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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

『明日はきっといい日だ』

「炎華は絶対言わない言葉だね。」
と、主人に言われた。
「私の辞書にはない言葉だ。」
と、即座に応えた。
誰かがTwitterで、呟いていた。
『明日はきっといい日だ。』

時々、叫びたくなる。
コロナのせいではない。
元々、インドア派なので、どこにも行けなくても、
全然苦ではない。
どちらかといえば、
「コロナだから、行けないよ。」
と、口実になって、ちょうどいい。

絵を描いているとき、
洋毛で、人形を作っているとき、
頭の中で、色々考えてしまい、
それが楽しい事ではなくて、
嫌な事や、不安な事を考えてしまう。
過去のつらかったことや、嫌だったことを考えてしまう。
そして、叫びたくなる。
でも、叫んだとしても、
気分がすっきりするとか、
気持ちを切り替えることができるなら、いいのだが、
きっと、もっと不安になって、
自己嫌悪に陥るだろうと思うと、
やっても無駄だという気になる。
そして、また頭の中で負のことを考えつつ、
作業を進める。


子供の頃、両親に平手で殴られたことを思い出す。
父に殴られても、母は私を庇ったりしない。
逆もしかり。
二人で私を怒る。
「あんたが悪いんだからね。」
親といると、息が詰まる。


そういえば、
転校する前、友達の従姉だというお姉さんに、嫌われていた。
そのときはなぜだかわからなかったが、
私は、鼻持ちのならない子供だったんだろう。
貧乏だから、美人じゃないから、頭もそれほど良くないから、
自分だけのすごい所が欲しくて、
ちょっと誰かに「すごいね」と誉められると、
それが人よりずっと秀でていることだと、思い込んで、
そんな気になって振る舞っていたから、
そのお姉さんは、私が嫌いだったのだろう。

今頃、そんなことを思い起こしても、
何の意味もない。

何かつらいことがあっても、
頼る人も、頼るものもなかった。
母親に、そんなことを話しても、
「でもね、それはあんたが、こうだったから・・」
聞いてくれるだけでよかったことも、
いつの間にか、説教にかわっている。
「それはつらかったね。」
「よく頑張ったね。」
「よく我慢したね。」
なんて、言ってもらったこともない。
父親には、言っても無駄だった。
聞いてないか、うるさがられるか、
怒られるかだ。
だから、何か、頼れるものが、自分の中に欲しかった。

絵が好きだった。
小さい頃から、絵を描いていた。
でも、いくら描いても、納得できる絵は描けなかった。
それを知ってるかのように、描いた絵を否定された。
もう、絵は描かないと思った。

文章を書くのも好きだった。
ちょこちょこ小説を書いていた。
でも、それを話したら
「頭おかしいんじゃないの?」
と、言われた。

何をやっても駄目なんだと、
私は、そんな人間なんだと、思った。
それでも、生きていかなきゃいけないんだ。


それまで、一番近くにいた人達に、
私はずっと否定され続けてきた。
『私』でいるな、と。
従え、と。


ただ、今、最後に傍にいてくれる主人は、違った。
『私』でいていいんだ、と、初めて言ってくれた。
「自分の好きなことをしていいんだよ。」
と言う。
「そうしている炎華を見ているのが、俺の幸せだから。」
と、言う。
涙が、止まらなかった。

また、絵を描いた。
また、小説を書いた。

自分の中に、頼れるものを、創りあげよう。
主人が創ってくれた時間の中で。

『明日もきっといい日だ』






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