忍者ブログ

昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

死について

ストレスにさらされると、胃が痛くなる。
昔からずっとそうで、
20代の頃、いつも胃が痛かった。
ある日、もしこれが胃癌で、もう手遅れだったらどうしよう。
まだ死にたくないと医者に行ったら、単なるストレスによる胃潰瘍だった。
先生は軽い胃潰瘍と言ってくれたが、今考えると『胃炎』程度だったと思う。
何週間か薬を飲み続けて、やっと治まった。


私には離婚歴があって、
最初の結婚をして何年か経った頃、
当時知り合った友人が、
「結婚もしたし、子供をつくる気がないなら、後は死ぬだけだね。」
と私に言った。
そう言われても、腹も立たず、その通りだなと思った。

その後、
当時のだんなの会社が倒産して、給料が何ヶ月もでなくなって、
会社に、だんなの名義で銀行から借りさせられていたお金も、
全部払わされることになって、
それでも、一緒に頑張っていこうと思っていたそんなときに、
だんなの実家のことで、私が言ったことに腹が立ったのか、
お前より、家族が大事だと言い放たれてしまった。
それからずっと、このままで一生が終わるのかと、考え続けた。
一番好きな人に、お前がいついなくなっても平気だと思われていて、
そんなので一生が終わるのか。
趣味や仕事で頑張れば、そう思われていようがいいじゃないか、
とも思ったが、それでも、家に帰ってくれば、
だんながいて、容赦なく『それ』を思い出させる。
友達の「後は死ぬだけだね。」は、全くその通りだよ、と思った。
あのときも、死ぬことは怖かったと思う。
どうなるかわからないし、魂が霧散して何もわからなくなってしまうなら
まだマシだろう。
でも、もし、死後の世界があって、今より条件が悪かったら。
そんな風に考えると、やっぱり死ぬのは怖かった。

それからすぐに、離婚して、元旦那から離れたので、
考え続けなくてもよくなった。


祖父母が亡くなる。
伯父や叔母が亡くなる。
それでも、死はあまり身近には感じられない。

しかし、父が悪性リンパ腫に罹ったとき、
『死』はぐっと近くなった。
いつ死んでもおかしくない状態だった。
その証拠に、父と同じ病の同室の方々は、父を除いて皆亡くなっている。
父は、もうかなりいい年だったのだが、
「死にたくない、絶対死なない、生き残ってやる。」
と思っていたそうだ。
私が、そのときの父と同じ歳だったら、
もう、いいや、と思うだろう。
その歳は、まだまだ先なのだが、今、「もう、いいや。」と思っている。


それ以上に、いつ死んでもおかしくないんだと思うようになったのは、
同い年の友人が二人、鬼籍に入ったときだった。

一人目の死を知ったのは、Yahoo!のニュースだった。
友人の名前があって、『死亡』とその後に続けて書いてあった。
その頃は、もうあまり付き合いもなくなっていたが、
彼とは、サークルも研究室も一緒だった。
大学を出た後も、研究室の皆と月一位で集まって食事をしていた。
仲のよかった友人はお通夜に行くと言った。
昼間は仕事があるから、と。
私はお通夜には行けないけれど、お葬式には行けるから、と
お葬式に行くことになった。
駅で、研究室やサークルの友人と待ち合わせをした。
久しぶりに会った友人達は、知り合いの顔を見ると、一瞬笑顔で手を挙げるが、
すぐに真顔に戻って、一様に黙っている。
冷たい雨の降る日だった。
帰りは、皆とは方向が逆なので、一人ホームで考えた。
昨日まで、いや、家族にしてみれば、朝まで一緒に過ごしていた人が、
突然帰ってこなくなったら、どんなに悲しいだろう、と。
その証拠に、焼香をして遺族に挨拶をしようと振り向いたとき、
目に入った友人のお母さんの目は真っ赤だった。

つい最近、写真をデジタル化する作業をしていたら、
色々な場面で皆と撮った彼の写真がでてきた。
彼の結婚式の二次会の写真もあった。
いつも笑顔だった。
この何年か後に、亡くなるとは思ってもいなかっただろう。
犯人の一人は、捕まっていないとあったが、今もそうなんだろうか。


二人目は、病で亡くなったようだ。
彼女も、ずっと会ってなかったし、付き合いもなかった。
なので、もう彼女からは、私は友人から外れていたと思う。
だが、私は彼女を友人だと思っている。
彼女のことは、色々なところで書いているので、
ここでは詳しく書かないことにする。


もう一人、あるサイトで出会った方がいる。
でも、詳しいことは、知らない。
どこの誰だか知らなくてもいい。
そういうサイトで出会ったので、それでいい。
その方も、突然亡くなった。
それを共通の友人に知らせたら、
「知らない方がよかった。」
と言われた。
どこの誰だか知らなくていいのだから、
生きてるか死んでるかなんて、知らなくていい。
生きて、どこかで過ごしているんだ、と思っていればいい、
ただ、このサイトに来なくなっただけなんだと、思うだけでいい。
そういうことだったんだろう。

私はどうなんだろう。
知って欲しいのか、知らないでいて欲しいのか。

『幸湖日記』という自作の小説の二人の主人公は、
どっちでもいいと思ってる。
でも、友達がお葬式に来てくれて、泣いてくれたと知って
「ありがとう。」
と言っている。
主人公中の主人公の幸湖さんは、
自分が死んだときに、大声で泣いてくれた飼い主のために
この世に遺っている。
そして、「泣いてくれる人なんて誰もいないよ。」という飼い主の言葉に、
胸を痛めている。
あれは、私の心の投影なので、本当はどうなんだろう。
知って欲しいのか、知らないでいて欲しいのか。

たぶん、知らなくてもいいと思ってる。
お葬式なんてしなくていいとも思ってる。
お墓もいらないし、覚えていて欲しいとも思わない。
主人には全部伝えてある。
散骨して欲しいと言ってある。


これから、この国はどうなるんだろう。
何も誇れる物がなくなって、世界に評価される物がなくなって、
だんだん貧乏になって、いいことが無くなって、
その中でどんどん歳をとって、何もできないまま生きていかなくてはいけなくなる。

私が父を嫌うように、父も私を嫌い、
嫌ってくれるなら、とことんまで嫌ってくれればいいのに、
どこか中途半端で、私がいつか謝ってくると思ってる。
父が大嫌いだと言って憚らない父の弟は、
私からみれば、とてもいいお父さんで、
自分のことより、子供の幸せを考えて行動していて、
叔父の奥さんは、乳癌の再発で亡くなってしまったが、
父は、叔父が叔母の診察を、連れて行く予定がたたないとキャンセルしてしまったから、
叔母の乳癌の再発の発見が遅くなって、亡くなったと信じているようだ。
それで、そんな自分勝手な奴は大嫌いだという。
ただ、父は母に乳癌がみつかったとき、何年も知ってて放っておいたそうだが、
それは更に酷いことではないだろうか。

そんなわけで、親の遺してくれるだろうものも、もう何も無く、
働くこともできなくなったら、
この先、どれだけ生きていかなければいけないのだろうと思うと、
このまま生きていても、仕方がないのではないかという思いが浮かんでくる。
自殺する気はないが、今、突然死んだとしても、後悔はなさそうだ。
主人と幸湖さんと暮らせたこの11年が幸せだったから、よかった。
ただ、それだけ。














拍手[0回]

PR