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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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写真

昔の写真を整理した。
正確に言うと、紙にプリントされたものをデジタル化している。
だいぶ終わったのだが、まだ少し残っている。

主人は、私が気にしないせいか、私が主人の昔の写真を見てもいじっても何も言わない。
ここにも書いたことがあるかもしれないが、
以前、主人愛用の革の鞄を落としてしまい
(主人は当時、鞄が必要な仕事ではなかったので、
普段は戸棚にしまいっぱなしだった)、中の物を全部
(と言ってもペンとか仕事で使ったけど、もういらない書類とか)
をぶちまけてしまったとき、その中に、元カノとのプリクラがあった。
元カノと主人の話は、主人と友人だった頃に聞いていたので、
その出会いも顛末も知っていた。
主人にとって、幸せな恋愛ではなかったと思う。
なので、そのプリクラを見ていると、なんだかとても辛くなって、
元通りに鞄に入れて、戸棚にしまった。

主人は、元カノがとても好きだったのだが、
元カノには、他に彼氏がいて、主人はずっと二番目だったようだ。
プリクラは、はしゃいで全て表情をかえる主人と、
少しも笑っていない、同じ表情の元カノが写っていた。

つらかったのは、主人と元カノが写っていたから、ではなく、
大好きな人とプリクラを撮れるからと、
はしゃいで、嬉しそうに写っている主人と
無表情の元カノとの熱の違いが、悲しかったのだ。
今でも、思い出すと、悲しくなる。


その元カノと主人が写っている写真の一つに、
どこかの屋上で撮った写真があって、
相手は自分じゃないのに、その写真がなぜか好きで、
時々こっそり見ている。
そこに写る元カノは、笑顔で、勿論主人も笑顔で、
その背景には、遠くまで写る開けた風景が写っていて、
自分が、同じ位の歳の時には味わう事のできなかった風景。
見る事ができなかった風景。
羨ましいのかもしれないと思う。
こういう風景を楽しみたかったと思う。

勿論、主人と付き合うようになってからは、色々な所へ連れて行ってもらった。
とても楽しかった。
また、行けるようになったら、行きたいと思う。

あのプリクラは、どうしたのか、わからない。
後に、私を気にしてなら捨てなくていいと伝えた。
主人がいらないと思ったなら、もうないだろう。

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大切なものは捨ててはいけない-ピンクのくま-

昔、ピンクのくまの縫いぐるみを持っていた。
たぶん、15年位、一緒にいたと思う。
薄いピンク色だったから、だいぶ汚れていて、
穴もあいてしまって、そこらじゅう縫ったあとがあった。
鼻もとれかかったのを、縫い止めて、いつまでも一緒にいた。

当時家族で住んでいた社員寮が壊されることになって、
ようやく両親が家を買った。
引っ越すときに、いらないものは置いていっていいと言われたということで、
その子を、置いてきてしまった。
両親にも、余分な物は持って行くなと、言われたと思う。
多少未練はあったが、もう年齢も年齢だし、一緒にはいられない気がして、
私はその子を捨てた。
そのときは、それでいいと思った。

大学のとき、卒業写真(個人写真)を撮るから、
大切な物を持ってきて、と言われた。
当時の私には、『大切な物』なんてなかった。
カメラマンに、「何も無い」と言ったら、
手に持っていたコンパクトカメラを「そこに置こうよ」と言われた。
私はそのカメラと一緒に写っている。


当時、『大切な人』はいたが、そう思っていたはずの人も、今はそばにはいない。
別の『大切な人』はいる。
『大切な犬』もいる。
あの頃、なんて無駄に生きてきたんだろう。


写真を撮る日、友達が、『大切な物』と見せてくれたものに、ショックを受けた。
それは、白い小さな犬の縫いぐるみだった。
何度も洗ったのだろう。
だいぶ風合いは損なわれていたが、だいぶ汚れていたが、
だいぶボロボロだったが、
彼女は大事そうに、その子を抱えていた。
正確には、手のひらに包んでいた。

そのとき、あの子を思いだした。
置いてきたピンクのくま。
捨てなくても良かったんだと、思った。
捨てなくても、良かったんだと。
年なんて関係ない。
大切なものは、いくつになったって、大切にしていればいい。
誰かに言われたからと、捨てなくてもいいんだと、
そのとき初めて気が付いた。
気が付いたって、もう遅い。
遅いんだよ。


それから、何年か経って、友達に「PostPet」をやらないか、と誘われた。
So-netが始めたぱかりの、ペットがメールを運んでくれる、あれだ。
奇しくも、「ピンクのくま」だった。
あの子とは形も色の濃さも全然違うけど、ピンクのくまだった。
『ぐらな』と名前をつけた。
あの子の名前は、『ぐらな』ではなかったが。
それでも、しばらくは楽しかった。
だが、メールを運ぶ数が決まっていて、その前後の数を運ぶと、
手紙を置いて、いなくなってしまうのだ。
『ぐらな』もいなくなって、しまった。
置いていった手紙を読んで、泣いた。
今、『大切な人』の前では、泣いたり怒ったりできるが、
その頃一緒にいた人の前では、泣くことも怒ることもできなかったので、
トイレでこっそり泣いていた。

今では、あの子と『ぐらな』を思って、絵を描くことがある。
その子の名前は『ぐらな』だが、形はあの子に近い。
全くあの子と同じ(実ははっきり思いだせない)ではないと思う。
あの子達を題材に描く絵は、私なりのレクイエムなのかと思うこともある。

他人に言われたからと、大切なものを捨ててはいけない。
捨てていいのは、自分で考えて、心の底から納得したときだけ!


先程、主人のスラックスの裾をあげる作業をしてました。
主人が自分でこれくらい上げてと、裾を表に折り返してくれてました。
裾を上げるときは、全部裏にひっくり返さないと、プロではない私はできません。
そこまで理解しているのに、
裾よけ(で、いいのかしら)を作って、スラックスの裾の裏側に縫い付けました。
それも2本とも・・・
裾上げをしようと裏返したときに、気が付いた。
「・・・・これじゃ、だめじゃん・・・」
裾よけは、折り返した折り目のそばに縫い付けるものなのです。
それも裏側ではなく、表側に。
普段、スーツ着用の殿方なら、おわかりいただけると思います。
なんのために裾よけをつけるのか。
裾が靴の踵付近と擦れて、傷まないためにつけるのです。
それを折り返した裏側につけたって、何の意味も無いのです。
折り返したら、裾よけは内側に隠れてしまうのです!
厚くなった分、余分に肝心の生地が擦れるのです!
泣く泣くやり直しました。
あの、私の時間をかえして・・・(T-T)




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戦争

日本からウクライナに義勇軍として70人が行きたいと言ってるという記事を見た。
私は、それがご本人の正義であり、意志ならば反対はしないし、止めもしない。
だが、主人は行かない方がいいと言う。
もしかしたら洗脳されてるかもしれない、
情報操作されて戦地に送り出されたかもしれないロシアの兵を殺すのには反対だと。
戦争なんだよ?
自分の国を護るために戦おうとしてるウクライナの国民の手助けがしたいと、
70人の人達は言ってるんだよ?
と言うと、それで殺しあいをするのは間違ってる、と。
じゃあ、どうすればいいの?と問うと、
「逃げればいい。」
逃げたら国が盗られちゃうんだよ?
それが嫌だから、戦うんでしょ?
「周りの国に逃げて、そこで暮らせばいい。」
戦争や内戦で逃げて来た余所の国の国民は、どう扱われてるよ?
正当に、真っ当に扱われている人もいれば、
難民キャンプやらなんやらに留まって、
不自由に暮らしてる人だっている。
日本沈没後の日本人が、世界に散らばって移住して、その後どうなったよ!
まだ読んでないけどさ。
何を言っても、逃げた方がいい、殺し合いは止めた方がいい。
頑なにそれを主張するので、らしくないし、何でだろう?と思って聞いていると、
第二次世界大戦の話がでてきた。
「アメリカは、日本より人道的だったよ。
ちゃんと戦闘機にさえ危なくなったら脱出できるようになってたけど、
日本は、特攻じゃないか。
死にたくないのに、みんな死ななきゃいけなかった。」
そりゃ、自国の国民に対してだけだよ。
アメリカからしたら、日本人なんてたぶん虫と一緒だったよ。
今は民間人が死ねばわーわー騒がれるけど、本土に来て、
焼夷弾や機銃掃射で、どんだけ一般の日本人が殺されたよ?
挙げ句の果てには、核を二回も落として、
「戦争を早く終わらせるために落とした。」
って、どの口が言うんだよ!今もしゃーしゃーと言ってるんだよ!
どんだけ死んだよ?
この国が、どんだけぐしゃぐしゃになったよ?
「アメリカだって、本当にこれでいいのかって悩んでたじゃないか!
一緒に観たでしょう?
核だって、本当に落としてもいいのかって、悩んで。」
悩む位なら、やめときゃよかったじゃん。
主人には言わなかったけど、核を落としたのだって、
日本人を救いたかったわけじゃなくて、
この戦争で、自国の国民が、これ以上戦死しなくていいように、だったじゃないか。
戦争になったら、相手の国の人間なんて、虫と同じだよ。
向かってくるのは、ゾンビと同じ。
やらなきゃやられる。
日本人だって、きっとそう思ってた。
アメリカ人だって、全員がそう思ってたわけじゃないと思う。
それは、よくわかってる。
「もう、戦争で誰も死んで欲しくないんだよ。」
それは、そうだろう。
それで済む方法があるのなら、そちらを選ぶだろう。
「だから、逃げればいい。」
国が無くなっても?
「うん。ここは自分の土地って、なんで思ってるの?
勝手にそう決めただけでしょう?
俺は今まで住んだ所に愛着はないし、どこに行っても平気。」
と言う。
それは、普通に暮らせればの話だろうと思う。
わからん。
戦争で、国を盗られてしまうということが、何を意味するか、
深く考えた結果なんだろうか。
「国の頭が替わって、返してくれるかもしれないし。
先のことはどうなるかわからないじゃない。」
返ってくるわけないじゃん!
どんなに頭が替わったって、返すわけないじゃんか。
北方領土、返ってきたか?
あれから、どんだけ経ったよ?
頭が何人替わったよ?
未だに返ってこないじゃんか。
なんで、そんなに国を盗られてまでも逃げることに固執するんだろう?
わからん。
確かに、人命を守るという観点からすると、それは正しいとは思うが。

「艦これを始めるまで、第二次世界大戦のことなんて、何も考えなかった。」
と、主人は言った。
「艦これを始めてから、その艦の運命を知ることによって、
戦争で誰も死んで欲しくないと、思った。」
なるほど、それか。
主人は、艦の運命だけではなく、第二次世界大戦における出来事もYouTubeでよく観ている。
それはいいことだと思う。
が、なにせ、日本側の視点での動画じゃないんだよね。
日本はいつも敵国で、あの動画が、日本向けに作られたのじゃ無かったとしたら、
「迷った」
とか
「悩んだ」
とか、言うよね。
それを鵜呑みにして欲しくないとも思う。
日本人が、いつも立派かと言えば、そんなことはありえないし、
大陸で何をしてきたか、それを正当化する気もない。
ただ、表にはでてこないようだが、同じことをされてきたという事実もある。
私には、何が本当なのかは、わからない。

私の父方の祖父は、戦争で亡くなっている。
だからといって、アメリカを恨むという思いは全くない。
ただ、それで卑屈になったり、嫌いになったりするのは違うと思う。
今初めて、祖父を殺した爆撃機を操縦していた人のことを考えた。
迷いは、無かっただろうと思う。
これは戦争だ、と。
自分の爆撃機が、落とされる心配は無く、
ただただ爆弾を落として、日本人を殺す。
誰も刃向かってはこない。
どんなことを思っていたのだろう。

父とだいぶ歳の離れた伯父の体には、未だに機銃掃射されたときの破片が残ってるそうだ。
そのとき一緒にいた友人達は、皆亡くなったそうだ。
戦闘機が見えたとき、友人達は一斉に違う方向へ駆けだしたが、
伯父は、わざと違う方へ走ったそうだ。
そのおかげで、死ぬことはなかった。
楽しかったか?
逃げる人間を撃つのは?
怒りを感じたわけではない。
ただ、訊いてみたいと思っただけ。

撃った人は、何も悩まなかったのか。
すっかり忘れて幸せに死んでいったのか。
もう、知る由もないし、
本人も誰を殺したかなんて、わからないだろう。


夕べは、主人と言い争いをして、
結局、相容れるところもなく、結論も出ず、論争は終わった。








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死について

ストレスにさらされると、胃が痛くなる。
昔からずっとそうで、
20代の頃、いつも胃が痛かった。
ある日、もしこれが胃癌で、もう手遅れだったらどうしよう。
まだ死にたくないと医者に行ったら、単なるストレスによる胃潰瘍だった。
先生は軽い胃潰瘍と言ってくれたが、今考えると『胃炎』程度だったと思う。
何週間か薬を飲み続けて、やっと治まった。


私には離婚歴があって、
最初の結婚をして何年か経った頃、
当時知り合った友人が、
「結婚もしたし、子供をつくる気がないなら、後は死ぬだけだね。」
と私に言った。
そう言われても、腹も立たず、その通りだなと思った。

その後、
当時のだんなの会社が倒産して、給料が何ヶ月もでなくなって、
会社に、だんなの名義で銀行から借りさせられていたお金も、
全部払わされることになって、
それでも、一緒に頑張っていこうと思っていたそんなときに、
だんなの実家のことで、私が言ったことに腹が立ったのか、
お前より、家族が大事だと言い放たれてしまった。
それからずっと、このままで一生が終わるのかと、考え続けた。
一番好きな人に、お前がいついなくなっても平気だと思われていて、
そんなので一生が終わるのか。
趣味や仕事で頑張れば、そう思われていようがいいじゃないか、
とも思ったが、それでも、家に帰ってくれば、
だんながいて、容赦なく『それ』を思い出させる。
友達の「後は死ぬだけだね。」は、全くその通りだよ、と思った。
あのときも、死ぬことは怖かったと思う。
どうなるかわからないし、魂が霧散して何もわからなくなってしまうなら
まだマシだろう。
でも、もし、死後の世界があって、今より条件が悪かったら。
そんな風に考えると、やっぱり死ぬのは怖かった。

それからすぐに、離婚して、元旦那から離れたので、
考え続けなくてもよくなった。


祖父母が亡くなる。
伯父や叔母が亡くなる。
それでも、死はあまり身近には感じられない。

しかし、父が悪性リンパ腫に罹ったとき、
『死』はぐっと近くなった。
いつ死んでもおかしくない状態だった。
その証拠に、父と同じ病の同室の方々は、父を除いて皆亡くなっている。
父は、もうかなりいい年だったのだが、
「死にたくない、絶対死なない、生き残ってやる。」
と思っていたそうだ。
私が、そのときの父と同じ歳だったら、
もう、いいや、と思うだろう。
その歳は、まだまだ先なのだが、今、「もう、いいや。」と思っている。


それ以上に、いつ死んでもおかしくないんだと思うようになったのは、
同い年の友人が二人、鬼籍に入ったときだった。

一人目の死を知ったのは、Yahoo!のニュースだった。
友人の名前があって、『死亡』とその後に続けて書いてあった。
その頃は、もうあまり付き合いもなくなっていたが、
彼とは、サークルも研究室も一緒だった。
大学を出た後も、研究室の皆と月一位で集まって食事をしていた。
仲のよかった友人はお通夜に行くと言った。
昼間は仕事があるから、と。
私はお通夜には行けないけれど、お葬式には行けるから、と
お葬式に行くことになった。
駅で、研究室やサークルの友人と待ち合わせをした。
久しぶりに会った友人達は、知り合いの顔を見ると、一瞬笑顔で手を挙げるが、
すぐに真顔に戻って、一様に黙っている。
冷たい雨の降る日だった。
帰りは、皆とは方向が逆なので、一人ホームで考えた。
昨日まで、いや、家族にしてみれば、朝まで一緒に過ごしていた人が、
突然帰ってこなくなったら、どんなに悲しいだろう、と。
その証拠に、焼香をして遺族に挨拶をしようと振り向いたとき、
目に入った友人のお母さんの目は真っ赤だった。

つい最近、写真をデジタル化する作業をしていたら、
色々な場面で皆と撮った彼の写真がでてきた。
彼の結婚式の二次会の写真もあった。
いつも笑顔だった。
この何年か後に、亡くなるとは思ってもいなかっただろう。
犯人の一人は、捕まっていないとあったが、今もそうなんだろうか。


二人目は、病で亡くなったようだ。
彼女も、ずっと会ってなかったし、付き合いもなかった。
なので、もう彼女からは、私は友人から外れていたと思う。
だが、私は彼女を友人だと思っている。
彼女のことは、色々なところで書いているので、
ここでは詳しく書かないことにする。


もう一人、あるサイトで出会った方がいる。
でも、詳しいことは、知らない。
どこの誰だか知らなくてもいい。
そういうサイトで出会ったので、それでいい。
その方も、突然亡くなった。
それを共通の友人に知らせたら、
「知らない方がよかった。」
と言われた。
どこの誰だか知らなくていいのだから、
生きてるか死んでるかなんて、知らなくていい。
生きて、どこかで過ごしているんだ、と思っていればいい、
ただ、このサイトに来なくなっただけなんだと、思うだけでいい。
そういうことだったんだろう。

私はどうなんだろう。
知って欲しいのか、知らないでいて欲しいのか。

『幸湖日記』という自作の小説の二人の主人公は、
どっちでもいいと思ってる。
でも、友達がお葬式に来てくれて、泣いてくれたと知って
「ありがとう。」
と言っている。
主人公中の主人公の幸湖さんは、
自分が死んだときに、大声で泣いてくれた飼い主のために
この世に遺っている。
そして、「泣いてくれる人なんて誰もいないよ。」という飼い主の言葉に、
胸を痛めている。
あれは、私の心の投影なので、本当はどうなんだろう。
知って欲しいのか、知らないでいて欲しいのか。

たぶん、知らなくてもいいと思ってる。
お葬式なんてしなくていいとも思ってる。
お墓もいらないし、覚えていて欲しいとも思わない。
主人には全部伝えてある。
散骨して欲しいと言ってある。


これから、この国はどうなるんだろう。
何も誇れる物がなくなって、世界に評価される物がなくなって、
だんだん貧乏になって、いいことが無くなって、
その中でどんどん歳をとって、何もできないまま生きていかなくてはいけなくなる。

私が父を嫌うように、父も私を嫌い、
嫌ってくれるなら、とことんまで嫌ってくれればいいのに、
どこか中途半端で、私がいつか謝ってくると思ってる。
父が大嫌いだと言って憚らない父の弟は、
私からみれば、とてもいいお父さんで、
自分のことより、子供の幸せを考えて行動していて、
叔父の奥さんは、乳癌の再発で亡くなってしまったが、
父は、叔父が叔母の診察を、連れて行く予定がたたないとキャンセルしてしまったから、
叔母の乳癌の再発の発見が遅くなって、亡くなったと信じているようだ。
それで、そんな自分勝手な奴は大嫌いだという。
ただ、父は母に乳癌がみつかったとき、何年も知ってて放っておいたそうだが、
それは更に酷いことではないだろうか。

そんなわけで、親の遺してくれるだろうものも、もう何も無く、
働くこともできなくなったら、
この先、どれだけ生きていかなければいけないのだろうと思うと、
このまま生きていても、仕方がないのではないかという思いが浮かんでくる。
自殺する気はないが、今、突然死んだとしても、後悔はなさそうだ。
主人と幸湖さんと暮らせたこの11年が幸せだったから、よかった。
ただ、それだけ。














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欠けたもの

5冊組のアルバムの3冊を、前に住んでいた所に置いてきた。
表紙は、子猫の写真だった。
そのときはそれでいいと思っていた。
置いて行っていいのだと、勝手に思っていた。
相手の気持ちも考えず。

今頃になって、置いてきたことを後悔している。
中身ごと、捨てられてしまっただろう。
中身もさることながら、外見のアルバムが非常に惜しいことをしたと思っている。
可愛かったのにな。
もう手に入らない。
非常に残念だ。

私にはそういうところがあって、
何かが欠けているのに気が付くと、もう落ち着かない。
漫画、小説などシリーズものが、一つでも欠けているときは、
捜しまくって手に入れる。
もちろん、何が何でも、というわけではない。
はたくような大枚はないし、
そこまで必死になることはない。
それに見合わない金額だったら、諦める。
この子猫のアルバムのように、もう製造中止になって、
手に入らなくなったものを、無理にでも手に入れようとも思わない。
ただ、いつまでも、ああ、残念だ、と思い続ける。

こういう性格なので、断捨離などできるはずがない。
勢いに任せて捨ててしまったら、
後になって、
「捨てるんじゃなかった。」
と、ひどく後悔するのは目に見えている。

つい最近、永遠に後悔する前に手に入れたのは、
昨年亡くなった『佐伯かよの』先生の『Quo Vadis』だ。
一番つらいときに、ふらっと立ち寄った本屋さんに
新刊として積んであって、そのまま中身も見ずに購入していた。
ビニ本なので、中を見ることはできなかったのだが。
もともと『佐伯かよの』先生の作品は好きだったので、
全く抵抗はなかった。
家に帰って、暗い気持ちのまま読んだクオヴァディスは、
それを忘れさせてくれた。
その本屋さんの前を通る用があるときには必ず立ち寄って、
一巻ずつ続きを購入した。
内容の面白さ、絵の綺麗さは勿論のこと、
そんな思い出のある作品だったので、
尚更尻切れにするわけにはいかなかった。

出版物は、すぐに絶版になってしまって、
気が付いたときには、手に入らなくなっていることが多い。
それで後悔している作品が多々ある。
代表格が、『髙野まさこ』先生の『シュガーベビー』。
新刊として販売されてたときは、お金がなくて、買えませんでした・・・
こちらに来てすぐに、
主人が連れて行ってくれた古本屋さんで、
幸運にも5巻と6巻は手に入れることができたが、
その後の巻にはお目にかかることはない。
その後どころか、今手にしている巻にもお目にかかることはありません。
髙野先生は、とっくの昔に漫画家は辞められたたそうで、
自らの作品を再版する気もない、という記事を昔目にしたことがある。
非常に残念です。

これを無くすにはどうしたらいいか。
一気に全巻揃えるか、一切新しい物に手を出さないか。
なので、この頃は、よっぽど気に入らない限りは、
新しい物に手を出さないことにしている。
それでも、昔手に入れたものに欠けている物がみつかると、
気になってしょうがなくなるのだが。





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