忍者ブログ

昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

好きだった人のことを思い出す。
最初からずっと、私の方が好きだった、と思う。
だけど、その人の元を自分から離れた。
お前は家族じゃないと、私の中で一番大切で愛する人に、言われたから。
それでも、好きだったから、そばにいた。
だけど、空しかった。
自分が、その人の中で一番だと思っていた。
でも、なんのことはない、その人にとっては家族ですらなかった。

このまま、一生いなくちゃいけないのかと思った。
二番目どころではなく、三番目以下の私。
一生、誰の一番にもなれずに。


雪が降った日、窓を細く開けて、ぼんやり雪が降るのを見ていた。
寒かった。
灰色のベランダが、白く染まっていく。

このままで生きていかなくちゃいけないのかと、思った。
誰の一番でもない人間として。
誰のためではなく、自分のために生きればいいじゃないか。
無理矢理そう思い直して、窓を閉めた。
体は寒くなくなったが、心は寒いままだった。

自分のために生きよう。
そう決めたはずなのに、やはり、その人のそばにいるのがつらくなった。
職場の人間関係で悩んでいても、私の話はあまり聞いてくれなかった。
いつもテレビに夢中だった。

結局、自分からその人の元を去ることになったのだが。


今、あの人はどうしているのだろう。
あのとき、あの人が迷わず『家族』と言い切った人と暮らすと言っていた。
他人は裏切るからいやだと、もう、恋愛も結婚もしないと、怒りを露わにして言っていた。
自分が、お前は家族じゃないと言ったくせに。
お前は一番じゃないと言ったくせに。
なのに、私の中で、自分が一番じゃなくなったら、そうやって怒るんだね。


でも。
また恋愛をして、結婚もしてくれていればいいと思う。
私より、ずっとずっと懐の大きな人と暮らして、
その人との子供を抱っこして、笑っていてくれていればいいと思う。
そうであって欲しいと思う。

きっと今は、私の願った通りになっていると思う。
誰かと結婚して、子供がいて、奥さんに怒られたり、
不機嫌になったり、それでも笑ったりしながら、生きているだろう。

今となっては、知ることはできないが。
それでいいと思う。
それでいいと、思う。



拍手[0回]

PR

昔のこと

高校のときの友人は、5人姉妹だった。
女ばかり5人だという。
男の子ができるまでと思ったんだろうなぁと思っていたら、
そうだと友人は言った。

あるとき、友人が
「お母さんが手術をする。」
と言った。
どこか悪いのかと問うと、
もう子供ができない手術をする、と言う。
深くは訊かなかったが、
当時はピルという方法は皆無に等しく、
男性側のコンドームか、
女性側のリングとか、そういう方法しかなかったと思う。

「え?なんで?手術までする必要あるの?」
と他人の御家庭のことなのに踏み込んで訊いたと思う。
「知らない。」
と友人は答えた。

このとき私が思ったのは、
そんなに四六時中してるの?
時々だったら、お父さんがコンドームすればいいんじゃないの?
卵巣とか子宮とか、そんなデリケートなところをいじって大丈夫なの?
ホルモンとかそういうのは大丈夫なの?
あと何年かすれば、生理もなくなる歳だろうに、なんで?
本気で心配になっていた。
お父さん、ゴムするのめんどくさいとか、
気持ちよくないとか、そんな理由で奥さんに手術させるんじゃないの?
考えてるうちに、なんだかとても腹が立った。
自分にはリスクなく、高みの見物かよ。
そして言い放った。
「お父さんの方がすりゃいいんじゃん!」
友人は困った顔をしていたと思う。
以前、友人が言っていた。
女が6人もいるけど、父の言葉は絶対だ、と。
その言葉には従わなければならない、と。
友人の家は、たぶん、裕福で、稼ぎのあるお父さんは、
絶対の権力をもっていたのだろうと思う。

私の父も、高度なモラハラ男なので、
そのときは、まぁ、父親なんてそんなもんかな、程度だったのだが、
夫婦間のそういうデリケートな問題を、妻に丸投げというのが、納得できなかった。
睾丸を取ってしまえ!とまでは思わなかったが、なんだかもやもやした。

他人の御家庭のご夫婦のことで、
水面下での話し合いが持たれた結果、こういうことになったのかもしれないので、
それ以上は何も言わなかった。
友人も、その話題にはそれ以上触れて欲しくなかったようだった。
何か、思うところがあったのかもと思う。

ピルは、当時もあった。
あったけど、そうそう手に入るものじゃなかった。
今くらいにピルが手に入れば、
友人のお母さんもそんな手術をしなくても済んだろうと思う。

当時よく聴いていたアルバムを久しぶりに聴いていたら、ふと思い出したことだった。

そして、当時はなんとも思わなかったが、その中のある曲の歌詞を聴いていたら、
この「思い(歌詞)」を伝えられても、心の中で思われてても、かなり怖い・・・(;゜ロ゜)
と思った。



拍手[0回]

4回目のワクチン

先月の終わり頃、4回目のワクチンをうってきました。
コーギー幸湖さんの幹細胞治療が一段落したので、
主人がそろそろうってきなさいと予約を入れてくれました。

今回はモデルナです。
ファイザー ファイザー ファイザーときて、モデルナ。
ここでも書きましたが、3回目接種の副反応はきつかった。
以前、原因不明の38.2℃の発熱が毎日続き、
それでも仕事に行っていたので、
38.2℃くらいの発熱なら容易に耐えられますが、
あのひどい頭痛と吐き気は勘弁して欲しい(T-T)
4回目もあれだったら、いやだな・・

結果、わりと早いうちから腕が痛くなったので、
明日はどうなるのだろうと、楽しみ・・
いや、警戒しておりました。

問診のとき、少し時間があったので、先生に
「副反応はどうでしたか?」
とにこやかに訊かれました。
「3回目ひどかったです。
治まるのに4日かかりました。」
と言ったら、
「3日かかったとは聞いたことがありますが、4日はないですね。」
と、驚かれました。

しかし。
期待の4回目の副反応。
次の日、起きたときも、腕が痛いだけ。
午前中も腕が痛いだけ。
ただ、お昼近くなると、熱が37.4℃まで上がり、
すごく怠くなりました。
椅子に座ったまま、ぐったり。
変性脊髄症だろうと言われ、
4つ足で立ち上がれなくなった幸湖さんを残してベッドに向かうわけにも行かず、
椅子にぐったりで過ごす。
その間、熱は37.2と37.4の間を行ったり来たりしていました。

再び、しかし。
夜、お風呂に入って出てきた途端、
全てが正常に戻ったぁ!
熱も下がり、怠いのも全て吹っ飛んでいき、副反応は終わりを告げました。

今回、一番軽かったよね。


1週間後、主人が4回目をうちました。
モデルナ×4です。
その日の夜から、なんだか怠そうでしたね。

以前は
「8時間以上寝ないと保たない!」
と豪語していた主人は、今では、休みの時間が勿体ない!と叫んで、
休みの日は、朝は私よりもずっと早く起きます。
その主人が、
「起きられない・・」
と言って、ずっと寝てました。
体温は、既に37.4℃。
主人は熱があまり出ない体質らしいのですが、
今回は38.4℃まで出て、
「こんなに熱が出たのは、生まれて初めてだー」
と、言ってました。

お昼、寝室に様子を見に行く。
私は休みの日は、動かないせいかあまりお腹が空きません。
ただ、見ると食べたくなるので、目が食べたいんだなぁと思ってます。
寝室を覗くと、目は開いてるらしい。
「お腹空かない?
おじやかなんか作るよ。」
というと、
「起きる。起きてご飯作るよ。」
と言って起き上がる主人。
『寝てていいよ。」
と言っても、
「起きる。」
と言って起きてくる。

我が家では、私はご飯の支度をしません。
私は食べ物に執着がないので、料理することがかなり苦痛です。
何か美味しい物食べたいなーと思っても、
その美味しい物が思いつかないのです。
ステーキ?お寿司?ケーキ?
考えているうちに、
「まぁ、いいや。」
と、なってしまい、結局は主人に無理矢理食べさせられます。

お昼ご飯の後、主人はずっと起きてましたが、
「風邪をひいたときのようだ。
えらくつらい。」
と言いながら、時々鼻をすすったり、咳をしたりして、
パソコンにむかってゲームをしてました。

しかし
お風呂から出てきた途端、
「回復した!」
と叫んでおりました。
「風邪っぽいのも、怠いのも治ったし、熱も下がった!」
お風呂に入ると、副反応、なくなるのかしら(^0^;)

主人は4回目が一番つらかったと申しております。
私は、4回目が一番楽でしたね。





拍手[0回]

好かれないことも、嫌われることも慣れてるから

いつか、主人に言った言葉だ。
「好かれないことも、嫌われることも慣れてるから」

父は、自分がこの世で一番優れていると思っている。
間違うことはないと、思い込んでいる。
自分と違う意見や好みを持つ人間を、親の敵のように嫌う。
非難して、罵詈雑言を並べる。
かなり聞き苦しいし、見苦しい。
これが自分の親かと、自分が恐れて従ってきた人間かと思うと、情けなくて惨めだ。

だが、子供の頃は、自分もこうだったと気が付いた。
何一つ優れたものがないのに、
容姿も頭も、何一つ優れたものがないのに、
自分は特別だと思っていた。

誰にも好かれなくて当たり前だ。
嫌われて、当たり前だ。

あのとき、自然に口から出た。
「好かれないことも、嫌われることも慣れてるから」
慣れてなどいないけど、そういう思いには慣れている。
心の底では自分が悪いのに、そうわかっているのに、見えないフリをしてた。
感じないフリをした。

それでも、少しずつでも、自分には何一つ優れたものなどないと、
特別な存在ではないということに目を向けてきた。
上には上がいて、決して頂点などに立てないのだと。
だから、少しずつ何かをできるように歩いてきた。
そのつもりだった。

だが。
『お前の人生は何の価値もなかった』
と思い知らされた。
あがいてみても、何も進みはしないと、思い知らされた。


ただ
昨日、インスタにあげた私のイラストに、いいねをしてくださった方がいて、嬉しかった。
それだけで、救われた気がした。

いいのかな、と思った。
少しは、前に進めているのかな。


拍手[0回]

価値の無い人生

9月に、ある知らせがきて、その内容を読んだとき、
『お前の今までの人生は何の価値も無い』
と言われた気がして、ずっと立ち直れなかった。
今も、引きずっている。

確かに、がむしゃらに生きてきたわけではないかもしれない。
一生懸命生きてきたわけでもないかもしれない。
それでも、順風満帆な人生では無かったし、自分なりに頑張ってはきたと思う。

だが、
『お前の人生は何の意味も無かった。』
と。


子供の頃、母によく怒られた。
「教室の中で、一人だけ、手を挙げない。」
と。
「沢山の子達の中に入ると、この人、後ろに下がるのよ。」
とか、不満げに親戚に言いまくる。
神経質だとか、引っ込み思案だとか、さんざん人前でこき下ろされたが、
結局は、母が、そうなるように私を育てたということを、つい最近知った。
いつも怒られて、常に両親の顔色をうかがっているような子供が、
自信たっぷりに人前で話したり、どんどん前に出ていけるようになれるかよ、って。
母は、積極的で、人を押しのけてまで前へ進んでいく子にしたかったんだろうが、
全部逆効果だったわけだ。
今になって、いや、今までずっと、生き辛かった。

もっと友達と遊びたかった。
なのに、塾や書道教室に通わされ。
もっとお洒落したかった。
普通の中学生や高校生のように、生きていきたかった。

父に対する考えが変わったとき、足下を掬われるようだった。
あんな人間を恐れ、従い、そして我慢を強いられてきた自分が、とても惨めに思えた。

もっと好きに生きればよかった。

さんざんこき下ろされて、我慢して生きてきた結果が、
無価値な人生だったわけだ。


イラストを描くのが好きで、
それで作った作品を通販サイトで販売しているが、ほとんど売れることはない。
Twitterにあげるのがいいとあっても、
フォローしてくださってる方に、私の作品を買ってください、と、
どしどし流すのも、おこがましい気がして、利用していない。
インスタに投稿してみても、見に来る人はいない。
いくつかの通販サイトを利用しているので、まとめのブログを作ってみたが、
だいたいそれを見に来る人がいない。

何をやっても、だめなんだなぁ・・

だから、お前の今までの人生は何の価値も無い、と

ずっと一人で考えていたことを、昨日主人に話した。
無価値だと言われた気がしたこと。
作品を作って販売しても売れないこと。
色々試してみても、だめなこと。

主人は、
「何のためにイラストを描いたり、作品を作ったりしてるのか。」
と言う。
「誰かに認めてもらいたいのか。誰かに認めてもらうためにしているわけじゃないでしょう?」
と。

イラストも作品も、好きで描いたり作ったりしてるよ。
描きたいから描いてるし、作りたいから作ってる。
描いてるのが、楽しい、というか、思い通りに描けないと、すごく苦しいけど、
完成したときがすごく嬉しいんだよ。
作品も同じ。
みんなに評価されたいわけじゃない。
みんなに認めて欲しいわけじゃ無い。

でも。
唯一、私が作り出せるものは、もうこれしかなくて、
将来、今の職業が続けられなくなったとき、
もうこれを売って生きていくしかないんだよ。
だから、それを認めてもらわないといけないんだよ。

でも、こんな風に、誰も見に来てもくれないんじゃ、
一生懸命になったって、無駄だよね。
何もかも、今までの人生もこれからの人生も、無意味で無価値で無駄。

主人は、返答に困っていた。
答えなくてもいいんだよ。
答えを聞きたいわけじゃない。

ずっと変わらないよ。
何もかも。
何もいいことはない。
これからも。











拍手[0回]