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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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ゲームましーん

何か不慮のことがあって、
実家に滞在しなくてはいけないようになったときのために、
パソコンと板タブを置いておいたのだが、
両親から、その部屋を使いたいという話がもちあがったので、
昨日主人が行って、置いてあったパソコンと、
えらくでっかいディスプレーを持って帰ってきた。

父との喧嘩は未だに続いているので、
たぶん、このままずっとこの状態だとは思う。
とてもじゃないが、前の様につきあっていくことはできないので、
高価なパソコンとディスプレーを引き上げてくるのは当然だろう。
壊されて捨てられなかったのが、奇跡だと思う。
主人には、パソコンはもう捨てられてると思うから、ないものと思ってください、
と、言ってはあったのだが。
実はこのパソコンは、主人が私用に買ってくれたものだったので、
手元に戻ってきたときは、内心ほっとした。

本を詰め込んであった棚の下の本を、
全て取り払って、そのパソコンをセットしてもらい、
どでっかいディスプレーを、今使っているディスプレーの上にセットしてもらった。

どでっかいディスプレーの後ろを見ると、HDMI端子が二つついている!
今使っているディスプレーには、一つしか無いので、
これって、これって、もしかするとプレステを常時繋いでおけるのではっ!

うちには、プレステ2.3.4があります。
2は、どうも挙動が怪しい。
ディスクをのせるお皿の部分が出てくるけど、
出てきた途端、そのまま引っ込んでしまいます(^_^;
3はまだ現役ですが、
私の位置から、テレビの画面は見えないので、

普段テレビを観ないので、
(主人が観てるときに、音だけ聴いてる)
私用のパソコンのディスプレーをセットしたら、
画面は全く見えなくなりました。
主人がディスプレーを、動かせるアームにつけてくれたのですが、
テレビを観るために動かすことはないです。

それからテレビゲームをやらなくなって、
プレステ3は、テレビ棚の奥深くにしまわれたのでした。

そこで昨日、プレステ3を引っ張り出し、
テレビからどでっかいディスプレーに繋ぎ直すと、
うわお!理想のゲームましーんが!
画面には、久しぶりのライトニング~♪
相変わらずお美しい( ̄¬ ̄*) 
ただ、このどでかさんにはスピーカーが内蔵してなかったので、
手持ちのスピーカーを繋げました。
このときは、ちゃんと音も綺麗に出てました。

が、しかし!
プレステ3は、プレステ1のゲームもできるのでしゅ。
主人が仕事に出た後で、
昔のゲームやら攻略本やら、フィギュアが入った押し入れを漁り、
『クロノトリガー』を取り出して、
久しぶりにやってみよう!
と、プレステに電源を入れた途端、
スピーカーから、すごいノイズが・・・
なんで?なんでノイズ?
昨日は、あんなに綺麗に音がでてたのに?
色んな所に繋ぎ直し、色んな機械を消したりつけたりして調べてみても、
原因不明・・・
画面のライトニングにさよならを告げて、しぶしぶ電源を切りました。
(─┬─__─┬─)
まぁ、それは、帰ってきた主人と相談してなんとかするとして。

プレステ2のソフト、沢山あるんだよね。
1ほどではないけれども。
互換性がないって・・・
こっそり昔のゲームを取り出してやりたい派には、つらいものあるよね。

FF7のリメイク版が出たとき、
主人が、プレステ4と一緒に、誕生日だからと、
サプライズでプレゼントしてくれた(アリガト\(^^\)(/^^)/アリガト)のですが、
上記の理由で、全然手をつけてなかったので、
これもどでかさんに繋いでできるなぁと。
でもさ、
続編、どうなるんだろ?
プレステ4ででるの?
プレステ5、もう出てるんだよ?
4と5は互換性ありとは言ってるけど。
せっかく、主人が私が喜ぶと思って買ってくれたプレステ4を、
あんまり使わないうちに、しまい込むことはしたくない。
互換性があれば、色々遊べるのに。
残念なことが多い世の中です。






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都会

時々、都会に帰りたいと思うときがある。
光の溢れた夜景を写した写真や、ビルが建ち並ぶパノラマ写真。
そういうものを見ると、ふと、帰りたいと思う。

都会が、あの高い建物がごてごてと建っているのが、
鬱陶しいとか、息苦しいとか、空が狭くて、とか、
思ったことは一度もない。
それが当たり前だったから。
夜は、ネオンが沢山が、当たり前だったから。

今は、どれもない。
高い建物も、眩しいネオンも、ない。

あそこに、帰りたいと、思うときがある。

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東急ハンズ 池袋店

10月31日に、東急ハンズ 池袋店が閉店した。

そう聞いただけで、寂しくなった。

二人で行くときは、
何を買うでもなく、上の階から見て歩いた。

一人で行くときは、午前中に行って、
買い物をして帰ってきた。

池袋から離れてしまったので、行くことはなくなった。
お店自体に行くことも少なくなった。
今はインターネットで買う。

あの頃、一緒に歩いた人も、今は遠く離れ、
どうしているかも知らない。

ただ、懐かしく思う。
そう思うだけ。



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親友

小学生の時、仲のいい友達がいた。
彼女の家に、よく遊びに行ったし、彼女も遊びに来たりしていた。
だが、親しくなるにつれて、だんだん彼女が我が儘になり、
一緒にいて、苦痛を感じるようになった。
なんだか、楽しくないのだ。

その頃、別の子と遊ぶようにもなっていたので、
彼女から少しずつ遠ざかるようになった。
特に、彼女の誘いを断ったり、
意地悪をした覚えはない。
だが、前ほど一緒にはいなくなった。

そのときのことを、後で、彼女のお母さんから聞かされたのだが、
「親友はいらない。裏切られるから。」
と、彼女が言っていたそうだ。

彼女の我が儘についていけなくなったから遠ざかったのに、
裏切ったと言われるとは。
子供心に、心外だった。


私は、親に与えられるはずのものが与えられなかったので、
それを、外に求めていた。
無意識のうちに、友達に求めていたと思う。

今から考えると、
彼女が求めていたものも、同じものだったんだろうと思う。
両方がお互いに相手に求めていて、
私が先にネをあげた、ということだろう。


新しくできた友達は、何かと面倒見のいい子だった。
私は彼女が大好きだったのだが、
クラスがかわった途端、疎遠になった。
呼び方も、いつの間にか他人行儀な呼び方にかわっていた。

それでも、裏切られたとまでは思わなかった。
しょうがない、とあきらめた。

彼女とは、中学も同じだったが、
クラスが違ったせいか、学校内でもあまり会うことはなかった。
3年になって、幸か不幸か同じクラスになった。
彼女は、制服のスカートを長くして、鞄はぺしゃんこだった。
パーマも軽くかけていたかもしれない。
どれも『校則違反』というやつだ。

このとき見せてもらって初めて知ったのだが、
鞄の脇を針金でがっちりとめると、膨らまなくていいそうだ。

彼女が中学に入ってから、ずっとそうだったのは知っていた。
時々、そんな話を耳にしていた。
「ああ、そうなんだ。」
と、思った。
「どうして?」
とは思わなかった。

教室で、彼女と目が合うと、以前の様に笑ってくれた。
ああ、変わってないんだと思った。
私も、あの頃のようにべったりではなく、友達として彼女に接した。

母親が、またいつものように、頼んだわけでもないのに、
勝手に塾を決めてきた。
うんざりだった。
しぶしぶ行くと、そこに彼女がいた。
自分から行くと言い出すわけがないので、
彼女も親に言われて来たんだろうと思った。
親に言われて塾に来るくらいだから、
見かけより、噂されているより、グレてはいないのだろうと思った。
ただ、少し、決まった道から外れていたいのだろうと。

帰り、彼女が
「一緒に帰ろう。」
と、言った。
自転車で来てるから、と。
彼女の家と私の家は、とても近かった。
仲の良かった頃は、一緒に毎朝学校まで通っていた。
自転車にも、よく乗せてもらった。
久しぶりに彼女の後ろに乗った。
なんだか、嬉しかった。
それからずっと、塾の帰りは彼女と一緒だった。
途中で、今川焼きを買って食べたりしていた。
今川焼きを見ると、今でもその頃のことを思い出す。

だからといって、学校でも急速に親しくなったわけではない。
いつもと同じだった。
それが、お互いにちょうどいい距離だったと思う。

中学でできた友人達は、彼女と私が昔親しかったことを知らなかった。
『素行不良』とレッテルを貼られた彼女を嫌っている友達もいた。
かといって、私は学校内で彼女を避けたりはしなかった。
彼女が私を避けていなかったから、私も彼女を避けなかった。

中学を卒業して、そのまま彼女との縁は切れた。
でも、何年か前に、共通の友人から、彼女が結婚したことを聞いた。
それだけでよかった。


あの頃は、クラスがかわったせいで、彼女と距離が離れたと思っていたが、
今考えると、私は彼女に甘えすぎたんだと思う。
前の友達が私にしていたのと同じことを、私も彼女にしていたのだと気がついた。
いくら面倒見が良くて、しっかりしていても、
小学生が自分以外の誰かの心を支えるのは、荷が重すぎだろう。
クラスがかわらなくても、同じ結果になっていたと思う。


いつからか、
『親友』と誰かを呼べなくなった。
自分がその人を好きで、大切に思っていても、
相手もそうだとは限らないということを悟ったからだ。

それからも、友達は沢山できた。
これくらい親しければ『親友』と呼べるのでは、と思ったとしても、
相手は、『ただの友達』としか思ってない、かもしれない。
いや、実際に面と向かって言われたこともあった。

好きで、大切だから、ただそれだけでは、
『親友』ではないのだ。
その人が困ったときに、手助けができる。
それが『親友』なのだろう。

だから、面と向かって、あなたは親友じゃない、と言われた。
それを知って、益々、私が誰かを『親友』と呼ぶことがおこがましくなった。

今の私は、自分を護ることで精一杯で、
主人と幸湖さんを護ることで精一杯で、
他の誰かを手助けすることはできない。

例え、それでもいいと、それでも『親友』だよ、と言ってもらったとしても、
その響に酔って、嬉しくて、甘えて、失ってしまうのが怖い。

たぶん、あの頃より、まともにはなっているとは思うのだが。

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『明日はきっといい日だ』

「炎華は絶対言わない言葉だね。」
と、主人に言われた。
「私の辞書にはない言葉だ。」
と、即座に応えた。
誰かがTwitterで、呟いていた。
『明日はきっといい日だ。』

時々、叫びたくなる。
コロナのせいではない。
元々、インドア派なので、どこにも行けなくても、
全然苦ではない。
どちらかといえば、
「コロナだから、行けないよ。」
と、口実になって、ちょうどいい。

絵を描いているとき、
洋毛で、人形を作っているとき、
頭の中で、色々考えてしまい、
それが楽しい事ではなくて、
嫌な事や、不安な事を考えてしまう。
過去のつらかったことや、嫌だったことを考えてしまう。
そして、叫びたくなる。
でも、叫んだとしても、
気分がすっきりするとか、
気持ちを切り替えることができるなら、いいのだが、
きっと、もっと不安になって、
自己嫌悪に陥るだろうと思うと、
やっても無駄だという気になる。
そして、また頭の中で負のことを考えつつ、
作業を進める。


子供の頃、両親に平手で殴られたことを思い出す。
父に殴られても、母は私を庇ったりしない。
逆もしかり。
二人で私を怒る。
「あんたが悪いんだからね。」
親といると、息が詰まる。


そういえば、
転校する前、友達の従姉だというお姉さんに、嫌われていた。
そのときはなぜだかわからなかったが、
私は、鼻持ちのならない子供だったんだろう。
貧乏だから、美人じゃないから、頭もそれほど良くないから、
自分だけのすごい所が欲しくて、
ちょっと誰かに「すごいね」と誉められると、
それが人よりずっと秀でていることだと、思い込んで、
そんな気になって振る舞っていたから、
そのお姉さんは、私が嫌いだったのだろう。

今頃、そんなことを思い起こしても、
何の意味もない。

何かつらいことがあっても、
頼る人も、頼るものもなかった。
母親に、そんなことを話しても、
「でもね、それはあんたが、こうだったから・・」
聞いてくれるだけでよかったことも、
いつの間にか、説教にかわっている。
「それはつらかったね。」
「よく頑張ったね。」
「よく我慢したね。」
なんて、言ってもらったこともない。
父親には、言っても無駄だった。
聞いてないか、うるさがられるか、
怒られるかだ。
だから、何か、頼れるものが、自分の中に欲しかった。

絵が好きだった。
小さい頃から、絵を描いていた。
でも、いくら描いても、納得できる絵は描けなかった。
それを知ってるかのように、描いた絵を否定された。
もう、絵は描かないと思った。

文章を書くのも好きだった。
ちょこちょこ小説を書いていた。
でも、それを話したら
「頭おかしいんじゃないの?」
と、言われた。

何をやっても駄目なんだと、
私は、そんな人間なんだと、思った。
それでも、生きていかなきゃいけないんだ。


それまで、一番近くにいた人達に、
私はずっと否定され続けてきた。
『私』でいるな、と。
従え、と。


ただ、今、最後に傍にいてくれる主人は、違った。
『私』でいていいんだ、と、初めて言ってくれた。
「自分の好きなことをしていいんだよ。」
と言う。
「そうしている炎華を見ているのが、俺の幸せだから。」
と、言う。
涙が、止まらなかった。

また、絵を描いた。
また、小説を書いた。

自分の中に、頼れるものを、創りあげよう。
主人が創ってくれた時間の中で。

『明日もきっといい日だ』






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