何もできず、
言う事もできなかったということが、ひどく屈辱だった。

それから、その叔父には必要以上に警戒した。
親戚なので、色々な所で会わなければならない。
誰にも言えないから、自分で気を付けなければならなかった。
そばに行かない。
近くの布団では寝ない。
お風呂に入るときは、叔父のいないときに入る。

だが、小学校4年生の時、叔父が両親に用があると言って、一人で訪ねてきた。
その頃の私の家は、二間しかなく、
同じ部屋に3つ布団を敷いて、4人で寝ることになった。
ひどく嫌な予感がした。
でも、両親がすぐそばにいるからと言い聞かせて、
一番端に敷いてあった自分の布団に入った。
真ん中には両親の布団があり、
奥に、叔父が寝るためのお客様用の布団が敷いてあった。
それを見て、少し安心したことを覚えている。

夜中、手を握られる感覚で目が覚めた。
すぐ横に叔父の顔があって、私の手に何度もキスをしていた。
なんで?
なんでこの人が隣りにいるの?
体が固まった。
気持ち悪い!
なんで、お父さん達はあっちで寝てるんだろう。
なんで、隣で寝てくれなかったんだろう。
色々な思いが頭をよぎったが、さすがに嫌悪感が半端なかったので、
掴まれた手を力任せにもぎ取った。
私が目を覚ましたのに気が付いた叔父は、悪びれた様子もなかった。
すかさず、私のパンツの中に手を入れてきたのだ。
何が起こったのかわからず、実際は認識していたのだが、
頭の中がパニックになった。
両親は、すぐそこで寝ているのだから、大きな声で叫べばすむのに、
それができなかった。
しばらくの間、されるがままになってしまっていた。
叔父は私がそうされるのを許容したと思ったようだ。
「かわいいね。」
と私の耳元でささやいた。
気持ち悪い!
気持ち悪い!!
気持ち悪い!!!
そして、更に奥に指を入れようとしてきたとき、
私はありったけの力を込めて、その腕を掴んで自分のパンツの中から引き抜いたのだった。
「恥ずかしがるなよ。」
何がだ?誰が恥ずかしがってるって?
嫌がってるのがわからないのか?
こいつは馬鹿だ!
狂ってるんだ!
叔父のいる方から一番遠い所まで移動すると、叔父はそれ以上追い掛けてはこなかった。

次の日、なんで隣りにあの人が寝ていたのかと、両親に訊ねた。
「先に寝るって言って、真ん中の布団に寝ちゃってたのよ。
お客様用の布団は端に敷いてあるからって言ったのに。」
母の台詞を聞いて、この人は何も考えてないんだと思った。
なぜ、お客様用のいい布団が敷いてあるのに、
娘のすぐ横の、両親のいつも寝てる、
両親のニオイのついているような布団を選んだのか、とか、
何も怪しんでくれてないんだと、ひどく落胆したのを覚えている。
父が何も考えてくれてないのは、いつものことなので、期待はしていなかったが、
せめて母くらいは、娘に何かあったら困るくらいの警戒はしておいて欲しかった。
期待するだけ無駄なのだが。

その叔父は、親戚の中ではすこぶる評判が良かった。
子供のオムツもちゃんと替えるし、お風呂も入れるという話だった。
それは、娘の局部とか裸を見たいからなんじゃないの?
と、私は密かに思っていた。
従妹達の父親に対する態度を見ていると、変なことはされていないようだが、
覗かれてるかもしれないよな、と内心は思っていた。

母は、「うちのお父さんは何もしないから、羨ましい。」とまで言っていた。
母の『人を見る目』をひどく疑う台詞だった。
あんなことを子供にする気持ち悪い男がそんなに羨ましいのか、と。

それからすぐだったろうか、親戚の一番若い夫婦に子供ができた。
彼らには、そしてお腹の従妹には申し訳ないが、なんだか気持ちが悪かった。
余所の妊婦さんやそのご主人に対しては感じなかった『気持ち悪さ』を、
身内である人達に感じてしまう。
愛し合う二人が行う子供のできる行為自体は、否定する気は無かったが、
それが大切なことだというのは理解していたのだが。
その後も、母の弟達に子供が何人か生まれたが、
やはりその都度、気持ちが悪いと思う自分がいた。
たぶん『おじ』という人達とそういう行為をした、
ということに対して『気持ち悪い』と感じるようになってしまったのだと思う。
その証拠に、従妹達に子供ができても、気持ち悪さは感じない。
少し大きくなったお腹を「さわっていい?」と自分から触りにいくくらいだ。

たぶん、私のような経験をした女の子は沢山いる。
もっとひどい経験をした子も沢山いると思う。

私は、そんなとき、誰も自分の味方になってくれないとわかっていたからこそ、
誰にも言う事はできなかった。
それに、自分が何もできなかったことに、そんな目に遭ったことに、
ひどく屈辱を覚えて、更に誰かに言う事なんてとてもできなかった。
例え、言ったとして、気が付かなくてごめん、と謝られたとしても
何の救いにもならないだろう。

ずっと誰にも言えなかった。
ずっとあのときのことは消えなかったし、あのとき感じた嫌悪と屈辱をも忘れられないでいる。

だが、
主人と知り合ったとき、何の拍子にか、ぽつりと言った。
「子供の頃、叔父さんに悪戯されて、気持ち悪かった。
ずっと忘れられない。ずっと覚えてる。」
と言ったと思う。
それを聞いた途端、主人は形相を変え、大声で言った。
「ぶっ殺してやる!!!」
それを聞いた途端、泣きたくなった。
こんな風に誰かに怒って欲しかったんだ、と思った。
私は幸せだと思った。
私が一番想っている大切な人が、そう言ってくれたから。

それでも、あのときのことは消えてはいかない。
性被害の記事を読むと、あのときのことを思い出して、
被害にあったひとは、どんなに辛かっただろうと思う。
たぶん、私の様に、一生忘れられないんだと思う。
それを背負って生きていくのだと。

彼女達に、いや、今は女性だけじゃなく、男性も被害に遭うので、
被害にあった全ての人に、寄り添ってくれる人が、怒ってくれる人が
一人でもいてくれればと思う。
それだけでも、救われると思う。

それでも、一生忘れることはない。

今は、その『叔父』なる人物はいない。
不倫して、叔母と離婚したので、もう二度と会うことはなくなった。

それでも、一生忘れることはない。







拍手[0回]

保育園

保育園、大嫌いでしたね。
いじめられたとか、
先生が嫌いだったとか、
そういうことは一切ありませんでしたが、
あの、『檻の中』という閉塞感がすごく嫌でした。
自由が何もないのが、とてつもなく嫌でした。
あれをやりましょう
これをやりましょう
何が楽しかったんですかね?
お友達と遊ぶこと?
楽しかった記憶は何も無いです。
『お友達』の顔も名前も覚えてないです。
もしかしたら、いなかったのかもしれません。

早くお迎えがこないか、ずっと考えてましたね。
そんなことはないとわかってはおりましたが。
早く檻から出て行きたいのに、母のお迎えは常に最後の方。
一人、また一人とお迎えが来て、取り残される心細さ。

つい最近、yahoo!の記事に
『保育園や幼稚園に行くのを嫌がる我が子、どうしたらいい?』
というのがあって、要は、
「慣れるので、心を鬼にして連れて行きましょう。
そして、ほっておきましょう。」
という結論でした。

それを読んで思ったこと。
慣れないって!
子供、馬鹿にしてんのか!
親になると、自分が子供の頃のこと、みんな忘れちゃうんですかね?
そりゃ、保育園がとても楽しかったという思い出のある親ならまだしも。

私はだまし討ちだったので、余計だったんでしょうね。
父の稼ぎだけでは食べていけなかったので、
母も働きにでることになり、
私は昼間だけ、父方の叔母のところに預けられることになりました。
実際は、叔母の家の近くの保育園に預けられることになった、のですが。
私からすればまさに「話が違う」ですよ。
何年無駄になったんでしょうね?
嫌だった記憶しか残ってないです。
いつも泣いてました。
何か訴えたとしても、大人には何の抗議にもなりませんから。
「じゃあ、どうしたいの?」
「おうちにいる。」
と言うと、
「そんなことできるわけないでしょう!」
と怒られて終わり。
泣いてもひどく怒られましたけどね。
悔しかったですよ。
悔しさの分だけ涙が出てきて、なのに何も言えない。
言ったとしてもわかってもらえない。
行かない!とハンストを起こしたとしても、
怒られて怒鳴られてひどいときには叩かれて終わり。

そこは幼稚園も一緒の保育園だったので、
お昼に帰った子が、金網の向こうで手を振るんですよ。
「これから、〇〇ちゃんの所へ遊びに行くんだ。」
って。
そのときの気持ちといえば。
羨ましくて、惨めで、情けなくて、なんて不公平なんだろう、と。
子供ながら、そこまで思いましたね。
そして、遠くの保育園に通っていた私には、
家の近くに友達がいませんでした。
「〇〇ちゃんの所に遊びに行く」などという台詞も言えませんでした。
なので、休みの日も外で一人で遊んでました。
家の中にいると、怒られることが多かったので。

怒られて泣いてる自分ばかり覚えてます。
楽しかったことも沢山あったはずなのですがね。



拍手[0回]