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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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『式姫の庭』と『艦これ』

『艦隊これくしょん』というオンラインゲームを主人と一緒に楽しんでいる。

『艦隊これくしょん-艦これ-』は、角川ゲームスが開発し、
DMM.comが配信しているブラウザゲームです。(これを書いておかないと(^0^;))
日本の(この頃は海外艦もありますが)連合艦隊の艦船の擬人化のゲームです。

昔から、艦船が好きだった。
自分では作れないので、『戦艦 霧島』のプラモデルを作ってもらって飾っていた。
『重巡 青葉』も作ってもらうはずだったのだが、それは叶わなかった。

なので、連合艦隊のボードゲームもやってはみた。
駆逐は何マス進めて、何マス砲撃可、陣形が乱れると防御力が下がり、
夜になるとなんとかかんとかのルールを自分で覚えて行うゲームだったので、ぼろ負けだった。
相手が史実をきっちり学んでいたので、余計ひどかった。

それから、ずっとやってみたいと思ってはいたが、
あの面倒くささを思い出して、色々な艦船のゲームには手を出せなかった。

艦これの存在も知ってはいたのだが、
やってみようと思ったときは、入場制限していたので入れなかった。
そして、門戸を開くときは必ず仕事の日だった。

やっと泊地に入れて、始められたときは嬉しかった。
楽しい。
通常海域に出撃して、練度を上げたり、任務をこなしているときは。

艦これにも、春夏秋冬、年に4回イベントなるものがある。
私はこの『イベント』が、実はとっても憂鬱なのだ。
憂鬱ならやらなければいいのだが、
この『イベント』という期間限定の海域でしか手に入らない艦娘や装備があるので、
しぶしぶ出撃させることになる。
おまけに、海域によって出した艦娘には札がついて、他の海域には出せなくなる。
(難易度は4段階 甲乙丙丁 
全ての艦娘に札がつくが丙と丁においては別の海域にも出せる。)

主人は嬉々としてイベントに向かう。
どんなにやり直しをさせられても、くじけず喜んで向かう。
そして、やりとげる。

イベントでしか手に入らない艦娘と装備がなかったら、絶対やらない。
というのも、艦隊これくしょんというゲームは、かなり運に左右されるところが大きい。
特にイベントなどというと、そりゃあもう。
運のない私にとってはかなりきついですわ。
「なんでそこ!?」
と何度口にすることか。

今絶賛開催中の夏イベは、いつもに増してその要素が強いようです・・・
ちゃんと攻撃がかみあってくれれば倒せるものを。
バラバラ
この子はこっち、あの子はあっち。

つらい・・・楽しくない・・・でも、
難しい所に挑戦しないと、いい装備は手に入らない。
ちゃんと艦娘を育てて、装備を改修してても、運に左右される・・

E2-2のラスダンで立ち往生しているところへ、
今度の日曜日9月22日の東京ビッグサイトでのイベント『砲雷撃戦よーい!』で頒布する
アクリルキーホルダーとドミストが、まいどぅーさんから届く。
「これは、今回出品しないよ。」
と主人に言ったのだが、主人のそれに対する応えが、
「え?なんで?出しておいた方がいいんじゃない。
『艦これ』だって、いつまで続くかわからないし。」
・・・ショックだった。
そうだよ、いつまで続くかわからないんだよ。
こんな風に、一生懸命艦娘を育てても、何人もゲットしても、いい装備を手に入れても、
運営さんが、『終わりにします』と告知したら、一瞬にしてなくなる。

そうなんだ。
今年の7月に終わってしまった『式姫の庭』だって、
一生懸命、式姫を集めて育てて強くしたのに、
『サービスを終了いたします。』
と運営さんが告知して、一瞬にして全部なくなってしまったんだよ。

まだ絵を描いてなかったころ、
主人が仕事を辞めざるを得なくなって、家で養生することになり、
私が働いて生活費を稼いでいたときがありました。
(ちなみに、今も同じ所で働いてますよ(^^))
そんなに長い期間ではなかったのですが、先のことを考えると
『この先、どうなっちゃうんだろう。』
と、すごく不安になってました。
疲れてぼーっと座っていると、頭だけ回転してどんどん不安になるので、
気を紛らわすために『式姫の庭』をやってました。
無理に先のことは考えないようにして、そのときだけは式姫のことだけ考えてました。

主人の言葉に、そのときのことを思い出しました。
艦これも、いつか終わるときがくる。


主人は、つらいのが楽しいと言います。
(・・・・だんなが精神的なドMな件について・・・(^0^;))
だから、艦これがいいのだと。
私は残念ながら、ドMじゃないんだよぉぉぉ!
コーギー幸湖さんの絵の、毛を一本一本描くのには夢中になるけど、
あれも結構つらいけど、右手も目もなぜか左の肩と背中も痛くなってつらいけど、
そういうのは我慢できる。
しかし!
艦これの攻撃がバラバラでラスボスが倒せないとか、
道中大破が続いて10回ボスにたどりつけないとか、
そういうのには耐えられないんだよぉぉぉ(T-T)

そういうときに必ず言われる言葉。
「だったらやめればいい。」
「だったらやらなければいい。」
いや!
止める気も、途中で投げ出す気もない。
あの装備を手にするまで、絶対に止めない!

と、今まではムキになってました。
あの、「いずれ終わる」の言葉を聞くまでは。

楽しむために始めたゲームなのに、辛くて嫌なことをやるべきか?
でもなぁ・・
いい装備が欲しいしなぁ・・
せめて、改修で手に入るなら・・

式姫は、ほとんどが、そこまでにするのにはすごく大変だけど、
下位の姫から作り出せたもんな。
だから、嬉しくてずっとやっていたけど。

艦これは、装備を手に入れ損なったら、ロストしたら
同じものが手に入るという可能性がほとんどない。
すごく大変だけど、改修で必ず手に入る!ようにしてくれればいいのに。
新しい装備もいいけど、今ある装備を上位に改修させて欲しいなぁ。
そしたら、イベントも楽しむために出撃することができるんだけど。

などと言ってはみたものの、運営さんに届くわけもなく。


ということで、
1日2回ラスボスを攻撃することにしました。
たどりつけなかったら、やり直し。
倒せないままイベントが終わるなら、それはそれであきらめる。
難易度を落として、やっぱりもう少し頑張ればよかったなんて思うのも嫌だし、
かといって、イベントに張り付いて
「あー!この日までに描き上げるはずだったのに!」
となってしまうのも困るので。


E2-2は、洗濯物を干しているうちに終わってました。
どうせまたかみあわないよ、と、もくもくと洗濯物を干して、
夜戦夜戦、と夜戦ボタンをぽちっとして、
再び洗濯物を干し終わって帰ってきたら終わってました。
攻撃ががっちりかみあったのね。
S勝利でしたよ。
見てないと、終わるのね・・・
おまけに グレカーレも来ました。
できすぎのこれはなんなんだ?
巨人大好きの父が試合を見てると勝てなくて、
腹立てて番組かえると勝ってるってあれと一緒か?

(この独り言は、9月に書いてそのままアップせずにほったらかしにしてました(^0^;)
昨日から、艦これは冬イベが始まっております。)


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『言の葉の庭』を観て思い出したこと-その2

全然、映画とは関係ないところにいってしまってます(^◇^;)
それでも、多少のネタバレありです。


前回は自分の虐められたことを書きました。
それの付け足しを少し。

洋服が汚れてたり、怪我してたりしてて、
親が気がつかなかったはずがない、と思われるかもしれませんが、
気がつかなかったでしょうね。
両親共々、新しい職場に慣れるのに、または新しい場所に慣れるのに必死でしたでしょうし、
うちには洗濯機がなかったので、自分の着る物は自分で洗ってました。
別にやれと言われたわけではなく、ただ洗濯だけは好きでしたので、
自主的にやってました。

それに、当時は鉄棒が流行っていて、
鉄棒にカーディガンを巻いて、ぐるぐるまわるようなことをしてましたから、
服が汚れてようが、破れてようが、
「また鉄棒か。やれやれ。」
と母は思っていたと思います。

怪我していても、
新宿では転んだり、指挟んだり、子供がしそうな怪我は思い切りしてましたから、
「子供はそういうもの。」
と思っていたと思います。

気がついたとしても、なんとかしてあげようとは思わなかったんじゃないかな。
「自分の事は自分でなんとかしなさい。」
そう思っていたと思います。
子供にはどうにもできないこともあるんですがね。


主人も、小中学校と虐められていたそうです。
主人の場合は、クラスの人間全てからの『無視』ですかね。
主人は、『スイッチが入ると突っ走るタイプ』です。
当時は、融通がきかない、空気が読めない、が強固に加わっていたと思いますよ。
今もこちらが意見を通すのが大変なときがありますし。
主人のことをこんな風に書くのは気が引けるなぁ(^◇^;)

よせばいいのに、『風紀委員』なぞをやっていたそうです。
使命感に燃えてたんでしょうねぇ。
スイッチが入って突っ走って、融通きかなくて、先生にさえ突っかかっていく(^◇^;)
こんな風紀委員が自分のクラスにいたら、私もつらいわぁ。
クラス全員に無視されるでしょうね。
暴力をふるわれなかったのは、勉強ができたから、らしいですよ。
ただそれも気に食わなくて、無視された、と。
そうだったと覚えてるって事は、辛かったという記憶があるんでしょうね。

籍入れてすぐだったかしら。
主人の中学校の卒業アルバムを主人の母に見せていただいたのですが、
クラスの一人に一つ何かコメントを書く、みたいなコーナーがあって、
そのときは、無視されていたなんて知らなかったので、
こんな事書いてもらってるよ、なんて思いながら読んでいました。
ずっと後になって、クラス全員から無視されてたと聞かされたとき、
あのコメントを思い出しました。
わざとらしくて、反吐がでる。
書けって言われた方もさぞ困ったでしょうね。
同情しますよ。
「なんで私が。」
と思ったんじゃないですかね。
いいじゃないですか、
「キビシクしてくれてありがとう!」
ってイヤミたっぷりに書けば。
それを

あれを見たとき、主人はどう思ったでしょうね。
・・・見なかったか。


大人は、傷つかないんだと、子供の頃は思ってましたね。
特に先生は。
5、6年生のときは、若い女性の先生が担任でしたが、
余分に予習していって、
「馬鹿みたい。」
と言われたのをまだ覚えていて、先生に対しての印象は良くないです。

中学では、隣のクラスの先生が、集まっていた生徒に向かって、
「みんな視力、悪いんだろ?そんな眼、つぶしちゃえ。」
と平気で言ってましたしね。

大学の時は、
「女は汚いから。」
と平気で言う教授がいましたし。

先生に対する印象は、どれも最悪で
先生という職業についた人は傷つける側なんだと、思ってましたね。
多少気に入らないことがあっても、生徒を傷つけることで、うさを晴らしているのだと。
今では、大人でも、先生でも、人は傷つくのだとわかっております。

小学校の3,4年生の時の担任の先生は、
保護者になんだかんだ言われて、その子供達になめられて、
注意しても言うことをきかなくて、
いつもため息ばかりついていて、かなりきつかったと思います。
私達の担任をはずれ、低学年の担任になって、その後、
『言の葉の庭』の先生のように、故郷へ帰ってしまわれました。

いつも『故郷に帰る』というストーリーを観て思うのですが、
故郷に帰れば、同じ職業の「先生」として上手くやっていけるんですか?
私は、東京生まれ東京育ちで、更に親が転々としていたので、帰る故郷はありません。
なので、そういうところが全然わからないんです。
故郷の、この場合、東京以外の場所の『生徒』は、底意地悪くないんですかね?
みんな純粋で、素直なんですか?
東京の子供達は、底意地が悪いんですかね?
東京の親たちだけが、先生に対して厳しいんですかね?

それとも、自分が生まれ育った場所だから、
アウェイではなく、ホームだから、
親ももしかしたら兄妹もいて、更に友達もいるから、
上手くやっていけるということなんでしょうか。


はぁ・・・
雨ばかりで、洗濯物が外に干せなくていらいらしちゃうよ。
今日、コーギー幸湖さんの散歩に行ったら、嫌な事あったし。
おかげで、記事が辛口になっちゃったよ。




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『言の葉の庭』を観て思い出したこと

まず、
まだ観てなくて、これから観ようと思っていらっしゃる方は読まない方がいいです。
ネタバレ部分が多少あります。



『言の葉の庭』は、新海誠監督のアニメ映画で、
新宿(主に新宿御苑)が舞台です。

懐かしいですねぇ。
子供の頃、新宿に何年か住んでました。
あの巨大繁華街には歩いて行けましたが、少し遠かったですね。
行きたくもありませんでしたが、
無理矢理習わされた習字の教室が、繁華街の近くにあり、
毎週土曜日の午後、歩いて行ってました。
何年も通ったわりには、字は下手ですよ。
何か意味があったんですかね?
母は行きたくもないのに、
塾とか楽しくもない習い事を勝手に決めてくるんですよ。
いやいやなので、どれも身になった気はしませんが。
あの頃は、毎日思い切り遊びたかったですね。
そんな子供の些細な願いを、なんで許してもらえなかったんだろうな。


まぁ、それは置いておいて
『いじめ』の話を。


父は何回か仕事をかえました。
仕事をかえる度に住む所もかわりましたので、
小学校3年生の時に、新宿から離れました。
新しい所には、某企業の大きな社宅があり、
そこから通っている子供が多かったです。
私の入ったクラスは、癖のある男の子が多く、
その子達はほとんどがその社宅の子供だったのですが。

いじめられましたねー
そのクラスの男子はなぜか女の子を常にいじめるんです。
上履きや筆箱やノートを隠されるのは日常茶飯事。
後ろに座っている子が、
椅子の腰掛けるところに足を乗せてきてそのまま蹴られたり、
上履きを履いているので泥だらけとまではいきませんが、服はそれなりに汚れます。
5段ぐらいの階段の上に立っていたら、
突き飛ばされて落ちて膝に怪我をしました。
この傷は未だに痕になってます。
あるときは、前に座っている子が、テストの用紙を後ろにまわすのに、
思い切り後ろに振り回し、
目の間に当たり、怪我をしたこともあります。
「いたっ!」
思わず言ったら、振り返って
「当たった?あはは!」
だって。「ごめん」もなし。
目に当たったらどうするつもりだったんだ?

こんな奴らも、今頃親になってるんだろうな・・・

新宿では、こんなことはありませんでした。
学校でも、近所でも、年齢も性別も関係なく、
子供達だけで少し遠い神社へ銀杏を取りに行ったり、
道で広がって遊んだりしてました。
そういう所だったので、あの頃は思いっきり遊びたかったですよ。
塾も習字も行きたくありませんでしたね。


引っ越した場所は、新宿とは全然違いました。
上級生は下級生で目立つ子がいると、
「生意気だ。」
と呼び出す始末。
小学生が、です。
同級生でさえ、今で言う、カースト制度がありましたよ。

そして、そんな『手のつけられないクラス』の担任は、若い男の先生でした。
やはりなめられてましたよ。
これは、母に聞いた話なのですが、
社宅のお母様達が、
「あんな若い先生は頼りなくて。」
と、さんざん言っていたらしい。
保護者会でも、先生がいじめられていたようです。
それをそのまま子供達の前でも言ってたんでしょうね。
子供達が先生をなめきるのは当たり前ですよ。
先生はいつもため息をついてました。

あるとき、突然他のクラスの女子からもいじめられるようになったんですよ。
私は、その子達のことは全然知りませんでした。
学校の中で会うと、こそこそ何か言われて笑われる。
「ブスがきた!やだやだ!」
「あー 豚に会っちゃった!今日は嫌な日!」
などと大声で言われたりもしましたね。
階段で、お尻をぶたれて振り返ると、彼女達がいて、
「こうやって手を勢いよく振って歩くのがいいのよ!」
と言って、ずっとお尻をぶってくる。
足を踏んできたりもする。
それでも、いじめられる理由が全然わからない。


自分のクラスでも男子にいじめられる、
他のクラスの女子にもいじめられる。
それでも学校を休もうと思わなかったのは何でだろうなぁ?
親には言えませんでしたね。
『いじめられている』なんて、
親に言うのは屈辱な気がして。
心配させたくない、とか、そういう気持ちじゃなかったですよ。
言っても、たぶんどうにもしてくれなかったでしょうし。
どうにもならなかったでしょうし。
かえって、
「それはあんたに何か虐めたくなるところがあるんじゃないの?」
とか言われて、
「あんたが悪い」
ように言われるのがオチ。

その状態がどれくらい続いたのかは忘れましたが、
友達が気がついたんですね。
そして、
「なんで黙ってるの?」
って。
私はなぜかその頃、大人を頼りにしてませんでした。
親も。先生も。
小学3年生の頃の私は強かったなぁ。
頑固だっただけかしら(^◇^;)
飽きれば、止めるだろうと思ってました。
それでどうしたんだったかしら。
友達に説得されて、先生に話しに行ったんだったか、
友達が先生に言ってくれたのかは忘れましたが、
私をいじめていた子を全員連れて、
そのクラスの担任の先生が授業中に来て、
なんで授業中だったんだろ?
私に一人一人謝らせました。
私が助かったのは、
その後その女子達のいじめがぴたっとなくなったことですね。
自主的に、「ごめんね」と、またわざわざ言いに来てくれた子もいたし、
その後、同じクラスになって、友達になった子もいました。
未だに、理由がわからないのですが、
掘り起こして訊ねるのも、ねぇ。


あのとき、担任の先生は、私がいじめられているということを
ちゃんとそのクラスの担任の先生に伝えてくれたんだなぁと。
黙ってスルーしてしまうような先生ではなかったですね。
お母様達が言うように、全然頼りなくはなかったですよ。

あのまま続いていたら、我慢の限界がきて、
相手を殴って怪我させたかもしれないです。
子供で女子だから、そんな力はないですが、
クラスの男子には反撃して、思いっきり何度もぶったたきました。
切れると、頭に血が上ってやぶれかぶれになるタイプ?(^◇^;)

あんな奴らも、父親になってるんだろうな・・・
あんなに虐めた女子(奥さん達)の尻に敷かれてろ・・・(^人^) オ・ネ・ガ・イ♪


でも、でもですね、
ほとんどが同じ中学に行ったんです。
男子ってかわるのね。
「この屑野郎がっ!死ぬまで苦しめ!」
と小学校の頃思っていた奴らが、
3年生が終わる頃は、みんな優しいお兄さんでしたよ。
奥さんの尻に敷かれてる人がいてもおかしくないですね(¬ー¬) フフフ


例えば、
土曜日のお昼は給食がないです。
午後にクラブ活動のある生徒達はお弁当を持ってきてます。
私は帰宅部だったので、何も持ってきてなかったのですが、
友達に用があって、部室に行くと、
よくあの頃いじめられた男子がパンを食べてました。
クラスが違っていて、ずっと話すこともなかったですね。
友達を待っている間、話しかけることもせず、
それでも手持ちぶさただったので、彼が食べているのをぼーっと見てました。
「なに?欲しいの?」
視線を感じたのか(そりゃ感じるわな(^0^;))笑いながら言われたので、
お腹は空いてませんでしたが、
「うん!」
と思い切り頷いてみました。すると、
「しょうがないなぁ・・」
と言いながら、食べてるパンの半分だったかな?4分の1だったかな?をちぎって
「ほい。」
と、くれました。
昔だったら、
「何みてんだよ!見るんじゃねぇ!気持ち悪い!」
と、怒鳴られるところです。
みんな大人になってかわるんだなぁと、
もらったあんパンを頬張りながら思いましたよ。
その後、来た私の友達にもあんパンとられてましたけど(^◇^;)
いじめっ子も、いつまでもいじめっ子ではないんですね。
環境に左右されるとは思いますが。

こんな風にいじめられた私も、自分ではそんなつもりではなくても、
いじめられた腹いせに誰かにあたっていたかもしれないし、
傷つけていたかもしれないので、
いじめっ子だった誰かを批判できる立場ではないです。
いじめられているときは、悔しかったですし、悲しかったですが。

私は周りに助けられました。
先生と友達と。
いじめる方も底意地が悪かったんではなさそうなので、
助かったのかな。






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結婚式-その2

昨日の記事で、
主人と見解の相違がありまして、言い争いのようになってしまいました。

それが、某ありえない式場の以前の口コミで、
新婦さんが生魚(だよね(^0^;))が食べられないので、
他のに替えて欲しいと式場側にお願いしてあって、
刺身は天ぷらに替えてあってよかったけど、
お寿司のときは、刺身の代わりに漬け物がのっていた、と。

それには、写真が添えられていて、
お寿司のように海苔で漬け物とシャリを巻いた(しばった)のとかもあって、
お寿司のように見せて調理した物、だったのですが、
私がもし花嫁さんで、これが自分の前に出てきたらかなりショックだろうと思いました。
これを出した人は、
花嫁が、ぼりぼり音をたててそれを食べなくちゃいけないということを、
想像できなかったんでしょうかね?
綺麗にお化粧して、綺麗なドレス着て、(着物かもしれないけど)ボリボリ。
一口で食べられないような大きさだったら、
噛みきれず、みっともない素振りで食べなくちゃいけなくなったら。
それよりも何よりも、このお祝いの華やかな席に漬け物、とは。

主人が言うには、
漬け物はお寿司なんかより、高い物がある。
出した人は、そういういい物を使ってお寿司のようにして出したんだから、
いいんじゃないの?

確かに、千枚漬けなんかは、値段も高いし、美味しい。
それはすごくよくわかる。認める。
でも、皆にお寿司を出してるところに、漬け物を出す神経を疑うよ。

「なんで?
だって、生魚食べられないんでしょ?
だったら、お寿司の形で出してるんだからいいじゃん。」

いや!ちょっと待て!
と、言いかけて、よく考えたら、この主人は、昔、
「俺さ、もし自分が結婚式するとしたら、出す料理は特上のカツ丼でいいと思うんだよね。」
と言い放った輩だった!
そのときも私が反論して、結局折り合いがつかなかったんじゃ・・(^0^;)

どうやって、説明すればいいのだ・・
結婚式の料理をカツ丼で出そうとする奴に。

「えーと。
結婚式って、お金かかるんだよ。ン100万単位。
なのにね、漬け物が出てきたら、どうよ?
ン100万払って、漬け物って、ありえないと思うよ。
がっかりするでしょう?」
「なんで?いいじゃん。
出した人に、訊きも調べもしないで、漬け物だからだめっておかしいじゃん。
いい漬け物使って、ちゃんと料理してるのかもしれないじゃん。」
こいつは~(`ヘ´#) ムッキー!
結婚式の料理=ホテルの料理=豪勢で綺麗で美味い
を、みんな期待してるんだよ!
見栄えも味もいいのを期待してるんだよ!
それが何故わからんのだ!
友達に笑われたっていうことから、漬け物のお寿司は失敗だってわかるじゃんか!
そう言うと、
「いや、俺は特上のカツ丼でいい。」
とか言い出すんだろう、こいつは。
ので、それはぐっと口の中まででしまい込んで、
「記事や口コミを見る限り、この結婚式場が、
お寿司と同等かそれ以上の漬け物を出してくるとは思えません。
なので、安物の漬け物で作ったと思うよ。」
「・・・・」
おっ 考えてる。
「料理なんて、最初に決めるんだから。
すごく早く差し替えてって言ってあると思うよ。
替えるのに、もしかしたら余分にお金払ってるかもしれないじゃん。
なのに、こんな代替品で出されたら、泣きたくなるでしょうよ。
せっかくの結婚式なのに。」
「・・・」
「私が花嫁さんで、これ持ってこられたらショックだよ。
泣きたくなるよ。
そしたら、どうするの?」
「問い質す。責任者を呼んで。マイクで、お客さんにも聞こえるように。」
結婚式が滅茶苦茶になるだろうがっ!
今の私だったら、主人が責任者にマイクで問い質したら、
「よーし!やれやれっ!もっと言ってやれっ!」
となりますが、
結婚式をすごーく楽しみしてて、
ご両親も親戚も会社の人も友達も沢山招待してる花嫁さんの立場だったら、
きっと耐えられないと思います。

結婚式というのは、それほど大切なことなので。

「漬け物は、結婚式には、あわないんだよ。
時と場所を考えなさいって言うでしょ?
TPO?あれだね。」
と言ったら、なんとなく納得してました。
納得したのか、言い合いに疲れたのかはわかりませんが。


しかし・・
ああいう代替品で良いもの出せば、
口コミや友達とかに宣伝してくれるのにね。
ひじょーに勿体ないと思います。




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結婚式

昨日、仙台のある結婚式場がありえないほどひどいという記事を読みました。
これを読んで思ったのが、

いや、自分も一度結婚式はやったことはありますが、
もうどんなもんだったかすっかり忘れてしまっており、
今の主人のためには、覚えていない方がいいわけなので、
思い出すこともないですが。

それはこっちに置いておき、
親戚、友人の結婚式、二次会にはかなり参列させていただき、
美味しい思いも、それはないよね、という思いも沢山させていただきました。

が、美味しい思いやいい思いは、新郎新婦が式場、会場の担当の方との
綿密な打ち合わせと、相方がいい式にしようという思いの賜だと思うのです。
が、それはないよなぁ、という場合、
この記事を読んで、改めて思ったのが、
もしかして、式場または会場の不備だったのかも?


でも、これだけはたぶん確信犯だろうと思っていることが一つ。
もう、時効だよなぁ。
ここに見に来ることはないだろうし。

もうずいぶん前に、
主人の友人の一人に、結婚式の二次会に招待されました。
私はその人とはあまり親しくなく、
『あまり』どころか話をしたこともなく、顔と名前を知ってるだけだったのですが、
「奥さんもどうぞ。」
と招待されたそうです。
どうぞ、って言う方は簡単でいいのですが、
二次会にしては、会費が高かったんですよ。
当時は1DKのアパート住まいでしたので、
できれば主人一人で行って欲しかったのがホンネでした。
が、主人が、一緒に行かないなら俺も行かないくらいの勢いだったので、
しぶしぶ出掛けました。

いつも飲んだり騒いだりする友人も何人か来ていて、
固まって話してました。
招待された人数もかなり多くて、賑やかでしたね。

会場はというと、
真ん中にテーブルが置いてあって、
そこに好きな料理を取りに行き、
あとは好きな所で食べるという立食パーティ形式だったのですが、
テーブルの上に、料理がない。
少し経つと、大皿一つの料理が運ばれてくる。
わーっと皆が料理を取りに行く。
後から行くと、もう何もないですよ。
しばらくすると、また大皿一つの料理が運ばれてくる。
蟻がたかるように、皆が取りに行く。
頑張って前へ行こうとしても、無理でしたね。
人が去った後は、何も残らない。
そんな調子で5~6皿?運ばれてきて、もう終わりですよ。

私は、主人が脱兎のごとく行ってとってきてくれたスパゲティを一口二口食べて終わり。
これくらいのスパゲティだったら、
うちで作った方がいっぱい食べられるし、
もっと色々入れられてずっと安くて美味しいのに。
そう思ったら、なんだか涙がでそうになりました。
主人は友達だから、『ご祝儀』でいいのかもしれないけれど、
私はとっても「ご祝儀だから。」という気持ちにはなれませんでした。
「この値段だったら、1週間、いやそれ以上食べられたよ。
やっぱり一人で行ってもらえばよかった。」
後悔しきりで、「おめでとう!」という気持ちさえ起こりません。
「奥さんもどうぞ。」っていうのは、
人数増やして結婚式や二次会の費用を少しでも多く回収しようとしているんだ、
としか思えなくなってきてました。

今でも、そのご夫婦にはあまりいい印象を持てないでいます。
主人も縁を切ってしまったようなので、もうお会いすることもないですが。

食べ物の恨みは恐ろしいですよ。








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