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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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今頃になって

昨日、父親と喧嘩した。

7月に母が乳癌になって、手術をした。
前からなのだが、少し母には痴呆が入って来ていて、
普通に受け答えができ、身の回りのことはちゃんとできる。
だが、食事を作ったり、掃除をしたりが、できなくなってしまったようだ。
これは、痴呆が云々というより、
体が弱ってしまったため、
素早く動いて、料理をしたりすることができなくなってしまったから、
というのもあると思う。

それでも、
3~4日前、母が一人で急に来た。
「お父さんがいるとうるさいから、
いないうちに出てきた。」
と。
母の実家から送ってきたという『わさびの花漬け』を
「一つあげようと思って。」
と持ってきてくれたのはいいのだが、
案の定、賞味期限が半年も切れている。
それでも、ありがとうと受け取った。
「切れてても食べられるよ」、
というより、
「送ってきたばかりだから、期限が切れているわけがない。」
これだろうと思う。
母にしてみると、送ってきたのは「つい最近」という認識なのだろう。
たぶん、本当に送ってきたのは、もう1年近く前だと想像する。

うちの玄関は、少し上がり口が高い。
母は、それが上れないのだ。
お尻を押して上らせ、スリッパを履かす。
お茶を淹れて、少し話をする。
「具合はどうか。」と訊くと、「私は元気だよ。」という。
「胸、片方なくなっちゃって、悲しくない?」
なんて、少し意地悪な質問をする。
「全然なくなったわけじゃないよ、少し残ってる。」
上着をめくって見せてくれる。
コルセットのようなブラのなくなったはずの胸のあたりが、
少し膨らんでいた。
「脇の方だけとったね。」
お茶を飲み干すと、
「お父さんが帰ってるとうるさいから、
もう帰るよ。」
と、15分いたかどうかで、もう腰を上げて、
玄関に向かって行った。

うちの、コーギー幸湖さんは、『変性性脊椎症』と診断されていて、
発症してから、もう1年と4ヶ月経っている。
それを母には伝えてあった。
それも気になって、様子を見に来たらしい。

変性性脊椎症は、だいたい1年位で、死に至るそうだ。
だが、幸湖さんは、既に四つ足で立つことはできないが、
前足だけで匍匐前進をして、とても速く進める。
が、後ろ足で立てないので、
トイレは、後ろ足をそろえて
下半身は寝っ転がっている状態でするので、
お尻を拭いてやらないといけないから、
と、両親には伝えてあった。


昨日、父から電話があった。
「お母さん、俺が帰ってきたらいなくなってて、
心配したよ。」
そこまではよかった。
「あいつは、駄目だ。」
何が駄目なんだ?
あんたがうるさいから、モラハラだから、
お母さんは黙ってあんたのいないときに、出てきたんじゃないのか。
なんでそうなのかを、何故考えないのかがわからない。
自分が悪いという考えは、何一つ浮かばないところが、
あんたの異常なところだ。

「あんただって、悪いよ。
具合はどうだとか、電話くらいするのが本当だろう。
あんたの親だよ。」
始まった。
自分はどうなんだと言いたい。
こちらは、主人が忙しくて、メンタルやられてるから、
ということも伝えてあり、
つい最近、嬉しくもない私の誕生日もあったのだが、
大丈夫かでも、おめでとうの電話もよこさないくせに、
自分のところには、電話をよこせ、と。

前に、あんまり「ずっと悩んでて、俺は疲れた」と、
同じことを何度も繰り返しぐずぐず言うものだから、
「私にだって悩みはあるんだよ。」
と言ったら、
「お前の悩みなんてたいしたことない!」
と、平然と言われた。
俺の悩みは、お前のと違って重大だから、
俺の手助けをしろ、俺の悩みをなんとかしろ、と?
やなこった。
そんなことを平然と言う人間とは、
お付き合いしたくないです。
悩みを解決するためのことは、何もしないで、
ぐずぐず文句を言うだけ。
定年してから、どんだけ経つと思ってるんだろ。
毎日毎日、何してきたんだろう?

「お父さん、すぐ文句言うから電話したくないんだ。」
いつもは流して終わりだが、昨日はそう言ってやった。
「だったら、ここにあるお前の物を捨ててやる!」
って、言うぞ。
と思ったら、案の定、言い出したので、
「はいはい!さようなら!」
と言って、電話をきった。
捨てればいいさ。
そんなもので、あんたに縛られて生きていたくないよ。


自分の思い通りにならないと、
怒鳴ったり、物を壊したり、
挙げ句の果てには、平手で顔を思い切り殴ったりする。
そういう親に育てられて、
私は、すごく生き辛かった。
自分の好きな物を好きだって言えないのって、
おかしいでしょ。

もう、あんたのことは知らん。

母も、私を自分の一部としてしか考えてくれなかった。
自分ができなかったことを、私に押しつけた。
私はあんたじゃない。


「キビシク育てられたのね」、と主人の母は言ったが、
厳しく?
あんなの、躾じゃないよ。
私を一人の人間として見てないんだから。
父親は道具、母親は自分の一部

今頃になって、毒親に育てられたんだと理解した。
そして、自分は、アダルトチルドレンだと。

インナーチャイルドを癒やせ、と、
カウンセリングの本には書いてあるが、
「大丈夫だよ。」
なんて、今の自分が言ってあげることはできない。
「お前だって、汚いんだ。」
と、思ってる。
聖人君子な顔をして、私は傷ついているなんて、
どの面さげて言えるんだと思ってる。
お前だって、誰かを傷つけて生きてきたんだ。
自分が恵まれないから、恵まれた他人を羨み、
自分に何もないから、持ってる他人を憎み、
自分ができないから、できる他人を恨む。

上を見ればキリがなく、下を見ればキリがない。


ただ、一つだけ、幸福なことがある。
主人に巡り会えたこと。
こんな私を拾ってくれた主人には、
とてもとても感謝している。
主人と幸湖さんがいれば、まだ生きていける。
例え、幸湖さんが虹の橋の麓へ逝ってしまったとしても、
まだ、主人がいてくれる。

それだけが、救い。









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