忍者ブログ

昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

性被害にあった。
相手は叔父だった。
その人の娘-従妹-とは仲が良かったから、一人で叔父の家に泊まっていた。
小学校にあがっていたのか、そのすぐ前だったのかは忘れた。

夜、寝ていると、下半身がもぞもぞする。
目を開けると、叔父が私の足下に座って、パジャマのズボンを脱がしていた。
私が目を開けたのに気が付くと、
「おっとっと」
と言いながら、パジャマのズボンをあげ始めた。
「寝相悪いなぁ。ズボン脱げかかってたよ。」
というような事を言われたが、私は自分で寝ながら服を脱いだことはない。
今現在も、一度として無い。
明らかに、脱がされたということがわかった。
自分でズボンを引っ張り上げたが、頭の中は真っ白だった。
どう反応していいのか、真っ白になりすぎてわからなかった。
今もそうなのだが、咄嗟に何も言えないし、何もできなかった。
ただ思うのは、
あのとき、目が覚めなかったら、どうなっていたのだろうということ。
考えると恐ろしくなる。
そばには従妹が寝ていたし、叔母もいたのだが、誰も気が付かなかった。

ショックだった。
親戚に、身内にこんなことをされるということが、とてもショックだった。
そして、お決まりのように誰にも言えなかった。
次の日、泣いて母に迎えに来てもらったように思う。
自分で泊まりたいと言ったくせに、ホームシックで迎えに来てなんて、
という感じで、母はすごく怒っていたと思う。
それでも、本当のことは言えなかった。
大体の子供は、お父さんやお母さんにこんな事を言ったら、
悲しむんじゃないかとか、両親の心配をするが、
私は、こんな事を言っても信じてもらえないと思ったし、
第一、こんなことをされても何もできず、
言う事もできなかったということが、ひどく屈辱だった。

それから、その叔父には必要以上に警戒した。
親戚なので、色々な所で会わなければならない。
誰にも言えないから、自分で気を付けなければならなかった。
そばに行かない。
近くの布団では寝ない。
お風呂に入るときは、叔父のいないときに入る。

だが、小学校4年生の時、叔父が両親に用があると言って、一人で訪ねてきた。
その頃の私の家は、二間しかなく、
同じ部屋に3つ布団を敷いて、4人で寝ることになった。
ひどく嫌な予感がした。
でも、両親がすぐそばにいるからと言い聞かせて、
一番端に敷いてあった自分の布団に入った。
真ん中には両親の布団があり、
奥に、叔父が寝るためのお客様用の布団が敷いてあった。
それを見て、少し安心したことを覚えている。

夜中、手を握られる感覚で目が覚めた。
すぐ横に叔父の顔があって、私の手に何度もキスをしていた。
なんで?
なんでこの人が隣りにいるの?
体が固まった。
気持ち悪い!
なんで、お父さん達はあっちで寝てるんだろう。
なんで、隣で寝てくれなかったんだろう。
色々な思いが頭をよぎったが、さすがに嫌悪感が半端なかったので、
掴まれた手を力任せにもぎ取った。
私が目を覚ましたのに気が付いた叔父は、悪びれた様子もなかった。
すかさず、私のパンツの中に手を入れてきたのだ。
何が起こったのかわからず、実際は認識していたのだが、
頭の中がパニックになった。
両親は、すぐそこで寝ているのだから、大きな声で叫べばすむのに、
それができなかった。
しばらくの間、されるがままになってしまっていた。
叔父は私がそうされるのを許容したと思ったようだ。
「かわいいね。」
と私の耳元でささやいた。
気持ち悪い!
気持ち悪い!!
気持ち悪い!!!
そして、更に奥に指を入れようとしてきたとき、
私はありったけの力を込めて、その腕を掴んで自分のパンツの中から引き抜いたのだった。
「恥ずかしがるなよ。」
何がだ?誰が恥ずかしがってるって?
嫌がってるのがわからないのか?
こいつは馬鹿だ!
狂ってるんだ!
叔父のいる方から一番遠い所まで移動すると、叔父はそれ以上追い掛けてはこなかった。

次の日、なんで隣りにあの人が寝ていたのかと、両親に訊ねた。
「先に寝るって言って、真ん中の布団に寝ちゃってたのよ。
お客様用の布団は端に敷いてあるからって言ったのに。」
母の台詞を聞いて、この人は何も考えてないんだと思った。
なぜ、お客様用のいい布団が敷いてあるのに、
娘のすぐ横の、両親のいつも寝てる、
両親のニオイのついているような布団を選んだのか、とか、
何も怪しんでくれてないんだと、ひどく落胆したのを覚えている。
父が何も考えてくれてないのは、いつものことなので、期待はしていなかったが、
せめて母くらいは、娘に何かあったら困るくらいの警戒はしておいて欲しかった。
期待するだけ無駄なのだが。

その叔父は、親戚の中ではすこぶる評判が良かった。
子供のオムツもちゃんと替えるし、お風呂も入れるという話だった。
それは、娘の局部とか裸を見たいからなんじゃないの?
と、私は密かに思っていた。
従妹達の父親に対する態度を見ていると、変なことはされていないようだが、
覗かれてるかもしれないよな、と内心は思っていた。

母は、「うちのお父さんは何もしないから、羨ましい。」とまで言っていた。
母の『人を見る目』をひどく疑う台詞だった。
あんなことを子供にする気持ち悪い男がそんなに羨ましいのか、と。

それからすぐだったろうか、親戚の一番若い夫婦に子供ができた。
彼らには、そしてお腹の従妹には申し訳ないが、なんだか気持ちが悪かった。
余所の妊婦さんやそのご主人に対しては感じなかった『気持ち悪さ』を、
身内である人達に感じてしまう。
愛し合う二人が行う子供のできる行為自体は、否定する気は無かったが、
それが大切なことだというのは理解していたのだが。
その後も、母の弟達に子供が何人か生まれたが、
やはりその都度、気持ちが悪いと思う自分がいた。
たぶん『おじ』という人達とそういう行為をした、
ということに対して『気持ち悪い』と感じるようになってしまったのだと思う。
その証拠に、従妹達に子供ができても、気持ち悪さは感じない。
少し大きくなったお腹を「さわっていい?」と自分から触りにいくくらいだ。

たぶん、私のような経験をした女の子は沢山いる。
もっとひどい経験をした子も沢山いると思う。

私は、そんなとき、誰も自分の味方になってくれないとわかっていたからこそ、
誰にも言う事はできなかった。
それに、自分が何もできなかったことに、そんな目に遭ったことに、
ひどく屈辱を覚えて、更に誰かに言う事なんてとてもできなかった。
例え、言ったとして、気が付かなくてごめん、と謝られたとしても
何の救いにもならないだろう。

ずっと誰にも言えなかった。
ずっとあのときのことは消えなかったし、あのとき感じた嫌悪と屈辱をも忘れられないでいる。

だが、
主人と知り合ったとき、何の拍子にか、ぽつりと言った。
「子供の頃、叔父さんに悪戯されて、気持ち悪かった。
ずっと忘れられない。ずっと覚えてる。」
と言ったと思う。
それを聞いた途端、主人は形相を変え、大声で言った。
「ぶっ殺してやる!!!」
それを聞いた途端、泣きたくなった。
こんな風に誰かに怒って欲しかったんだ、と思った。
私は幸せだと思った。
私が一番想っている大切な人が、そう言ってくれたから。

それでも、あのときのことは消えてはいかない。
性被害の記事を読むと、あのときのことを思い出して、
被害にあったひとは、どんなに辛かっただろうと思う。
たぶん、私の様に、一生忘れられないんだと思う。
それを背負って生きていくのだと。

彼女達に、いや、今は女性だけじゃなく、男性も被害に遭うので、
被害にあった全ての人に、寄り添ってくれる人が、怒ってくれる人が
一人でもいてくれればと思う。
それだけでも、救われると思う。

それでも、一生忘れることはない。

今は、その『叔父』なる人物はいない。
不倫して、叔母と離婚したので、もう二度と会うことはなくなった。

それでも、一生忘れることはない。







拍手[0回]

PR