小学生の頃いじめにあったことを前に書きました。
いじめた方は覚えてないか、昔の事だからと気楽にとらえているか、
そんなの大したことはではないと思っているということをよく見ますし、耳にします。
けれども、いじめられた方は絶対に忘れないし、絶対に許さないと思っている、と。
私も忘れてないですよ。
どんな風にいじめられたかもちゃんと覚えてます。
そのときのいじめた方の表情さえ思い出せますよ。
でも、私は許しちゃってるんですね。
中学、高校でやられたなら許せないと思いますが、小学生だったので、しょうがないのかな、と。
ただ、ひとつだけ。
小学校の5年生でしたか、
授業中に手に巻いたり、指ピストル?するように巻いたりして、輪ゴムを弄んでました。
机に指をたてたとき、反動で小指が離れ、
輪ゴムは見事には斜め前の友達の机に当たって落ちました。
びっくりした友達は後ろを振り返り、私が「ごめん!」ポーズをしているのを見ると、
にっこり笑って「びっくりした~」と声を出さずに口の形で言いました。
それを見て再び「ごめんね」ポーズをしたとき、
「先生、〇〇(私の名字)輪ゴムで遊んでる」
斜め後ろ(だったと思う)に座っていた男子の教室中に響き渡る声が。
余分に予習していったときに「馬鹿みたい!」と言い放った担任(おー!忘れてないねぇ)が、
「そうね。拾いなさい。」
席を立って輪ゴムを拾っている私に担任は言いました。
「授業中に遊んでじゃないわよ。」
声をあげた男子は、その担任のお気に入りでした。
彼がそんな風に言いつけるということはなかったので、驚きましたね。
ずっと忘れていたことですが、いじめのことを考えていたとき、一緒に思い出しました。
いじめということではなくて、授業中に遊んでる私が悪かったんですけれども(^0^;)
思い出したら、
なんで私だけそんな風に言いつけられたんですかねぇ?
ということが気になって考えてみました。
結論として、彼に嫌われてたんでしょうね。
同じ中学に行って、家も近かったのですが、
何か話したという記憶がないので、そうなんでしょう。
さて本題。
私は自己肯定感が低いです。
今は、主人が盛り立ててくれて、誉めてくれているので、なんとか浮上していられますが。
自己肯定感が低くなったのは、こんな風に生き辛いのは、
あんなことがあったせいだ、とか
あいつのせいだ、とか
何かのせいにしたくなるんです。
私には、許せず、恨んでいることがあります。
それがあるせいで、いじめられたことも、
前のだんなに義母と義弟と、私を天秤にかけた末に
「お前は家族じゃない」と否定されたことも、
今では簡単に許せてしまうくらいです。
元々、私は望まれて生まれてきたわけじゃないらしいですよ。
父が母を繋ぎ止めるための道具として必要だったのが私ですから。
生まれてきてしまったなら育てるしかない。
母はそう思ったそうです。
私が母のお腹にできてから、もう道具としての役割で決まりです。
生きていることによって、そのまま勝手に継続するわけです。
私を積極的に面倒見たり可愛がったりする必要は父にはないわけですよ。
父は、私より自分の事が大事ですよ。
それをどうのこうの言うつもりはないです。
人間は誰でも自分が大事です。
よくわかります。
母は、父と私の面倒を見ながら、働いていました。
父は、家のことは何もしません。
大変だったと思いますよ。
だから、母は私に面倒をかけられたくなかったでしょうね。
よって、自分の意に染まぬ事は全て反対され、禁止されました。
私は母と同一であり、根本は、母と同じ性質であると決めつけられたわけです。
それがはっきりわかったのは、
「それじゃあ、私がやりたいことができないから。」
と私が言うと、
「もうあきらめて子供にやらせなさい。」
と、母が言ったとき。
この人は、自分がやりたかったことを私に押しつけたんだ、と思いましたね。
私は母の中で同一なんだと。
だから、母がそうだから私もそうなんだと決めつけてたんだ、と。
行きたくも無い習字を習わされたのも、自分が字が上手い方がよかったから、
行きたくも無い塾に行かされたのも、自分がもっと勉強したかったから。
「・・・・何言ってんの?
子供と私は違うんだよ。
子供が経験したって、私が経験したことにはならないんだよ。」
(ちなみに、私に子供はいません(^0^;))
と、冷たく言ったにも関わらず、母は
「なんで?変なの。」
と言い放ちました。
『変』なのはお前だ!
こんな変な人間に育てられた私がまともなわけがない!
こんな変な人間に全てを禁止されて、
頭から否定されてそれに逆らえず育った私が自己肯定感が高いわけがない!
自分でさえ嫌いなこの私を、誰も必要としないのは当然だ!
天秤にかけられて、お前はいらんと言われるのは当然だ・・
今は、主人がいてくれるので、『自分』を保っていられますが。
母には弟妹が沢山いて、体の弱いお兄さんがいました。
家は貧しかったので、母とすぐ下の妹2人が働いて家を支え、
土地を買い山を買い畑を作りました。
勉強がしたかったと母はよく言ってました。
だから、私には沢山勉強させてあげるんだ、と。
確かに、このコロナの時でも仕事があって、困らないですよ。
それは感謝してますよ。
でも、
他には何もできませんでした。
自分が一つのことしか集中してできないから、と、他に何も許されませんでした。
特に恋愛は御法度でした。
そういえば、恋愛も母が嫌いなものでしたね。
男の人を好きになるなんてくだらない、と思っていたようです。
なのに、
最近になって、母の妹が遊びに来たときに、
叔母には2人娘がいて、好きな人ができると
「お母さん、明日デートなんだけどどれ着ていこう?」とか、
「クラスに格好いい子がいるんだけど。」とか、
3人でわやわや楽しんでいたという話をしてました。
そのとき母が
「私もあんたとそんな話したかったな。」
なにを-!!!!
驚きを通り越して怒りに変わりましたよ。
「何言ってんの?恋愛は御法度とか言っておいて。
そんな話できるわけないでしょう。」
どの口が言うんだ。
元が、飾っても大したことにはならないものですが、
お洒落も化粧も美容院に行って髪を綺麗にしたりもできませんでした。
そして、いつも言われるのは、
家には「お金が無い」。
2間の部屋には、台所があるのみ。
トイレは共同。
お風呂は銭湯。
洗濯機もエアコンも電話もない。
大きな冷蔵庫も置けないから、冷凍庫がない。
確かに、賃貸に住んでる同級生は沢山いました。
でも、お風呂のない部屋に住んでる子なんて、少なくとも友人にはいませんでした。
『許される』ことがなく、『誉められる』こともなく。
泣いただけで怒られるんですよ。
子供に泣くことを禁じるってどうかと思いますよ。
泣くと、怒られた上にぶたれたりすることもありました。
母は、自分はそんな事で泣いたりしないのに、なぜあんたは泣くのよ、
って気持ちだったんでしょうね。
そんなことで面倒をかけるな、と。
私は嘘をつくようになりました。
怒られないようにと嘘をつき、壊れないようにと自分を大きく見せる。
担任に言いつけた男子に嫌われてても仕方がない人間ですよ。
外見も平均以下ですし、更に服も持ってる物もお洒落じゃないですしね。
大学の時、あり合わせの服を着てたら、誰も何も言いませんでしたが、
趣味が悪いと思われていたようですよ。
買えないから、とは誰も思わなかったようです。
何にも優れた所がないので、多少勉強はできましたが、
自信になるものなんて何もないですよ。
おまけに私の育った時代は、『周りを蹴落としてでも上にあがれ!』でしたから、
自信は削れていくばかり。
帰りのHRは誰かの行動の批判の言いつけあいですよ。
あほらしいですよ。
「〇〇さんは、足で椅子を片付けてましたぁ!」とか
「〇〇くんは、机に座ってましたぁ!」とか。
これが何になるんですかね?
私にはわからないですね。
そんなでしたから、勉強することしか許してもらえなかった私が、
何かで自信を積み上げることができたら、奇跡ですよ。
嫌な人間に中途半端に磨きがかかっただけですよ。
なんだか疲れた。
その2に続く。