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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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大切なものは捨ててはいけない-ピンクのくま-

昔、ピンクのくまの縫いぐるみを持っていた。
たぶん、15年位、一緒にいたと思う。
薄いピンク色だったから、だいぶ汚れていて、
穴もあいてしまって、そこらじゅう縫ったあとがあった。
鼻もとれかかったのを、縫い止めて、いつまでも一緒にいた。

当時家族で住んでいた社員寮が壊されることになって、
ようやく両親が家を買った。
引っ越すときに、いらないものは置いていっていいと言われたということで、
その子を、置いてきてしまった。
両親にも、余分な物は持って行くなと、言われたと思う。
多少未練はあったが、もう年齢も年齢だし、一緒にはいられない気がして、
私はその子を捨てた。
そのときは、それでいいと思った。

大学のとき、卒業写真(個人写真)を撮るから、
大切な物を持ってきて、と言われた。
当時の私には、『大切な物』なんてなかった。
カメラマンに、「何も無い」と言ったら、
手に持っていたコンパクトカメラを「そこに置こうよ」と言われた。
私はそのカメラと一緒に写っている。


当時、『大切な人』はいたが、そう思っていたはずの人も、今はそばにはいない。
別の『大切な人』はいる。
『大切な犬』もいる。
あの頃、なんて無駄に生きてきたんだろう。


写真を撮る日、友達が、『大切な物』と見せてくれたものに、ショックを受けた。
それは、白い小さな犬の縫いぐるみだった。
何度も洗ったのだろう。
だいぶ風合いは損なわれていたが、だいぶ汚れていたが、
だいぶボロボロだったが、
彼女は大事そうに、その子を抱えていた。
正確には、手のひらに包んでいた。

そのとき、あの子を思いだした。
置いてきたピンクのくま。
捨てなくても良かったんだと、思った。
捨てなくても、良かったんだと。
年なんて関係ない。
大切なものは、いくつになったって、大切にしていればいい。
誰かに言われたからと、捨てなくてもいいんだと、
そのとき初めて気が付いた。
気が付いたって、もう遅い。
遅いんだよ。


それから、何年か経って、友達に「PostPet」をやらないか、と誘われた。
So-netが始めたぱかりの、ペットがメールを運んでくれる、あれだ。
奇しくも、「ピンクのくま」だった。
あの子とは形も色の濃さも全然違うけど、ピンクのくまだった。
『ぐらな』と名前をつけた。
あの子の名前は、『ぐらな』ではなかったが。
それでも、しばらくは楽しかった。
だが、メールを運ぶ数が決まっていて、その前後の数を運ぶと、
手紙を置いて、いなくなってしまうのだ。
『ぐらな』もいなくなって、しまった。
置いていった手紙を読んで、泣いた。
今、『大切な人』の前では、泣いたり怒ったりできるが、
その頃一緒にいた人の前では、泣くことも怒ることもできなかったので、
トイレでこっそり泣いていた。

今では、あの子と『ぐらな』を思って、絵を描くことがある。
その子の名前は『ぐらな』だが、形はあの子に近い。
全くあの子と同じ(実ははっきり思いだせない)ではないと思う。
あの子達を題材に描く絵は、私なりのレクイエムなのかと思うこともある。

他人に言われたからと、大切なものを捨ててはいけない。
捨てていいのは、自分で考えて、心の底から納得したときだけ!


先程、主人のスラックスの裾をあげる作業をしてました。
主人が自分でこれくらい上げてと、裾を表に折り返してくれてました。
裾を上げるときは、全部裏にひっくり返さないと、プロではない私はできません。
そこまで理解しているのに、
裾よけ(で、いいのかしら)を作って、スラックスの裾の裏側に縫い付けました。
それも2本とも・・・
裾上げをしようと裏返したときに、気が付いた。
「・・・・これじゃ、だめじゃん・・・」
裾よけは、折り返した折り目のそばに縫い付けるものなのです。
それも裏側ではなく、表側に。
普段、スーツ着用の殿方なら、おわかりいただけると思います。
なんのために裾よけをつけるのか。
裾が靴の踵付近と擦れて、傷まないためにつけるのです。
それを折り返した裏側につけたって、何の意味も無いのです。
折り返したら、裾よけは内側に隠れてしまうのです!
厚くなった分、余分に肝心の生地が擦れるのです!
泣く泣くやり直しました。
あの、私の時間をかえして・・・(T-T)




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