小学生の時、仲のいい友達がいた。
彼女の家に、よく遊びに行ったし、彼女も遊びに来たりしていた。
だが、親しくなるにつれて、だんだん彼女が我が儘になり、
一緒にいて、苦痛を感じるようになった。
なんだか、楽しくないのだ。
その頃、別の子と遊ぶようにもなっていたので、
彼女から少しずつ遠ざかるようになった。
特に、彼女の誘いを断ったり、
意地悪をした覚えはない。
だが、前ほど一緒にはいなくなった。
そのときのことを、後で、彼女のお母さんから聞かされたのだが、
「親友はいらない。裏切られるから。」
と、彼女が言っていたそうだ。
彼女の我が儘についていけなくなったから遠ざかったのに、
裏切ったと言われるとは。
子供心に、心外だった。
私は、親に与えられるはずのものが与えられなかったので、
それを、外に求めていた。
無意識のうちに、友達に求めていたと思う。
今から考えると、
彼女が求めていたものも、同じものだったんだろうと思う。
両方がお互いに相手に求めていて、
私が先にネをあげた、ということだろう。
新しくできた友達は、何かと面倒見のいい子だった。
私は彼女が大好きだったのだが、
クラスがかわった途端、疎遠になった。
呼び方も、いつの間にか他人行儀な呼び方にかわっていた。
それでも、裏切られたとまでは思わなかった。
しょうがない、とあきらめた。
彼女とは、中学も同じだったが、
クラスが違ったせいか、学校内でもあまり会うことはなかった。
3年になって、幸か不幸か同じクラスになった。
彼女は、制服のスカートを長くして、鞄はぺしゃんこだった。
パーマも軽くかけていたかもしれない。
どれも『校則違反』というやつだ。
このとき見せてもらって初めて知ったのだが、
鞄の脇を針金でがっちりとめると、膨らまなくていいそうだ。
彼女が中学に入ってから、ずっとそうだったのは知っていた。
時々、そんな話を耳にしていた。
「ああ、そうなんだ。」
と、思った。
「どうして?」
とは思わなかった。
教室で、彼女と目が合うと、以前の様に笑ってくれた。
ああ、変わってないんだと思った。
私も、あの頃のようにべったりではなく、友達として彼女に接した。
母親が、またいつものように、頼んだわけでもないのに、
勝手に塾を決めてきた。
うんざりだった。
しぶしぶ行くと、そこに彼女がいた。
自分から行くと言い出すわけがないので、
彼女も親に言われて来たんだろうと思った。
親に言われて塾に来るくらいだから、
見かけより、噂されているより、グレてはいないのだろうと思った。
ただ、少し、決まった道から外れていたいのだろうと。
帰り、彼女が
「一緒に帰ろう。」
と、言った。
自転車で来てるから、と。
彼女の家と私の家は、とても近かった。
仲の良かった頃は、一緒に毎朝学校まで通っていた。
自転車にも、よく乗せてもらった。
久しぶりに彼女の後ろに乗った。
なんだか、嬉しかった。
それからずっと、塾の帰りは彼女と一緒だった。
途中で、今川焼きを買って食べたりしていた。
今川焼きを見ると、今でもその頃のことを思い出す。
だからといって、学校でも急速に親しくなったわけではない。
いつもと同じだった。
それが、お互いにちょうどいい距離だったと思う。
中学でできた友人達は、彼女と私が昔親しかったことを知らなかった。
『素行不良』とレッテルを貼られた彼女を嫌っている友達もいた。
かといって、私は学校内で彼女を避けたりはしなかった。
彼女が私を避けていなかったから、私も彼女を避けなかった。
中学を卒業して、そのまま彼女との縁は切れた。
でも、何年か前に、共通の友人から、彼女が結婚したことを聞いた。
それだけでよかった。
あの頃は、クラスがかわったせいで、彼女と距離が離れたと思っていたが、
今考えると、私は彼女に甘えすぎたんだと思う。
前の友達が私にしていたのと同じことを、私も彼女にしていたのだと気がついた。
いくら面倒見が良くて、しっかりしていても、
小学生が自分以外の誰かの心を支えるのは、荷が重すぎだろう。
クラスがかわらなくても、同じ結果になっていたと思う。
いつからか、
『親友』と誰かを呼べなくなった。
自分がその人を好きで、大切に思っていても、
相手もそうだとは限らないということを悟ったからだ。
それからも、友達は沢山できた。
これくらい親しければ『親友』と呼べるのでは、と思ったとしても、
相手は、『ただの友達』としか思ってない、かもしれない。
いや、実際に面と向かって言われたこともあった。
好きで、大切だから、ただそれだけでは、
『親友』ではないのだ。
その人が困ったときに、手助けができる。
それが『親友』なのだろう。
だから、面と向かって、あなたは親友じゃない、と言われた。
それを知って、益々、私が誰かを『親友』と呼ぶことがおこがましくなった。
今の私は、自分を護ることで精一杯で、
主人と幸湖さんを護ることで精一杯で、
他の誰かを手助けすることはできない。
例え、それでもいいと、それでも『親友』だよ、と言ってもらったとしても、
その響に酔って、嬉しくて、甘えて、失ってしまうのが怖い。
たぶん、あの頃より、まともにはなっているとは思うのだが。