忍者ブログ

昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

新型コロナ ワクチンをうちに行く。

ワクチンの予約が取れないまま、職場へ行くと、
「予約取れた?今だったら取れるよ!」
の声に、慌てて
「お願いします!」
と叫んで、予約を取ってもらった。
こんなにあっさり取れると、
今までの苦労は何だったんだ、という思いがふつふつと湧いてくる。

同僚の一人は、とっても苦労して、
自宅からかなり遠い場所を確保したのだが、
やはり職場に来ると、
「予約、今なら取れるよ!」
と、言われ、取り直してもらったそうだ。

これって、なんなんだろう。

とりあえずほっとして、
ひとしきり、近隣のDr.と同じ日同じ病院に
ワクチンをうちに行くことで盛り上がる。

近いと言っても、職場のある駅の一つ隣りの駅からバスに乗って行く。
間違いなく一人で行けるのだろうか。
私は、けっこーな方向音痴で(^0^;)

主人が心配して、
「南口に降りてすぐに横断歩道を渡って、そこにバスターミナルがあるから、
一番手前の停留所ね。」
と、わざわざ写真まで印刷して渡してくれる。

帰りは、別の路線で家まで帰るので、
そのためのバスと最寄り駅の停留所名まで調べてくれたが、
「あとはわからなくなったら、向こうで誰かに訊きなさい!」
と突き放される。
仕方がないので、Googleマップで停留所から、
駅までの道のりを検索。
Googleマップの威力が半端ないことが判明。
全くもって、その通りに行って完璧に着いた。

都会のバスの中から見る景色は、地元と全然違うなぁ。
昔はこの景色の中に住んでたのに、と思いつつ、病院に到着する。
結局、同じ日にうつことになった職場のお姉さんと一緒だったので、
一人で右往左往することはなく、
それでも、お姉さんは何も調べて来なかったようで、
「南口でて、〇66のバスに乗って(^^;」
とぶつぶつ言いつつ、目的のバスに乗り込む。

というか、うちの職場の人達は『なんとかなるさ』派が多いらしく、
我々より2時間早く予約を取ったお姉様は、
「いってくるわよ!何のバスに乗っても着くんでしょう!?」
と、言いながら去って行こうとする。
「いやいや!南口の〇66のバスに乗ってぇ!」
と背中に叫ぶと、
「えっ!どれでも着くんじゃないの?〇66ね、わかった!」
と、手を挙げて、お姉様は去って行く。
その後ろ姿を見送りながら、
地道に調べて、行けるか心配してたのがとてもアホらしく思えてきて・・・


ワクチンをうち終わって帰る道のりは、いつもの電車と違うので、
ずっと外を見ていて飽きない。
土曜日の夕方だったので、電車も空いている。
ただ、準特急だの、特急だの、がどこの駅に止まるのかがわからず、
とりあえず、止まっていた電車に乗り、
徐々に速い電車に乗り換えればいいかと。

主人と出かけるときは、いつもこの電車を使うので、
コロナが治まったら、またどこかへ行きたいなぁと思いつつ、
帰宅の途につきました。

拍手[0回]

PR

コロナワクチン2-医療従事者なのに、1回目すら射ってないです-

昨日、医療従事者なのに、1回も射ってないし、
予約もとれないと、ぼやいたら、
『医療従事者用のワクチンを高齢者にまわせと、自治体に圧力』
という記事が出ていて、
ああ、やっぱり、と思った。

大体、接種券(クーポン券?)を職場から渡されたのが、
ゴールデンウィークの前の週で、
この日からサイトに繋がるよ、という日にアクセスしたら、
はい、サイトダウンです。
電話も繋がらない。
約2週間後にサイトが復活したので、再びアクセスしたら、
地元とその周りの地区は、リストにさえ載ってない。
なんだ、こりゃ。

主人と私の両親は、高齢者枠に入っていて、
父は4日かかったと言っていたが、
すんなり10日後には、『地元で』1回目を射つそうだ。
なんだ、そりゃ。

『まだワクチンを射ってない医療従事者は、
7月になっても射てないと思います。』
と、誰かがtweetしてたなぁ・・

そして、またバスと電車に乗って職場に行き、
不特定多数の患者さんと触れ合う生活が続くのね。

拍手[0回]

コロナワクチン

一応、医療従事者なのに、ワクチン1回も射ってない(゜o゜;)
6割の人が1回は射ってるってテレビで言ってた。
予約もとれない。
地元は高齢者が優先らしく、
「余ったワクチンを医療従事者に。」
とか、言っちゃってる。
でも、なぜか地元の大手に勤めてる同業の人達は、
もうずいぶん前に、みんな2回目も射ったと聞いた。
この違いはなんだ?
大手と零細(先生ごめん(^0^;))の違いか?
このまま一般の人達の予約受付になって、
医療従事者のサイトがなくなって、
結局、ワクチン射てなかったなーってことになりそう。
それでもコロナにならなきゃいいんだけど、
バスに乗って、電車に乗って職場に通っているし、
患者さんはそれなりにいらっしゃるので、
いつかは感染する気がする。

それよりも。
主人は、臨床検査会社に勤めているのだが、
ワクチンの優先順位は『一般扱い』。
なんで?
毎日毎日、コロナウィルスの入った容器を沢山持ち歩いているのに、
毎日毎日、コロナが出ている病院に行ってるのに、
なんで『一般扱い』?
おかしくない?

そして、スーパーとかコンビニなどなどの、接客業の方々。
『一般扱い』って、変じゃない?

満員電車に乗って、職場へ向かうサラリーマンの方々だって、
あれ、すごい密だよ。
私は、行きはそれほど早い時間じゃないので、
あのすごい密には遭わないけど、帰りは、けっこう密だよ。

色々納得いかないよ。
みんな、それでも我慢してるんだよね。



拍手[0回]

誰かの期待は重い

私は『期待を裏切る』人間らしい。
「こんな人だとは思わなかった」と失望されることが多々ある。

この頃は、誰かの期待に応えるなんてことをする必要はないと思っている。
今、期待に応えようと思えるのは主人だけだ。


以前は、親の期待に応えようと必死になっていた。
勉強ができて、責任感があって、真面目で、年下の従妹達の面倒を見て、
礼儀正しく、母の母、祖母に誉められる様な子供。
元々、母が祖母に疎まれているのだから、母の娘である私が誉められるわけがない。
それでも、小さい頃は祖母に可愛がられたと思う。
だが、祖母が一番可愛がっていた母の妹に娘が生まれたときから、
何かが違ってきていたと思う。
ずっと気がつかなかったし、何かが違ってきていたなどとは思ってもみなかったのだが。

私は、自分で自分のことを何でもできる子でもなく、
年下の従妹達を自分の感情を押し殺してまでちゃんと面倒をみられるような人間ではない。
ごくごく普通の、もしかしたら普通以下のできの子供だったのだ。
期待通りに振る舞っていたとしても、必ずボロがでる。

やがて、祖母に可愛がられているすぐ下の従妹と同じ事をしても、
私だけが怒られる、ということに気がつく。
そのときは、なぜそうなのかはわからなかったのだが。

時々、祖母は従妹と私に菓子パンを買ってくれた。
従妹の好きだった菓子パンは、田舎のお店にはいつも一つしかなかった。
そのパンは私も好きだったのだが、従妹にいつも譲っていた。
当時、あんこが苦手だった私は、仕方なくイチゴジャムのパンを選んでいた。
ある日、祖母がジャムパンと従妹の好きなパンを買ってきて、
「好きなのを食べなさい。」
と言った。
それで、たまには美味しいパンを食べたいと、それを持ったとき、
「それは貴女のではない。」
と言われた。
その言い方も、祖母の顔も気に入らなかった。
ずっと譲ってきたのだから、1度くらいはいいじゃないかと思った。
なぜそれがだめなのか。
結局、最後まで譲らなかった。
なぜ私だけいつも我慢しなくちゃいけないのかと、心の中で叫んでいた。
いつもパンを食べていた縁側に行って食べた。

祖母はそのことを母にこう告げた。
「××ちゃん(すぐ下の従妹)の好きなパンを、盗って隠れて食べた。」
母は、私に理由を訊くことなくひどく怒った。
祖母に誉められる様に礼儀正しくしているはずの私が、最低の評価を下されて、
泥棒とまで言われて、恥ずかしかったのだろう。
自分の娘を泥棒扱いされて、理由も訊かず娘を怒る母親。
そんな子じゃないと、祖母に言ってくれるはずもなく。

そんな人達の期待に応える意味などあるのか?
え?昔の私よ。

勝手に期待して、裏切られたと騒ぐ人間に、義理立てする必要があるのか?









拍手[0回]

自己肯定感

小学生の頃いじめにあったことを前に書きました。
いじめた方は覚えてないか、昔の事だからと気楽にとらえているか、
そんなの大したことはではないと思っているということをよく見ますし、耳にします。
けれども、いじめられた方は絶対に忘れないし、絶対に許さないと思っている、と。

私も忘れてないですよ。
どんな風にいじめられたかもちゃんと覚えてます。
そのときのいじめた方の表情さえ思い出せますよ。

でも、私は許しちゃってるんですね。
中学、高校でやられたなら許せないと思いますが、小学生だったので、しょうがないのかな、と。

ただ、ひとつだけ。
小学校の5年生でしたか、
授業中に手に巻いたり、指ピストル?するように巻いたりして、輪ゴムを弄んでました。
机に指をたてたとき、反動で小指が離れ、
輪ゴムは見事には斜め前の友達の机に当たって落ちました。
びっくりした友達は後ろを振り返り、私が「ごめん!」ポーズをしているのを見ると、
にっこり笑って「びっくりした~」と声を出さずに口の形で言いました。
それを見て再び「ごめんね」ポーズをしたとき、
「先生、〇〇(私の名字)輪ゴムで遊んでる」
斜め後ろ(だったと思う)に座っていた男子の教室中に響き渡る声が。

余分に予習していったときに「馬鹿みたい!」と言い放った担任(おー!忘れてないねぇ)が、
「そうね。拾いなさい。」
席を立って輪ゴムを拾っている私に担任は言いました。
「授業中に遊んでじゃないわよ。」

声をあげた男子は、その担任のお気に入りでした。
彼がそんな風に言いつけるということはなかったので、驚きましたね。

ずっと忘れていたことですが、いじめのことを考えていたとき、一緒に思い出しました。
いじめということではなくて、授業中に遊んでる私が悪かったんですけれども(^0^;)

思い出したら、
なんで私だけそんな風に言いつけられたんですかねぇ?
ということが気になって考えてみました。
結論として、彼に嫌われてたんでしょうね。
同じ中学に行って、家も近かったのですが、
何か話したという記憶がないので、そうなんでしょう。


さて本題。

私は自己肯定感が低いです。
今は、主人が盛り立ててくれて、誉めてくれているので、なんとか浮上していられますが。

自己肯定感が低くなったのは、こんな風に生き辛いのは、
あんなことがあったせいだ、とか
あいつのせいだ、とか
何かのせいにしたくなるんです。

私には、許せず、恨んでいることがあります。
それがあるせいで、いじめられたことも、
前のだんなに義母と義弟と、私を天秤にかけた末に
「お前は家族じゃない」と否定されたことも、
今では簡単に許せてしまうくらいです。


元々、私は望まれて生まれてきたわけじゃないらしいですよ。
父が母を繋ぎ止めるための道具として必要だったのが私ですから。
生まれてきてしまったなら育てるしかない。
母はそう思ったそうです。
私が母のお腹にできてから、もう道具としての役割で決まりです。
生きていることによって、そのまま勝手に継続するわけです。
私を積極的に面倒見たり可愛がったりする必要は父にはないわけですよ。
父は、私より自分の事が大事ですよ。
それをどうのこうの言うつもりはないです。
人間は誰でも自分が大事です。
よくわかります。

母は、父と私の面倒を見ながら、働いていました。
父は、家のことは何もしません。
大変だったと思いますよ。
だから、母は私に面倒をかけられたくなかったでしょうね。
よって、自分の意に染まぬ事は全て反対され、禁止されました。
私は母と同一であり、根本は、母と同じ性質であると決めつけられたわけです。

それがはっきりわかったのは、
「それじゃあ、私がやりたいことができないから。」
と私が言うと、
「もうあきらめて子供にやらせなさい。」
と、母が言ったとき。

この人は、自分がやりたかったことを私に押しつけたんだ、と思いましたね。
私は母の中で同一なんだと。
だから、母がそうだから私もそうなんだと決めつけてたんだ、と。
行きたくも無い習字を習わされたのも、自分が字が上手い方がよかったから、
行きたくも無い塾に行かされたのも、自分がもっと勉強したかったから。

「・・・・何言ってんの?
子供と私は違うんだよ。
子供が経験したって、私が経験したことにはならないんだよ。」
(ちなみに、私に子供はいません(^0^;))
と、冷たく言ったにも関わらず、母は
「なんで?変なの。」
と言い放ちました。

『変』なのはお前だ!
こんな変な人間に育てられた私がまともなわけがない!
こんな変な人間に全てを禁止されて、
頭から否定されてそれに逆らえず育った私が自己肯定感が高いわけがない!
自分でさえ嫌いなこの私を、誰も必要としないのは当然だ!
天秤にかけられて、お前はいらんと言われるのは当然だ・・

今は、主人がいてくれるので、『自分』を保っていられますが。


母には弟妹が沢山いて、体の弱いお兄さんがいました。
家は貧しかったので、母とすぐ下の妹2人が働いて家を支え、
土地を買い山を買い畑を作りました。
勉強がしたかったと母はよく言ってました。
だから、私には沢山勉強させてあげるんだ、と。
確かに、このコロナの時でも仕事があって、困らないですよ。
それは感謝してますよ。

でも、
他には何もできませんでした。

自分が一つのことしか集中してできないから、と、他に何も許されませんでした。
特に恋愛は御法度でした。
そういえば、恋愛も母が嫌いなものでしたね。
男の人を好きになるなんてくだらない、と思っていたようです。

なのに、
最近になって、母の妹が遊びに来たときに、
叔母には2人娘がいて、好きな人ができると
「お母さん、明日デートなんだけどどれ着ていこう?」とか、
「クラスに格好いい子がいるんだけど。」とか、
3人でわやわや楽しんでいたという話をしてました。
そのとき母が
「私もあんたとそんな話したかったな。」

なにを-!!!!

驚きを通り越して怒りに変わりましたよ。
「何言ってんの?恋愛は御法度とか言っておいて。
そんな話できるわけないでしょう。」
どの口が言うんだ。


元が、飾っても大したことにはならないものですが、
お洒落も化粧も美容院に行って髪を綺麗にしたりもできませんでした。

そして、いつも言われるのは、
家には「お金が無い」。

2間の部屋には、台所があるのみ。
トイレは共同。
お風呂は銭湯。
洗濯機もエアコンも電話もない。
大きな冷蔵庫も置けないから、冷凍庫がない。
確かに、賃貸に住んでる同級生は沢山いました。
でも、お風呂のない部屋に住んでる子なんて、少なくとも友人にはいませんでした。


『許される』ことがなく、『誉められる』こともなく。
泣いただけで怒られるんですよ。
子供に泣くことを禁じるってどうかと思いますよ。
泣くと、怒られた上にぶたれたりすることもありました。
母は、自分はそんな事で泣いたりしないのに、なぜあんたは泣くのよ、
って気持ちだったんでしょうね。
そんなことで面倒をかけるな、と。

私は嘘をつくようになりました。
怒られないようにと嘘をつき、壊れないようにと自分を大きく見せる。
担任に言いつけた男子に嫌われてても仕方がない人間ですよ。
外見も平均以下ですし、更に服も持ってる物もお洒落じゃないですしね。
大学の時、あり合わせの服を着てたら、誰も何も言いませんでしたが、
趣味が悪いと思われていたようですよ。
買えないから、とは誰も思わなかったようです。

何にも優れた所がないので、多少勉強はできましたが、
自信になるものなんて何もないですよ。
おまけに私の育った時代は、『周りを蹴落としてでも上にあがれ!』でしたから、
自信は削れていくばかり。

帰りのHRは誰かの行動の批判の言いつけあいですよ。
あほらしいですよ。
「〇〇さんは、足で椅子を片付けてましたぁ!」とか
「〇〇くんは、机に座ってましたぁ!」とか。
これが何になるんですかね?
私にはわからないですね。

そんなでしたから、勉強することしか許してもらえなかった私が、
何かで自信を積み上げることができたら、奇跡ですよ。
嫌な人間に中途半端に磨きがかかっただけですよ。


なんだか疲れた。
その2に続く。



















拍手[0回]