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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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保育園

保育園、大嫌いでしたね。
いじめられたとか、
先生が嫌いだったとか、
そういうことは一切ありませんでしたが、
あの、『檻の中』という閉塞感がすごく嫌でした。
自由が何もないのが、とてつもなく嫌でした。
あれをやりましょう
これをやりましょう
何が楽しかったんですかね?
お友達と遊ぶこと?
楽しかった記憶は何も無いです。
『お友達』の顔も名前も覚えてないです。
もしかしたら、いなかったのかもしれません。

早くお迎えがこないか、ずっと考えてましたね。
そんなことはないとわかってはおりましたが。
早く檻から出て行きたいのに、母のお迎えは常に最後の方。
一人、また一人とお迎えが来て、取り残される心細さ。

つい最近、yahoo!の記事に
『保育園や幼稚園に行くのを嫌がる我が子、どうしたらいい?』
というのがあって、要は、
「慣れるので、心を鬼にして連れて行きましょう。
そして、ほっておきましょう。」
という結論でした。

それを読んで思ったこと。
慣れないって!
子供、馬鹿にしてんのか!
親になると、自分が子供の頃のこと、みんな忘れちゃうんですかね?
そりゃ、保育園がとても楽しかったという思い出のある親ならまだしも。

私はだまし討ちだったので、余計だったんでしょうね。
父の稼ぎだけでは食べていけなかったので、
母も働きにでることになり、
私は昼間だけ、父方の叔母のところに預けられることになりました。
実際は、叔母の家の近くの保育園に預けられることになった、のですが。
私からすればまさに「話が違う」ですよ。
何年無駄になったんでしょうね?
嫌だった記憶しか残ってないです。
いつも泣いてました。
何か訴えたとしても、大人には何の抗議にもなりませんから。
「じゃあ、どうしたいの?」
「おうちにいる。」
と言うと、
「そんなことできるわけないでしょう!」
と怒られて終わり。
泣いてもひどく怒られましたけどね。
悔しかったですよ。
悔しさの分だけ涙が出てきて、なのに何も言えない。
言ったとしてもわかってもらえない。
行かない!とハンストを起こしたとしても、
怒られて怒鳴られてひどいときには叩かれて終わり。

そこは幼稚園も一緒の保育園だったので、
お昼に帰った子が、金網の向こうで手を振るんですよ。
「これから、〇〇ちゃんの所へ遊びに行くんだ。」
って。
そのときの気持ちといえば。
羨ましくて、惨めで、情けなくて、なんて不公平なんだろう、と。
子供ながら、そこまで思いましたね。
そして、遠くの保育園に通っていた私には、
家の近くに友達がいませんでした。
「〇〇ちゃんの所に遊びに行く」などという台詞も言えませんでした。
なので、休みの日も外で一人で遊んでました。
家の中にいると、怒られることが多かったので。

怒られて泣いてる自分ばかり覚えてます。
楽しかったことも沢山あったはずなのですがね。



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掃除機のヘッド

掃除機の掃除をしていていつも思うことがある。
掃除機のヘッド部分のあれはなんていうの?
カーペットの上の髪の毛をとりやすくしたり、
ホコリを取りやすくしたりするローラーの部分。
あそこの毛ブラシとはめ込む部分の境目。
なんであそこはいつも凹みがあるんだろう。
あそこに私の長い髪の毛や、
幸湖さんの毛、
ミシンや裁縫したときに知らずに落としてしまった糸などが、
巻き付いて、とれなくなるのです。
毎回その部分を掃除したって、必ず巻き付いている髪の毛。
仕事に行く前にちょっと掃除機かけようなんて思って、
ムキになってかけてしまい、
バスに乗り遅れそうになって慌ててでかけたとき、
いちいちヘッドローラーの掃除なんてしてられまへん。
それが続くと、凹んでるはずの部分が毛ブラシと同じ高さになっていて、
ゴミの吸いも悪くなるのです。
掃除しようなんて思ったら、さあ大変。
ハサミの刃の部分を使ってぎちぎち巻き付いた物を切ってから、
びっ!びっ!とほどきながら取り除いていきます。

ここさ、本当になんとかできないのかしら。
この構造だと、絶対髪の毛とか糸とか絡まるの、わかるよね?
髪型、ベリーショートでなければ、女性は絶対困ってるはず!なんだけど。
女性だけでなく、長髪の男性とか、長髪のワンコとかにゃんことか、
いるご家庭では、絶対絡まって面倒くさいと思ってると思うけど。
なんで、改善されないんだろ?
不思議だぁ・・・


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母からの電話

当時、父は地下鉄丸ノ内線で職場に通っていた。
いつも「いってきます。」も言わずに出掛けてしまうので、
母も私もドアの閉まる音で父が出掛けたことを知るようなものだった。
それは私が家を出た後も変わることはなかったらしい。

あの日、父はいつもより早めに家を出たそうだ。
1本早い丸ノ内線に乗り、何事もなく職場へ着いた。
そして、いつも乗る電車が、サリンを撒かれた電車だと知る。

父は真っ先に母に電話をしたそうだ。
「俺は大丈夫だから!」
母は父が出掛けてしまうとテレビを消してしまうので、
そんな重大な事件が起こっていようとは思いもしなかったという。
そして、父の乗る時間の電車など知るはずもない。
母は父の声に答えたそうだ。
「なにが?」
「なにがって。テレビつけてみろ!いいから!」
テレビをつけてやっと母は何が起こったかを知る。
「俺は大丈夫だから!」
改めて父が言う。

電話をきってすぐに母は私に電話をする。
「お父さんは大丈夫だよ!」
そして、母と同じくテレビをつけていなかった私。
おまけに、母の電話で起きたばかりだった。
「・・・何が?お父さん、なんかあったの?」
「やだもう。テレビつけてごらん。いいから!」
何が何だかわからずテレビをつける。
上空から録った画像が流れていた。

なにこれ?外国でなんか起こった?

沢山の消防車、救急車。
赤と白のコントラスト。
青いシートの上、道路に寝かされる人々。

あ、これ、日本?
それも東京だ!

やっと母が
「お父さんは大丈夫。」
と言ったわけがわかった。
「お母さんも『何が?』って言っちゃったのよ。
そしたら、お父さん怒ってんの。」
そ、そりゃあ 怒るよね。
心配しているだろうと思ってやっと電話したのに、「なにが?」って言われたら。

その日、父はいつも通りに帰宅したそうです。
「びっくりしたよー まさかあんなことになるとは。」
帰ってくるなりの父の言葉だったそうです。
それでも、父は特に何かを感じて、いつもより早く家を出たのではないそうです。
「いつもより早く用意ができたから。」
だそうです。


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今思えば

あれは危機一髪だったんだと思う。

つい最近、ずいぶん前に起こった通り魔事件の記事が出ていた。
後に起こる平成の通り魔事件の嚆矢だとあった。

その事件が起こる前日、
私は必要だった材料を買いに、事件の起こる場所にいた。
その繁華街は、午後には人でいっぱいになるので、
用のあるときはまだ空いている午前中に出掛ける。
出入口の階段を下りるところで時計を見たので、時間も覚えている。
同じ場所。
同じ時刻。
一人。
大きな荷物を持っていた。
こんなでっかい荷物になるなら、一番後にすればよかったと後悔していた。
しぶしぶ他に寄るのをあきらめ、電車に乗って家路についた。


次の日、同じ場所、同じ時刻に、通り魔事件が起こったことをニュースで知る。
後で、私がそこへ行った日も、犯人はいたのだということを知る。
ただ、犯行を犯さなかっただけなのだと。


ひとつ不思議に思ったことがある。
あの時、私はなぜ火曜日に出掛けたのだろう?
いつも火曜日は仕事があって、水曜日が休みだった。
たまたま休みだったのだろうか。
いつも通り火曜日が仕事で水曜日が休みだったら、
私は間違いなくあの水曜日に出掛けていただろう。

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峠にて

最初に。
私は全くと言っていいほど、霊感がないです。
何も感じないです。
ただ、自分で想像して怖くなることは多々あります。
『バイオハザード』シリーズを主人とやり過ぎて、
夢に見てしまうことも多々あります。

主人は私に輪をかけて霊感はないようです。
想像して怖くなることもないようです。
ただ、くじ運は私よりずーーっといいです。
抽選になりそうなイベントは、必ず主人の名前で登録してもらいます。
そうすると、当たります。


それを踏まえていただいたところで、本題に入りたいと思います。


もう、かなり前になると思います。
主人の実家へ行った帰りに、
ちなみに今は主人の実家はこの家の裏の、ちょっとした丘を登った所にあります。
歩いて10分か15分くらい?
前は高速で3時間かかりましたかねぇ。
その前は、ずっと下道で行ってたので、5時間以上かかってました。
これは、下道で5時間以上かけて帰って来てた頃のお話です・・・

いつも、夜出発して朝方着くのですが、この時も夜に実家を出発しました。
順調に走ってきたのですが、その先が混んでいたんですかね?
主人は峠の方へ車を進めました。
実家と家との真ん中くらいの所だったように思います。
主人に訊けばわかると思いますが、今まで通ったことのない峠でした。
雨が降ってましたね。
我々の車の一人旅ではなく、すぐ前にトラックが走ってました。

その頃はいつも夜中にドライブしていたので、
自殺の名所の橋とか、青木ヶ原の樹海の横を夜中に何度も走っても
なーんにも感じませんでした。
なのに、のに!

標高が上がっていくにつれて、だんだん肩が痛くなっていくんです。
それだけではなく、すごく後ろが気になるんです。
なんだかいやーな感じがするのです・・・
思い切って後部座席を振り返っても荷物しかない。
リアウィンドウからは、何も見えない。
そして、何度もドアミラーを覗きたい気になるんです・・・
実際に覗いてみても、やはり真っ暗で何も見えないのですが。

主人も私も峠に入ってから黙ったまま。
肩の痛みも全然消えない。
たまらなくなって、主人に話しかける。
「峠に入ってから、すごく肩が痛重いんだけど。」
「えっ 実は俺もなんだ。」
「えっ。」
思わず一瞬目を合わせる。
そして一瞬の沈黙。
「ひょ、標高が高くなったからだよね。」
「そ、そうだね。」
「耳が変になるのと一緒だよね。」
「そうだよな。」
また沈黙。

いや、でも、こんなことなかったよ(;゜ロ゜)
どんな峠に行ったって、ここより高い所にも行ったけど、こんな事なかったよ。
あの、前を行くトラックの運ちゃんは何も感じないんだろうか?

やがて、麓に続く曲がり角に来たとき、主人は迷わず麓を目指しました。
トラックはそのまま真っ直ぐに行きました。
あの運ちゃんは何も感じなかったんだと思います。

麓の建物がぽつぽつと現れるようになったとき、肩の痛みはすっかりなくなっていました。
主人も同じだと言いました。
「磁場の乱れだよ、きっと。テレビでやってた。」
「そうだよな、きっとそうだよ。」
気がつくと、雨も止んでいました。
怖いというのではなく、なんかみょーにそわそわする感じでしたよ。
しかし、あの肩の痛重感はなんとも(^^;


この記事をご覧になった方で、何か不思議な体験をした方はいらっしゃいますか?



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