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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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免許更新

昨日、免許の更新に行った。
今年に入ってから、ずーーーっっと憂鬱だった。
もう何年も運転していない。
何年か前に、えっらく久しぶりにモコに試乗させてもらった。
運転の仕方、感覚は覚えていたが、
ハンドルの送り方の感覚が掴めない(^_^;
そして、走る位置が、昔は左寄りだったのが、中央寄りに変わっていて、
昔は左側に座ってた同乗者に、「こわ!」言われていた。
そして、路上駐車があると、えらく怖かったのが、
試乗のときは、すいすい避けることができた。
なんだろうね、これ。

免許の更新がなぜ憂鬱かと言うと、
視力検査。
小学校6年位から悪くなりだした。
昔は、6人の班で席が決まっていて、
目が悪くなって、まだ眼鏡を作っていなかったときに、
「お前のせいで後ろの席にいけないじゃねーかっ!!!!」
と、罵倒された。
あの時代の男子って優しくないよな。
他人を蹴落として上に行けって時代だったからな。
そして今、何故班で行動させるのかが、よくわからん。
人間って、絶対、苦手とか、合わない人っているんだよ。
なのに、誰とでも仲良くしろなんて、おかしな話だ。

裸眼では一番上も見えません。
眼科へも行きたくない。
ただ、
遠くは見えないけど、近くはちゃんと見える。
主人は、近眼ではなく乱視のみだが、
もう老眼で、小さい字は、20センチ以上離さないと見えないらしい。
私はえらい近眼だが、5センチ位の距離でも小さい字は見える。


今年は免許の更新だと思うと、気分が暗くなっていて、
ここのところ、すこぶる視力が悪くなっているので、
『更新』と思い出すと、
「視力検査で引っかかるかもしれない。」
と真っ暗闇。
車の運転ができなくても、私の場合支障はないのだが、
やはり何かあったらと思うと、免許が無くなるのはヤバイ。
主人は、
「命とられるわけじゃないから、大丈夫だよ。」
と、言ってはくれるが、気分はあがらず。

「調べたら3時頃が空いてるって。」
と主人が仰るので、じゃあ、2時位に家を出ようとなっていたが、
あまりにも朝から私が暗いので、1時頃、とうとう
「もう出ようか。」
と主人に言われる。
「はい。」
支度をして、無言で主人運転の車に揺られ。
警察署についてからも、いつもは車の中から
「いってらっしゃい。」
と手を振る主人が、昨日は入口まで一緒に来てくれて、
「雨降ってたら、連絡してくれれば傘持ってここまで迎えに来るからね。」
とまで言ってくれる。
「はあ。お手数おかけします。」
と、頭を下げる。

前回来たとき、2つの暗証番号を打ち出す機械の前に、
案内係の年配の男性の警官?がいらっしゃって、
その機械の前で、何をするのかわからなくて、
(このときも視力検査に恐れをなしていて、テンパった状態)
舌打ちされた経験あり。
思い起こせば、ほとんど説明されなかったと思われる。
今回は、優しげなお姉さんが、案内してくださったので、
前回ほどはテンパっていなかったが、ちゃんとできました。

確かに、私が行ったときは、空いてましたね。
ビデオを観るときも、半分位座れる椅子が空いてました。
でも、新しい免許証をいただいて外に出たら、結構待ってたよ。
3時だったら、混んでたかも。

視力検査は、パスしましたが、次回はどうだろう。
たぶん5年後。




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写真

昔の写真を整理した。
正確に言うと、紙にプリントされたものをデジタル化している。
だいぶ終わったのだが、まだ少し残っている。

主人は、私が気にしないせいか、私が主人の昔の写真を見てもいじっても何も言わない。
ここにも書いたことがあるかもしれないが、
以前、主人愛用の革の鞄を落としてしまい
(主人は当時、鞄が必要な仕事ではなかったので、
普段は戸棚にしまいっぱなしだった)、中の物を全部
(と言ってもペンとか仕事で使ったけど、もういらない書類とか)
をぶちまけてしまったとき、その中に、元カノとのプリクラがあった。
元カノと主人の話は、主人と友人だった頃に聞いていたので、
その出会いも顛末も知っていた。
主人にとって、幸せな恋愛ではなかったと思う。
なので、そのプリクラを見ていると、なんだかとても辛くなって、
元通りに鞄に入れて、戸棚にしまった。

主人は、元カノがとても好きだったのだが、
元カノには、他に彼氏がいて、主人はずっと二番目だったようだ。
プリクラは、はしゃいで全て表情をかえる主人と、
少しも笑っていない、同じ表情の元カノが写っていた。

つらかったのは、主人と元カノが写っていたから、ではなく、
大好きな人とプリクラを撮れるからと、
はしゃいで、嬉しそうに写っている主人と
無表情の元カノとの熱の違いが、悲しかったのだ。
今でも、思い出すと、悲しくなる。


その元カノと主人が写っている写真の一つに、
どこかの屋上で撮った写真があって、
相手は自分じゃないのに、その写真がなぜか好きで、
時々こっそり見ている。
そこに写る元カノは、笑顔で、勿論主人も笑顔で、
その背景には、遠くまで写る開けた風景が写っていて、
自分が、同じ位の歳の時には味わう事のできなかった風景。
見る事ができなかった風景。
羨ましいのかもしれないと思う。
こういう風景を楽しみたかったと思う。

勿論、主人と付き合うようになってからは、色々な所へ連れて行ってもらった。
とても楽しかった。
また、行けるようになったら、行きたいと思う。

あのプリクラは、どうしたのか、わからない。
後に、私を気にしてなら捨てなくていいと伝えた。
主人がいらないと思ったなら、もうないだろう。

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planetarian 〜雪圏球〜

『planetarian~雪圏球(スノーグローブ)~』を主人と観た。
『planetarian』はどれも反則でしょう。
主人も私も、観ると泣いてしまう。
主人は、「(こんな泣かせるアニメは)造り方が汚い、ずるい。」と言いながら泣いている。
『planetarian』の舞台は、静岡の浜松の市街で、
主人には子供の頃から馴染みの地だ。
私は数回行っただけだが、すごく懐かしい感じがする。
なので、主人にしたら、更に感慨深いのではないかと思う。
その証拠に、見終わった後、彼の地が舞台のアニメを続けて観ていた。
この間は、「俺はどこへ行っても平気。」みたいなことを言ってたじゃん、
などと無粋なことは言わないことにしよう。

『それ』があるときは、当然のこととして過ごしていて、
なくなったときに、『それ』の存在が大きかったことに気付く。
他のことばかり気に掛けて、『今』が幸せなことに気が付かない。
なくなって初めて、そのときが幸せだったのだと気付く。

浜松は、私には、勿論主人にも、なんの関わりもない場所になってしまったので、
余計なんだろうと思う。

自分で納得して手放したものならば、何の未練も感慨もないが、
そうではない。


私はその地を離れてもうずいぶんになるが、
父がそれを手放したと聞いたとき、
もう、あの騒々しい所には一生住めないんだと思った。
Twitterにあげられたビルの夜景を見たとき、
都会の風景を見たとき、
帰りたいと心のどこかで思っていた。
もう二度と帰ることはできなくなったのだと、思い知らされた。

ここは、好きだ。
蜩の鳴き声も、ウグイスの鳴き声も、聞こえる。
だけど、長年見てきたネオンを、星の代わりに見て暮らしたいと思うこともある。
そう願う事は、最高の我が儘だろう。
そして、叶わなくていい。
今はここにいられて、主人と幸湖さんと一緒にいられることが幸せだと思うから。
それを忘れてはいけない。
だから、叶わなくていい。


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子供の頃

まだ小学2年生くらいだったと思う。
仲のいい友達がいて、よく遊んでいた。
公園で、他の友達と一緒に遊ぶこともあれば、彼女の家に遊びに行くこともあった。
ただ、私の家に彼女が来たことはなかった。

当時、我が家は父方の遠縁の親戚の家業で使っていた家の2階に住んでいて、
1階には作業場が有り、常時男女6人が働いていた。
作業場には、父の叔父とその息子と父がいた。
彼女は、「大人の男の人が怖い。」と言って、うちに遊びに来ることはなかった。

彼女にはお父さんがいなかった。
子供なので平気で「どうして?」と訊くと、
「赤ちゃんのとき事故で死んだ。」という答えが返ってきたと思う。
お母さんは、細身の綺麗な人だった。
お父さんがずっと前に亡くなってるから、大人の男の人に慣れてないから、
怖いんだろうな、と、なんとなく理解していたと思う。

ある日、彼女の家で遊んでいると、男の人が訪ねてきた。
なんだか、お客さん、という感じではなかった。
まるで、その家の主のようだった。
亡くなったっていうのは、本当は嘘なんじゃないかと思い、
「あの人誰?お父さん?」
と訊いた。
「違う。おじさん。」
「おじさん?親戚の?」
「違う。」
それ以上、彼女は答えなかった。
そのうち、彼女のお母さんが、彼女に何か言うと、
「今日はもう遊べないから、ごめんね。」
と言われ、私はまだ早い時間だったので、
「なんで?家で遊べないなら、外で遊ぼうよ。」
と思ったが、そのまま家に帰った。

すごく後になってから、彼女のお母さんはお妾さんだったんじゃないかと気が付いた。
今は女性でも正社員で働けて、子供を養っていけるが、
当時はシングルマザーが自分と子供一人を養っていくには、相当大変だったはず。
でも、いつも綺麗。
お金に困ってる感じでもない。
いや、それが悪いとか、そういうことではないのだ。

友達が、大人の男の人を尋常でなく怖がった理由。
お母さんとそのおじさんが、子供の教育には良くないことをしているのを見て聞いてしまったとか、色々あるのだろうが、今更になって思ったこと。
性的虐待を受けていた、とか。

自分に経験があるのに、思いつかなかったのは、
まさか、他の、普通の家の子が、同じような、ましてはあれ以上の経験をしているとは、
思えなかったからだ。
当時は、まだ寝ている間にズボンを脱がされた程度で、それでもすごく嫌だったのだが。
他の家の子は、お父さんもお母さんも親戚の人達も皆まともで、大人で、
子供にあんなことをする輩がいるとは思えなかったからだ。

私の両親は、特に母は、私の父を見ただけであんなに怯える友達に、
何も感じなかったのだろうか。
子供の私の様に、お父さんが早くに亡くなったからだ、なんて呑気に思っていたのだろうか。

もし、私が小さい頃に母が父と離婚して、誰かと再婚したとして、
その誰かが、私に性的虐待をしていたとしても、気が付かないんだろうな、と思う。

その友達は、16歳で結婚してしまった。
家を早く出たかったんだろうと思った。
今は、彼女がどうしているのか知らない。


私も、男の人は怖かった。
彼女ほどではないにしろ、怖いと思っていた。

母方の実家の近くに、当時、大学生のお兄さんと高校生のお姉さんの住む家があった。
母の一番下の弟は、母とかなり年が離れていたので、そこの兄妹と親しかった。
二人とも楽しくて、優しかった。
一人っ子だったので、お兄さんとお姉さんができたようで、嬉しかった。
勿論、あちらはどう思っていたかはわからない。

母方の従妹達は、私より年下だった。
一人を除いて、かなり年が離れていた。
こちらが悪くもないのに、何かあれば大声で泣いて、大人には非難され、
何かあれば「お姉ちゃんなんだから」と我慢を強いられ、
一緒に遊んで楽しいとは思えなかったし、まして可愛いなんて思うこともなかった。

あるとき、その兄妹の家に行くと、妹さんの方はいなかったと思う。
お兄さんだけがいて、勿論、そこのお祖父ちゃんとかお祖母ちゃんはいらしたのだが、
近所の小さい子達もいるから、一緒に遊ぼう(どこかへ行って?)ということに
いつの間にかなっていた。
がっかりした。
前も近所の小さい子達がいるから、一緒に遊ぼうということになって、
遊んだのだが、やはり楽しくはなかった。
気を遣って遊んでも楽しくはない。
「帰る。」
と、言った。
「なんで?」
と、訊かれたと思う。
「小さい子達と一緒はいやだから。」
「なんで?」
「いやだから!」
そのときのお兄さんは、私がいつものように、うん、と言うだろうと思っていたと思う。
それが、「いやだ」と言われて、かなり不機嫌に思ったのだろう。
顔にそれが出ていた。
その顔のまま、お兄さんは私の腕を掴もうとした。
そのまま外に出てしまえばよかったのだが、私は逃げて、あろうことか、
その家の使われていない部屋の柱の陰に隠れたのだ。
勿論、すぐに見つかってしまった。
そのときのお兄さんの形相が、未だに忘れられない。
怖かった。
ものすごく怖かった。
思い切り悲鳴をあげた。
掴まれた手を振り払って、祖父母の家に逃げ帰った。
それから、あのお兄さんには会っていない。
ものすごく怖くて、二度と会いたくなかった。
勿論、お姉さんにも会っていない。
向こうも会いたくはなかっただろう。

叔父のことに加えて、そんなこともあって、
私は年上の男の人がかなり苦手になってしまっていた。

いつも後になって思うのだが、「気を遣うから、いやだ。」とか言えばよかったのかな、と。
しかし、向こうも、いつも「うん」と言って素直な子なのに、
今日はどうしたんだろう?とか思わないんだろうか。


後に、母の弟の結婚式に、そこの家の、お父さんだろうか?が来ていたのだが、
もう、田舎の人員構成は多すぎてよくわからん(^0^;)
式が終わって、母の一番下の弟夫妻と話をしていたら、
髪を撫でられる感覚がしたので、振り返ると、その人が真後ろに立って、
私の髪をいじっていた。
私はそのとき成人していて、子供の頃を知ってるからって、髪をいじるか?
触らんだろう、普通。
なんだろう、この人と嫌な顔をしていたと思う。
その人が呼ばれてその場を去るときに、
「終わったら、一緒に家へおいで。引き出物はここにおいて行くから、見ててよ。」
と、強引に言って引き出物を置いて行った。
そこで、叔母が、
「いいよ、置いて帰ろう。さっきだって、髪の毛、あんな風にいじって。気持ち悪い!」
と言ってくれたので、一緒に途中まで帰った。
あんな風に、子供の頃から知っている人が、
自分を性的な目で見ていると思うと、気持ちが悪い。
子供の頃から、そんな目で見られていたのだろうか。
なんだか、今から思うとぞっとする。


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性被害にあった。
相手は叔父だった。
その人の娘-従妹-とは仲が良かったから、一人で叔父の家に泊まっていた。
小学校にあがっていたのか、そのすぐ前だったのかは忘れた。

夜、寝ていると、下半身がもぞもぞする。
目を開けると、叔父が私の足下に座って、パジャマのズボンを脱がしていた。
私が目を開けたのに気が付くと、
「おっとっと」
と言いながら、パジャマのズボンをあげ始めた。
「寝相悪いなぁ。ズボン脱げかかってたよ。」
というような事を言われたが、私は自分で寝ながら服を脱いだことはない。
今現在も、一度として無い。
明らかに、脱がされたということがわかった。
自分でズボンを引っ張り上げたが、頭の中は真っ白だった。
どう反応していいのか、真っ白になりすぎてわからなかった。
今もそうなのだが、咄嗟に何も言えないし、何もできなかった。
ただ思うのは、
あのとき、目が覚めなかったら、どうなっていたのだろうということ。
考えると恐ろしくなる。
そばには従妹が寝ていたし、叔母もいたのだが、誰も気が付かなかった。

ショックだった。
親戚に、身内にこんなことをされるということが、とてもショックだった。
そして、お決まりのように誰にも言えなかった。
次の日、泣いて母に迎えに来てもらったように思う。
自分で泊まりたいと言ったくせに、ホームシックで迎えに来てなんて、
という感じで、母はすごく怒っていたと思う。
それでも、本当のことは言えなかった。
大体の子供は、お父さんやお母さんにこんな事を言ったら、
悲しむんじゃないかとか、両親の心配をするが、
私は、こんな事を言っても信じてもらえないと思ったし、
第一、こんなことをされても何もできず、
言う事もできなかったということが、ひどく屈辱だった。

それから、その叔父には必要以上に警戒した。
親戚なので、色々な所で会わなければならない。
誰にも言えないから、自分で気を付けなければならなかった。
そばに行かない。
近くの布団では寝ない。
お風呂に入るときは、叔父のいないときに入る。

だが、小学校4年生の時、叔父が両親に用があると言って、一人で訪ねてきた。
その頃の私の家は、二間しかなく、
同じ部屋に3つ布団を敷いて、4人で寝ることになった。
ひどく嫌な予感がした。
でも、両親がすぐそばにいるからと言い聞かせて、
一番端に敷いてあった自分の布団に入った。
真ん中には両親の布団があり、
奥に、叔父が寝るためのお客様用の布団が敷いてあった。
それを見て、少し安心したことを覚えている。

夜中、手を握られる感覚で目が覚めた。
すぐ横に叔父の顔があって、私の手に何度もキスをしていた。
なんで?
なんでこの人が隣りにいるの?
体が固まった。
気持ち悪い!
なんで、お父さん達はあっちで寝てるんだろう。
なんで、隣で寝てくれなかったんだろう。
色々な思いが頭をよぎったが、さすがに嫌悪感が半端なかったので、
掴まれた手を力任せにもぎ取った。
私が目を覚ましたのに気が付いた叔父は、悪びれた様子もなかった。
すかさず、私のパンツの中に手を入れてきたのだ。
何が起こったのかわからず、実際は認識していたのだが、
頭の中がパニックになった。
両親は、すぐそこで寝ているのだから、大きな声で叫べばすむのに、
それができなかった。
しばらくの間、されるがままになってしまっていた。
叔父は私がそうされるのを許容したと思ったようだ。
「かわいいね。」
と私の耳元でささやいた。
気持ち悪い!
気持ち悪い!!
気持ち悪い!!!
そして、更に奥に指を入れようとしてきたとき、
私はありったけの力を込めて、その腕を掴んで自分のパンツの中から引き抜いたのだった。
「恥ずかしがるなよ。」
何がだ?誰が恥ずかしがってるって?
嫌がってるのがわからないのか?
こいつは馬鹿だ!
狂ってるんだ!
叔父のいる方から一番遠い所まで移動すると、叔父はそれ以上追い掛けてはこなかった。

次の日、なんで隣りにあの人が寝ていたのかと、両親に訊ねた。
「先に寝るって言って、真ん中の布団に寝ちゃってたのよ。
お客様用の布団は端に敷いてあるからって言ったのに。」
母の台詞を聞いて、この人は何も考えてないんだと思った。
なぜ、お客様用のいい布団が敷いてあるのに、
娘のすぐ横の、両親のいつも寝てる、
両親のニオイのついているような布団を選んだのか、とか、
何も怪しんでくれてないんだと、ひどく落胆したのを覚えている。
父が何も考えてくれてないのは、いつものことなので、期待はしていなかったが、
せめて母くらいは、娘に何かあったら困るくらいの警戒はしておいて欲しかった。
期待するだけ無駄なのだが。

その叔父は、親戚の中ではすこぶる評判が良かった。
子供のオムツもちゃんと替えるし、お風呂も入れるという話だった。
それは、娘の局部とか裸を見たいからなんじゃないの?
と、私は密かに思っていた。
従妹達の父親に対する態度を見ていると、変なことはされていないようだが、
覗かれてるかもしれないよな、と内心は思っていた。

母は、「うちのお父さんは何もしないから、羨ましい。」とまで言っていた。
母の『人を見る目』をひどく疑う台詞だった。
あんなことを子供にする気持ち悪い男がそんなに羨ましいのか、と。

それからすぐだったろうか、親戚の一番若い夫婦に子供ができた。
彼らには、そしてお腹の従妹には申し訳ないが、なんだか気持ちが悪かった。
余所の妊婦さんやそのご主人に対しては感じなかった『気持ち悪さ』を、
身内である人達に感じてしまう。
愛し合う二人が行う子供のできる行為自体は、否定する気は無かったが、
それが大切なことだというのは理解していたのだが。
その後も、母の弟達に子供が何人か生まれたが、
やはりその都度、気持ちが悪いと思う自分がいた。
たぶん『おじ』という人達とそういう行為をした、
ということに対して『気持ち悪い』と感じるようになってしまったのだと思う。
その証拠に、従妹達に子供ができても、気持ち悪さは感じない。
少し大きくなったお腹を「さわっていい?」と自分から触りにいくくらいだ。

たぶん、私のような経験をした女の子は沢山いる。
もっとひどい経験をした子も沢山いると思う。

私は、そんなとき、誰も自分の味方になってくれないとわかっていたからこそ、
誰にも言う事はできなかった。
それに、自分が何もできなかったことに、そんな目に遭ったことに、
ひどく屈辱を覚えて、更に誰かに言う事なんてとてもできなかった。
例え、言ったとして、気が付かなくてごめん、と謝られたとしても
何の救いにもならないだろう。

ずっと誰にも言えなかった。
ずっとあのときのことは消えなかったし、あのとき感じた嫌悪と屈辱をも忘れられないでいる。

だが、
主人と知り合ったとき、何の拍子にか、ぽつりと言った。
「子供の頃、叔父さんに悪戯されて、気持ち悪かった。
ずっと忘れられない。ずっと覚えてる。」
と言ったと思う。
それを聞いた途端、主人は形相を変え、大声で言った。
「ぶっ殺してやる!!!」
それを聞いた途端、泣きたくなった。
こんな風に誰かに怒って欲しかったんだ、と思った。
私は幸せだと思った。
私が一番想っている大切な人が、そう言ってくれたから。

それでも、あのときのことは消えてはいかない。
性被害の記事を読むと、あのときのことを思い出して、
被害にあったひとは、どんなに辛かっただろうと思う。
たぶん、私の様に、一生忘れられないんだと思う。
それを背負って生きていくのだと。

彼女達に、いや、今は女性だけじゃなく、男性も被害に遭うので、
被害にあった全ての人に、寄り添ってくれる人が、怒ってくれる人が
一人でもいてくれればと思う。
それだけでも、救われると思う。

それでも、一生忘れることはない。

今は、その『叔父』なる人物はいない。
不倫して、叔母と離婚したので、もう二度と会うことはなくなった。

それでも、一生忘れることはない。







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