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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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自覚なし

『父』と呼ぶには、あまりにも抵抗があるので、
前回はとうとう『人外』などと書いてしまったが、
『物』のように扱うには、まるで『人』には見えないようにしているようで、
更に腹が立つので、いっそAさんと呼ぶのがいいのではないかと。


私がAさんと言い争いをした次の日、
主人は3回目のワクチンをうった帰りに、実家へ寄った。
どういう思惑で寄ったのかは、訊かなかったが、
私がどんな思いをずっと抱いてきたのかを、Aさんに話したかったのだと思う。

主人の顔を見るなり、いきなり喧嘩腰だったそうだ。
「何しにきた。」
という態度がありありだったそうだ。
第一声が、
「なんで連れてこなかったんだ!
ぶん殴ってやろうと思ってたのに!」
行くかよ。
顔も見たくないし、声も聞きたくないんだよ。
だいたい、何で行かなきゃいけないんだ?
何を期待してるんだろう。
主人がAさんの味方をして、私に説教して、一緒に謝りにくるってことをか?
んなわけないだろうよ。
ぶん殴ったら、ぶん殴り返されるってことを考えてないところが、
またおかしい。
殴られたら、警察に通報するけどね。
と、主人の話をここまで聞いて、そう言ったら、
「言ったよ。『そんなことをしたら、警察に捕まりますよ。』」
とAさんに言ったそうだ。
「いいよ、別に。もうこんな歳だし。」
の返答に、
「『そんなことは思ってもいないでしょう?』と言ってやったよ。」
えらい!
殴られたからって、主人や私が通報しないと思ってるところが、また甘いよね。
それくらい嫌われて軽蔑されていると思ってないところがおめでたいね。
「お前は、子供の頃、お父さんやお母さんに殴られたことはないのか。」
と、言われたから、
「私のお父さんもお母さんも、一度も私を殴ったことはないですよ。」
と返したら、
「『そんなあまちゃんだから、なんとかかんとか』って言ってたよ。」
挙げ句の果てに、
「あの頃は、子供は親に殴られて育ったんだ。」
と、言ったそうだ。

高校のとき、担任の先生に
「親に殴られたことがある者、手を挙げて。」
と言われて、手を挙げた。
だが、挙げられた手の数が私を入れて、3本しかなかった。
50人近いクラスで、3本って。
もっと沢山の手が挙がると思っていたので、かなり衝撃だった。
なので、Aさんの言う、
「あの頃は、親が子供を殴って育てた。」
という言動は、全くの誤りということになる。

私が、鼻で笑うと、
「親ガチャにはずれたね。」
主人は、さらっと言った。
「元々、人としてじゃなくて道具として産まれることを期待されてたからね。」
さらっと返した。
主人の言葉に傷つくこともなく、自分の言葉に憐憫の思いもない。
もう決定された事実でしかない。

私はずっと、抑圧されて生きてきたのだと、
主人は淡々と、懇々と両親に話して聞かせたそうだ。
聞き終わったときの返答が、
「ずっと自由にさせてきたのに。」

「全然自覚がないんだよ。」
私に、両親との話し合いの結果を全て話し終えると、主人はそう締めくくった。
「わかってた。だめだね。」

だいたい、主人のことを『お前』と呼ぶこと自体、失礼だろう。
私もさんざんAさんを『お前』呼ばわりしたが。
主人のことを下に見ていて、俺は『お前』よりずっと上なんだ、と信じて疑わず、
『お前』と呼んで威嚇するところが、全くもって許せん!
そして、それを主人と私に読まれる馬鹿さが恥ずかしい。
なぜそんなに『俺様一番!』じゃないといられないんだろう。
本当に一番の人は、ここぞというときに出て行って、
きちんと始末をつける人なんじゃないのか。


Aさんとは話しても無駄なことはよくわかっていた。
自分に都合が悪くなると、怒鳴る。
更に話を続けようとすると、
「うるせぇ!」
と言って、聞こうとしない。
そのうち、手が飛んでくるか、物が飛んでくるかだ。
母は抗うのを止めてしまったが、私は嫌だった。

母は、モラハラ男に腹を立ててたと思う。
ただ、あの人は、誰かのせいにして生きるのが楽だと、心のどこかで思っていたに違いない。
「お父さんが嫌がるから、〇〇はしない。」
「あんたがいたから、お父さんと別れることができなかった。」
「お母さんのお父さんとお母さんがこう言うから、こうしてた。」
そんなことをずっと聞かされて育ってきて、お母さんは不自由で可哀想だなと思っていたが、
今考えると、
「お父さんが怒るから。」
が、免罪符だったのだろうと思う。
自分の人生を、自分の時間を、自分で決められないって、どうなの?
「お父さんと別れたって、お母さんは一人で生きていける。」
と、常に言っていた。
なら、嫌なら、さっさと別れて自立すればよかったのに。
その方が、今、どんなに幸せだったことか。
それをしなかったということは、楽だったんだろうよ。

Aさんと決別しようと、争ったとき、
母を擁護したような言い方しかできなかったが、
実は、心の中では、自業自得だと思っていた。
ただ、そこに一緒にいたから、なるべく母を擁護する言い方をしただけだ。
私の怒りは、
自分は母のことを『あんな女』と言うくせに、
私には『あんたのお母さん』なんだから、心配しろ、というところだ。
そして、俺様がこんなゴミ捨てとか、掃除とか、買い物とか
『一人で!』全部やってるのだから、お前なんとかしろ、
というところだ。
なんとかしてやるわけないじゃん。
動けないならまだしも、普通に動けるんだから。
「当たり前だよ!お母さんができないんだったら、やるのが当たり前でしょ。
お母さんは今まで、全部一人でやってきたんだよ。
何を言ってるんだか。」
と言ってやったら、怒り心頭に発していた。
主人にも同じ事を言ったそうだ。
「そんなの当たり前ですよ。」
とやっぱり返したそうだ。
そうだよ、普通に当たり前だよ。
まぁ、主人は、家事一般全てこなせて、
自らすすんで動く人なので(シ_ _)シ  ハハァーー

更に怒り倍増なところは、
「それと察して、俺様が困らないように、喜ぶように動け。」
というところだ。
お願いしますとは言わないくせに、
ぐちぐち気に入らない事について文句を言う。
わけもなく怒る。
挙げ句の果てには、
「全然言う事をきかないから!」
と切れる。
何も頼まれていないこちらとしては、
「わっけわからん。」
だいたい、
「言う事をきかない。」
とは何事だ。

主人は、
「頭が老化しちゃったのか、発達障害なのかわからんけど、
すぐ怒るし、こっちが「まぁ、冷静に話しましょう」って言うと、
「ああ、うん。」ってなるんだけどね。
でも、自分に都合が悪くなると、必ず話をそらすんだよ。」
発達障害ではないと思う。
母もカサンドラではないし。
ただ、超自分勝手なモラハラ男なだけだと思う。
自分の言う事は正論だから、口に出して言っても大丈夫。
言われた方は、言ってくれてありがとうと感謝するか、
嫌な事でも、俺の言う事は間違ってないんだから笑って許すのが当たり前。
それがAさんの基準なので、
こう言ったら、相手が傷つくんじゃないか、
こういう言い方したら、まずいんじゃないか、と考えることは一切なし。
なので、同じ言い方をして、思い切りキズつけてやろうとしたのですが。
最初から最後まで自分が正しいと思い込んでる奴には、
効かない手法でしたね。
怒りを煽っただけでした。
まだ私が謝ってくると思ってるんだもんね。
おめでたいね。

前のだんなと離婚したときも、
アテにならんと思ったので、
黙って離婚したら、親に相談もなく勝手に離婚していなくなったと、
えらい剣幕で電話してきて、
自分達のメンツとか、余計な心配させられたとか勝手に怒鳴って、
自分達がどんなに驚いたかとか、ツラい思いをしたとかいう話ばかりしていて、
私の気持ちは、何一つ考えてなかったね。
相談しなかったのは、相談する価値があんたらにはないからだよ。
なんでそれがわからんのだ?
ツライ思いしてたんだねぇ、離婚までして、大変だったねって、
まず言うのが親じゃないのかよ?
そんな風に言ってくれる親だったら、最初から相談してるがね。
それから、着信拒否にしていたけど、
公衆電話から電話してきて、詫びが入ったので、そのときは許したが。
喉元過ぎれば、だねぇ。

主人の母がすごく心配して、話もちゃんと聞いてくれました。
お義母さんが、お義母さんでよかった。





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とうとう

先日、父と決定的に決裂した。

しばらくこなかった電話がきて、出た瞬間、
「あんたたち、どうなってんの?」
とえらく不満げな声。
「お正月も来ないし、何も言ってこないのはどういうわけ?」
お正月に行くなんて一言も言ってないし、言われてもいない。
なんのこっちゃと思っていると、いつもの怒り文句が始まった。
黙って聞いていると、さんざん怒鳴り散らした後に、
「お母さんなんて、朝からずっとソファーでひっくり返ってるよ。」
そんなのいつものことじゃんと内心思っていた。
母が自分よりも遅くまで寝ていることが気に入らないらしく、
いつも怒って母を起こすようだ。
なので、母はソファーでうたた寝をすることがよくある。
今回もそれを言っているのだろうと思っていたのだが、
実は違っていた。
さんざん文句を言った後、
「で、どうなの?」
と言われたので、
「どうなのって、コロナが流行ってるから行かないよ。」
と答えた。
「もうお前には頼まない!」
そう言い捨てて父は電話を切った。
何も頼まれてないし。
この人おかしいと、心の底から思った。

後に、主人の母に聞いたところによると、
このとき、本当に母は危なかったそうだ。
何度呼んでも応答はなく、本当にこのまま死んでしまうかと思ったそうだ。
実際は次の日の朝には、復活していたそうなのだが。
それを聞いたとき、ただ一言、
「お母さんの様子がおかしいから、ちょっと来て。」
と言えば済むことなのに、感情で文句を言って、
肝心なことは何も言わないことが信じられないし、理解不能だと思った。
次の日復活したからいいものの、もし死んでしまったら、
もし、脳梗塞などになってて寝たきりになってしまったら、
どうするつもりだったんだろう。

先日、再び電話が来て、また私の弱点と言うべきことをついてきた。
そこをつけば、私が言うことをきくだろうとふんでのことだ。
嫌な奴だ。
本当に親なのか。
私を一人の人間とはみていない。
単なる道具としかみていない証拠だ。
でも、その弱点は、本当は弱点じゃない。
本当のことを忘れているだけだ。
自分達、特に母が言ったことをすっかり忘れてしまったようだ。
それを指摘すると、
「嘘をつけ!そんなこと言うはずがないだろう!」
今度は嘘つき呼ばわりだ。
「お母さんが言ったんだよ。」
「あの馬鹿と俺は違う!」
『あの馬鹿』?
自分の女房を馬鹿呼ばわりか。
家事も育児も、全部一人でこなして、
自分が病気になったとき、
病院に毎日通ってくれた女房を馬鹿呼ばわりかよ。
その間、父は怒鳴りっぱなしだった。
「もういい!うるさい!うるさい!!」
と言って、電話を切った。

その後、母が家に来た。
「お母さん、そんなこと言わないと思うけど。」
それを言いに来たのか。
父に相当問い詰められたのだろう。
「言ったんだよ。
だけどそれじゃまずいからって、こうしようって、こっちが提案して、
今のように決まったんだよ。」
「そうだっけ?」
「そうだよ。」
母は黙る。
「お父さん、なんなの?あれ。
お母さん、よく頭おかしくならないね。」
と言うと、
「だからさ、お母さんも、もう一人で実家へ帰ろうと思って。
一人で畑でもやって、暮らそうと思ってさ。」
と、母が言ったとき、父が来る。
最初から喧嘩腰だ。
こちらも怒りが頂点まで達している。
父の腕を掴んで、椅子に座らせる。
何故かというと、立たせておくと、すぐに殴るからだ。
殴られたら殴り返す気ではいたが、
ただ、私の場合、非常に目が悪く、殴られると失明する可能性が高いので、
それはできれば避けたかった。
また電話のときの話がむしかえされて、また同じ説明を繰り返す。
「嘘つけ!」
また嘘つき呼ばわりか。
「お母さんがそう言ったんだよ。」
「馬鹿!俺とこいつは違う!」
今まではずっと何を言われても我慢してきた。
どんな場面でも我慢してきた。
この三人の家族で、父はいつも最優先だった。
誰も、何も言わなかった。
何か嫌な事を言われても我慢してきた。
殴られても、ぶたれても我慢してきた。
もう限界だ。
お前なんて、もう親でもなんでもない!
「馬鹿?馬鹿はお前だ。」
目を見て言ってやった。
「いつもいつも感情にまかせて物を言って。
この前だって、お母さん死にそうだったのに、
肝心なこと、何も言わなかったじゃないか。
私には何も通じなかったぞ。」
それを聞いたとき、あろうことかこう言ったのだ。
「死んでないじゃないか!
これが死ぬはずないじゃないか!
今だってここまで歩いて来たんだぞ!」
「今じゃないよ。
この間電話してきたとき、お母さん、死にそうだったんでしょ?
なのに、文句ばっかり言って。
『お母さんの様子がおかしいから、ちょっと来て。』
って、言えば済むことだったのに。
お母さん、本当に死んじゃったら、どうする気だったの?」
「死んでないじゃないか!」
だめだ、こいつ。

私への嫌がらせに、マスクをとって「はーっ」と息を吹きかけるのを見て、
コロナが流行ってるから、親に会いに来ないのは、
我々がコロナをうつされたくないからだ、と勝手に思い込んでいることがわかった。
逆だよ。
我々は、二人とも医療関係者だから、コロナに感染している場合があるからで、
誰かにうつしたくないから、親の家だけじゃなく、
仕事以外どこへも行かないでいるのに。
買い物も車に乗れる主人が週1で行くので、コロナが流行ってから
仕事と本当に必要なとき以外、私は外には出てません。
何度言っても、わかろうとしないので、本当に嫌になる。
それで、全然来ないと文句言われても。
「別にうつされても、もう歳だし。」
と、両親は言うが、
もしコロナに感染したら、知らずに外に出て、誰かにうつすかもしれない、とか、
重症化して、入院することになって、
すごく苦しむかもしれないとか、考えたことないのかね?
ないんだろうな。
そうなったら、同じ医療従事者の方々に、多大なるご迷惑がかかるので、
それも避けたいという、我々の気持ちを慮ってくれなどと言っても、無駄だよね。
両親の周りに感染者がいないということから、
遠い世界のことのように思ってるんだろうな。

幸が四つ足で立てなくなって、
家では床にはマットを全面に敷いているのだが、親の家はフローリングのため、
幸を連れていけなくなった。
フローリングの上では、滑ってしまい、もうお座りすることもできないのだ。
そして、発症から一年位で死ぬと宣告されているのだが、
5月になれば2年生きていることになり、
いつ死んでもおかしくない状態なので、なるべくそばにいてやりたいと思っている。
それも話してあるのだが、俺様一番の奴には理解できないらしい。


私に『馬鹿』と言われて、更にヒートアップして、
母を指さして、
「この馬鹿が!この馬鹿が!」
と、まだ何度も言うので、
「馬鹿はお前の方だって言ってるだろうっ!
全部一人で何でもしてきたお母さんを『馬鹿』とはなんだ!
おまけに、この前何て言った?『あんな女』って言ったんだぞ!
なんだ?『あんな女』って、
お前が病気になったときも、毎日病院に通ったお母さんを、『あんな女』?
心底軽蔑した。
馬鹿はお前だ!ばーかばーか!」
もう『お父さん』なんて呼べなかった
人でもなかった。
人外だった。
「お前」というのも嫌だった。
怒鳴り散らす人外を押して、
「もう帰れ!二度と来るな!」
と言って玄関まで押し返した。
それを感じて、幸が足を引きずりながら追い掛けて来た。
ふんふん鳴きながら、追い掛ける幸の鼻面を、
あの男は、「この馬鹿犬!」と言いながら蹴ったのだった。
もう許せなかった。
「幸には関係ないでしょう!早く出て行け!」
と怒鳴って外へ出させた。
母は、人外の後から少し笑って手を振った。
なんで、あんな人外と一緒にいられるんだろう。
なんで『この馬鹿』とか『あんな女』とか蔑まれても、
一緒に帰ることができるんだろう。
私には理解できない。

幸は。
あの人外と私の間にずっといた。
同じポーズで間にいた。
頑固にそこから動かなかった。
帰った後で、
「ごめんね。」
と謝った。
心静かにさせておいてやりたいのに、ごめんね。
あんなのを、鼻を鳴らして追い掛けていかなくてもいいんだよ。
そして、ありがとね、と言った。
ありがとね。

それを聞いた主人が、私の実家に出掛けたのは、次の日だった。





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戦争

日本からウクライナに義勇軍として70人が行きたいと言ってるという記事を見た。
私は、それがご本人の正義であり、意志ならば反対はしないし、止めもしない。
だが、主人は行かない方がいいと言う。
もしかしたら洗脳されてるかもしれない、
情報操作されて戦地に送り出されたかもしれないロシアの兵を殺すのには反対だと。
戦争なんだよ?
自分の国を護るために戦おうとしてるウクライナの国民の手助けがしたいと、
70人の人達は言ってるんだよ?
と言うと、それで殺しあいをするのは間違ってる、と。
じゃあ、どうすればいいの?と問うと、
「逃げればいい。」
逃げたら国が盗られちゃうんだよ?
それが嫌だから、戦うんでしょ?
「周りの国に逃げて、そこで暮らせばいい。」
戦争や内戦で逃げて来た余所の国の国民は、どう扱われてるよ?
正当に、真っ当に扱われている人もいれば、
難民キャンプやらなんやらに留まって、
不自由に暮らしてる人だっている。
日本沈没後の日本人が、世界に散らばって移住して、その後どうなったよ!
まだ読んでないけどさ。
何を言っても、逃げた方がいい、殺し合いは止めた方がいい。
頑なにそれを主張するので、らしくないし、何でだろう?と思って聞いていると、
第二次世界大戦の話がでてきた。
「アメリカは、日本より人道的だったよ。
ちゃんと戦闘機にさえ危なくなったら脱出できるようになってたけど、
日本は、特攻じゃないか。
死にたくないのに、みんな死ななきゃいけなかった。」
そりゃ、自国の国民に対してだけだよ。
アメリカからしたら、日本人なんてたぶん虫と一緒だったよ。
今は民間人が死ねばわーわー騒がれるけど、本土に来て、
焼夷弾や機銃掃射で、どんだけ一般の日本人が殺されたよ?
挙げ句の果てには、核を二回も落として、
「戦争を早く終わらせるために落とした。」
って、どの口が言うんだよ!今もしゃーしゃーと言ってるんだよ!
どんだけ死んだよ?
この国が、どんだけぐしゃぐしゃになったよ?
「アメリカだって、本当にこれでいいのかって悩んでたじゃないか!
一緒に観たでしょう?
核だって、本当に落としてもいいのかって、悩んで。」
悩む位なら、やめときゃよかったじゃん。
主人には言わなかったけど、核を落としたのだって、
日本人を救いたかったわけじゃなくて、
この戦争で、自国の国民が、これ以上戦死しなくていいように、だったじゃないか。
戦争になったら、相手の国の人間なんて、虫と同じだよ。
向かってくるのは、ゾンビと同じ。
やらなきゃやられる。
日本人だって、きっとそう思ってた。
アメリカ人だって、全員がそう思ってたわけじゃないと思う。
それは、よくわかってる。
「もう、戦争で誰も死んで欲しくないんだよ。」
それは、そうだろう。
それで済む方法があるのなら、そちらを選ぶだろう。
「だから、逃げればいい。」
国が無くなっても?
「うん。ここは自分の土地って、なんで思ってるの?
勝手にそう決めただけでしょう?
俺は今まで住んだ所に愛着はないし、どこに行っても平気。」
と言う。
それは、普通に暮らせればの話だろうと思う。
わからん。
戦争で、国を盗られてしまうということが、何を意味するか、
深く考えた結果なんだろうか。
「国の頭が替わって、返してくれるかもしれないし。
先のことはどうなるかわからないじゃない。」
返ってくるわけないじゃん!
どんなに頭が替わったって、返すわけないじゃんか。
北方領土、返ってきたか?
あれから、どんだけ経ったよ?
頭が何人替わったよ?
未だに返ってこないじゃんか。
なんで、そんなに国を盗られてまでも逃げることに固執するんだろう?
わからん。
確かに、人命を守るという観点からすると、それは正しいとは思うが。

「艦これを始めるまで、第二次世界大戦のことなんて、何も考えなかった。」
と、主人は言った。
「艦これを始めてから、その艦の運命を知ることによって、
戦争で誰も死んで欲しくないと、思った。」
なるほど、それか。
主人は、艦の運命だけではなく、第二次世界大戦における出来事もYouTubeでよく観ている。
それはいいことだと思う。
が、なにせ、日本側の視点での動画じゃないんだよね。
日本はいつも敵国で、あの動画が、日本向けに作られたのじゃ無かったとしたら、
「迷った」
とか
「悩んだ」
とか、言うよね。
それを鵜呑みにして欲しくないとも思う。
日本人が、いつも立派かと言えば、そんなことはありえないし、
大陸で何をしてきたか、それを正当化する気もない。
ただ、表にはでてこないようだが、同じことをされてきたという事実もある。
私には、何が本当なのかは、わからない。

私の父方の祖父は、戦争で亡くなっている。
だからといって、アメリカを恨むという思いは全くない。
ただ、それで卑屈になったり、嫌いになったりするのは違うと思う。
今初めて、祖父を殺した爆撃機を操縦していた人のことを考えた。
迷いは、無かっただろうと思う。
これは戦争だ、と。
自分の爆撃機が、落とされる心配は無く、
ただただ爆弾を落として、日本人を殺す。
誰も刃向かってはこない。
どんなことを思っていたのだろう。

父とだいぶ歳の離れた伯父の体には、未だに機銃掃射されたときの破片が残ってるそうだ。
そのとき一緒にいた友人達は、皆亡くなったそうだ。
戦闘機が見えたとき、友人達は一斉に違う方向へ駆けだしたが、
伯父は、わざと違う方へ走ったそうだ。
そのおかげで、死ぬことはなかった。
楽しかったか?
逃げる人間を撃つのは?
怒りを感じたわけではない。
ただ、訊いてみたいと思っただけ。

撃った人は、何も悩まなかったのか。
すっかり忘れて幸せに死んでいったのか。
もう、知る由もないし、
本人も誰を殺したかなんて、わからないだろう。


夕べは、主人と言い争いをして、
結局、相容れるところもなく、結論も出ず、論争は終わった。








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2月から3月にかけての恒例行事

確定申告が終わった。
ずーーっと前からの恒例行事なのだ。
2月~3月にかけては確定申告でー
4月~6月にかけては、住民税とかーそんなものの支払いの時期でー
人間は生きてるだけでお金がかかるのね。
当たり前だけど。

以前より職場からいただくお金は半分以下になってしまったのだが、
半分以下に働く時間を減らしたので、それもまた当たり前で
ただ、この額なのに、なぜか扶養に入れない。
職場のお姉さん方は、ちゃんと扶養の中で計算して働いている。
私もそうしようと思うのだが、突然残業になったりすると、
それも難しい。

来年、ずっとお世話になった先生が引退するそうなので、
それを機に、扶養に入れる時間帯内で働くように交渉しようとは思っている。


昨年までは、書類を税務署まで直接持って行ったのだが、
今年はe-taxにした。
スマホは、メールと電話しか使わないので、手間取った手間取った(T-T)
何度もやり直し(T-T)
集中してやらないとまずいと思ってパソコンに向かうと、
洗濯機がお風呂の水が少なくなって吸えないので、なんとかしろと騒いだり、
コーギー幸湖さんが、水を飲みたいと匍匐前進してケージに向かったり、
ちなみに幸湖さんは、病で四つ足で立ち上がれないので、
匍匐前進で進みます。
このときは水でしたが、トイレの場合もあるので、
察知し次第、車椅子代わりをしないといけません。
主人はわりとほったらかしなので、
幸湖さん、間に合わず途中で大や小をしてしまうことがあります。
大は片付けるの楽なんだけど、小をされてしまうとね(^0^;)
この頃は主人も、慌てて車椅子になってます。
前足は健在なので、早いこと早いこと。
ケージ内まで付き添った後、車椅子は再びパソコンの前に座ります。
再び、集中しようとすると、
「ここから出せ。」
という要求の音・・・・
車椅子は、再びお迎えに行き、幸湖さんの行きたい場所までお付き合いします。
そして
「ふう。」
と言いながらパソコンの前に座ると、
「どこまでいったんだっけ?」
となります。

お子さんや猫さんのいる御家庭で、リモートが難しいわけがよくわかりました。
これで書類が山ほどあったら、とっても無理!

入力し終わって、昨年の書類と見比べて足りない部分はないか確認し、送信。
・・の段階で、また手間取る。
スマホとマイナンバーカード使って送れるように今年からなったらしいんだけどさ
暗証番号と、なんだ?あの申請ナンバーみたいの。
カードを作られた方はおわかりと思いますが、
申請するときに自分で決めるんだよね。
あんなん忘れるって。
あれを書いた紙をちゃんとしておかないと、後でとっても困るって。
先週、今日の本番の前に、e-taxの申し込みだけしておこうと思ってやったら、
暗証番号が違うとか言われて、できなくて、
結局、主人がしまっておいてくれたあの紙を出してもらって、
やっと、今日無事に確定申告が終わったわけで。
主人がちゃんとしてる人でよかったと、本当に思いました。
私がだらしないので、主人に任せておけば安心。

なぜe-taxにしようかと思ったかというと、
一昨年までは、駅前で確定申告の受付してくれてたので、
仕事に行くときに提出すればよかったのですが、
昨年、税務署が移転して、綺麗な建物になったからか、
駅前の受付場所がなくなってしまい、
そして、当の税務署もかなり遠くなってしまってました。
歩いて行ける距離だから、近いっちゃ近いんだけれども。
まさかそんなことになっているなんて知らなかったので、
えらく困りました。
おまけに新しい場所は特定できるけど、行き方がわからん・・・
仕事にも間に合わない。
職場にはこれこれこういう理由で遅れますと連絡をいれ、
迷いに迷って、ようやく到着。
したのはいいけど、すごい人数が待ってる(;゜ロ゜)
とりあえず列の一番後ろに並ぶ。
そこへ案内係のお兄さん登場。
「2時間位かかりますよ。」
ええええええええええ~っ!
なんで?提出するだけでも?
その後、
「提出するだけの方はいらっしゃいますか~?」
「はいっ!」
しゅたっと手を挙げると、
「提出するだけ?」
「はいっ!」
「でしたらこちらへどうぞ。」
「ありがとうございますっ!」
にこにこのお兄さんの後についていき、提出してほっとしたものの、
「どうやって駅まで帰ればいいんだろう・・・」
来た道はわかるが、かなり遠回りして来てしまったので、駅までの最短がわからない。
そこへ、高校生(中学生?)の制服集団が歩いていて、
どうやら駅へ向かうご様子。
「あれに着いて行こう!」
そして、やっと駅まで帰れました。
「このままおうちに帰りたい・・・」
そう思いつつ、駅の改札をくぐり、電車に揺られ、
30分の遅刻で職場へ到着しました。

と、いうわけで

「来年は、絶対e-taxにする!」

心に固く誓いましたとさ。

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死について

ストレスにさらされると、胃が痛くなる。
昔からずっとそうで、
20代の頃、いつも胃が痛かった。
ある日、もしこれが胃癌で、もう手遅れだったらどうしよう。
まだ死にたくないと医者に行ったら、単なるストレスによる胃潰瘍だった。
先生は軽い胃潰瘍と言ってくれたが、今考えると『胃炎』程度だったと思う。
何週間か薬を飲み続けて、やっと治まった。


私には離婚歴があって、
最初の結婚をして何年か経った頃、
当時知り合った友人が、
「結婚もしたし、子供をつくる気がないなら、後は死ぬだけだね。」
と私に言った。
そう言われても、腹も立たず、その通りだなと思った。

その後、
当時のだんなの会社が倒産して、給料が何ヶ月もでなくなって、
会社に、だんなの名義で銀行から借りさせられていたお金も、
全部払わされることになって、
それでも、一緒に頑張っていこうと思っていたそんなときに、
だんなの実家のことで、私が言ったことに腹が立ったのか、
お前より、家族が大事だと言い放たれてしまった。
それからずっと、このままで一生が終わるのかと、考え続けた。
一番好きな人に、お前がいついなくなっても平気だと思われていて、
そんなので一生が終わるのか。
趣味や仕事で頑張れば、そう思われていようがいいじゃないか、
とも思ったが、それでも、家に帰ってくれば、
だんながいて、容赦なく『それ』を思い出させる。
友達の「後は死ぬだけだね。」は、全くその通りだよ、と思った。
あのときも、死ぬことは怖かったと思う。
どうなるかわからないし、魂が霧散して何もわからなくなってしまうなら
まだマシだろう。
でも、もし、死後の世界があって、今より条件が悪かったら。
そんな風に考えると、やっぱり死ぬのは怖かった。

それからすぐに、離婚して、元旦那から離れたので、
考え続けなくてもよくなった。


祖父母が亡くなる。
伯父や叔母が亡くなる。
それでも、死はあまり身近には感じられない。

しかし、父が悪性リンパ腫に罹ったとき、
『死』はぐっと近くなった。
いつ死んでもおかしくない状態だった。
その証拠に、父と同じ病の同室の方々は、父を除いて皆亡くなっている。
父は、もうかなりいい年だったのだが、
「死にたくない、絶対死なない、生き残ってやる。」
と思っていたそうだ。
私が、そのときの父と同じ歳だったら、
もう、いいや、と思うだろう。
その歳は、まだまだ先なのだが、今、「もう、いいや。」と思っている。


それ以上に、いつ死んでもおかしくないんだと思うようになったのは、
同い年の友人が二人、鬼籍に入ったときだった。

一人目の死を知ったのは、Yahoo!のニュースだった。
友人の名前があって、『死亡』とその後に続けて書いてあった。
その頃は、もうあまり付き合いもなくなっていたが、
彼とは、サークルも研究室も一緒だった。
大学を出た後も、研究室の皆と月一位で集まって食事をしていた。
仲のよかった友人はお通夜に行くと言った。
昼間は仕事があるから、と。
私はお通夜には行けないけれど、お葬式には行けるから、と
お葬式に行くことになった。
駅で、研究室やサークルの友人と待ち合わせをした。
久しぶりに会った友人達は、知り合いの顔を見ると、一瞬笑顔で手を挙げるが、
すぐに真顔に戻って、一様に黙っている。
冷たい雨の降る日だった。
帰りは、皆とは方向が逆なので、一人ホームで考えた。
昨日まで、いや、家族にしてみれば、朝まで一緒に過ごしていた人が、
突然帰ってこなくなったら、どんなに悲しいだろう、と。
その証拠に、焼香をして遺族に挨拶をしようと振り向いたとき、
目に入った友人のお母さんの目は真っ赤だった。

つい最近、写真をデジタル化する作業をしていたら、
色々な場面で皆と撮った彼の写真がでてきた。
彼の結婚式の二次会の写真もあった。
いつも笑顔だった。
この何年か後に、亡くなるとは思ってもいなかっただろう。
犯人の一人は、捕まっていないとあったが、今もそうなんだろうか。


二人目は、病で亡くなったようだ。
彼女も、ずっと会ってなかったし、付き合いもなかった。
なので、もう彼女からは、私は友人から外れていたと思う。
だが、私は彼女を友人だと思っている。
彼女のことは、色々なところで書いているので、
ここでは詳しく書かないことにする。


もう一人、あるサイトで出会った方がいる。
でも、詳しいことは、知らない。
どこの誰だか知らなくてもいい。
そういうサイトで出会ったので、それでいい。
その方も、突然亡くなった。
それを共通の友人に知らせたら、
「知らない方がよかった。」
と言われた。
どこの誰だか知らなくていいのだから、
生きてるか死んでるかなんて、知らなくていい。
生きて、どこかで過ごしているんだ、と思っていればいい、
ただ、このサイトに来なくなっただけなんだと、思うだけでいい。
そういうことだったんだろう。

私はどうなんだろう。
知って欲しいのか、知らないでいて欲しいのか。

『幸湖日記』という自作の小説の二人の主人公は、
どっちでもいいと思ってる。
でも、友達がお葬式に来てくれて、泣いてくれたと知って
「ありがとう。」
と言っている。
主人公中の主人公の幸湖さんは、
自分が死んだときに、大声で泣いてくれた飼い主のために
この世に遺っている。
そして、「泣いてくれる人なんて誰もいないよ。」という飼い主の言葉に、
胸を痛めている。
あれは、私の心の投影なので、本当はどうなんだろう。
知って欲しいのか、知らないでいて欲しいのか。

たぶん、知らなくてもいいと思ってる。
お葬式なんてしなくていいとも思ってる。
お墓もいらないし、覚えていて欲しいとも思わない。
主人には全部伝えてある。
散骨して欲しいと言ってある。


これから、この国はどうなるんだろう。
何も誇れる物がなくなって、世界に評価される物がなくなって、
だんだん貧乏になって、いいことが無くなって、
その中でどんどん歳をとって、何もできないまま生きていかなくてはいけなくなる。

私が父を嫌うように、父も私を嫌い、
嫌ってくれるなら、とことんまで嫌ってくれればいいのに、
どこか中途半端で、私がいつか謝ってくると思ってる。
父が大嫌いだと言って憚らない父の弟は、
私からみれば、とてもいいお父さんで、
自分のことより、子供の幸せを考えて行動していて、
叔父の奥さんは、乳癌の再発で亡くなってしまったが、
父は、叔父が叔母の診察を、連れて行く予定がたたないとキャンセルしてしまったから、
叔母の乳癌の再発の発見が遅くなって、亡くなったと信じているようだ。
それで、そんな自分勝手な奴は大嫌いだという。
ただ、父は母に乳癌がみつかったとき、何年も知ってて放っておいたそうだが、
それは更に酷いことではないだろうか。

そんなわけで、親の遺してくれるだろうものも、もう何も無く、
働くこともできなくなったら、
この先、どれだけ生きていかなければいけないのだろうと思うと、
このまま生きていても、仕方がないのではないかという思いが浮かんでくる。
自殺する気はないが、今、突然死んだとしても、後悔はなさそうだ。
主人と幸湖さんと暮らせたこの11年が幸せだったから、よかった。
ただ、それだけ。














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