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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

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とうとう

先日、父と決定的に決裂した。

しばらくこなかった電話がきて、出た瞬間、
「あんたたち、どうなってんの?」
とえらく不満げな声。
「お正月も来ないし、何も言ってこないのはどういうわけ?」
お正月に行くなんて一言も言ってないし、言われてもいない。
なんのこっちゃと思っていると、いつもの怒り文句が始まった。
黙って聞いていると、さんざん怒鳴り散らした後に、
「お母さんなんて、朝からずっとソファーでひっくり返ってるよ。」
そんなのいつものことじゃんと内心思っていた。
母が自分よりも遅くまで寝ていることが気に入らないらしく、
いつも怒って母を起こすようだ。
なので、母はソファーでうたた寝をすることがよくある。
今回もそれを言っているのだろうと思っていたのだが、
実は違っていた。
さんざん文句を言った後、
「で、どうなの?」
と言われたので、
「どうなのって、コロナが流行ってるから行かないよ。」
と答えた。
「もうお前には頼まない!」
そう言い捨てて父は電話を切った。
何も頼まれてないし。
この人おかしいと、心の底から思った。

後に、主人の母に聞いたところによると、
このとき、本当に母は危なかったそうだ。
何度呼んでも応答はなく、本当にこのまま死んでしまうかと思ったそうだ。
実際は次の日の朝には、復活していたそうなのだが。
それを聞いたとき、ただ一言、
「お母さんの様子がおかしいから、ちょっと来て。」
と言えば済むことなのに、感情で文句を言って、
肝心なことは何も言わないことが信じられないし、理解不能だと思った。
次の日復活したからいいものの、もし死んでしまったら、
もし、脳梗塞などになってて寝たきりになってしまったら、
どうするつもりだったんだろう。

先日、再び電話が来て、また私の弱点と言うべきことをついてきた。
そこをつけば、私が言うことをきくだろうとふんでのことだ。
嫌な奴だ。
本当に親なのか。
私を一人の人間とはみていない。
単なる道具としかみていない証拠だ。
でも、その弱点は、本当は弱点じゃない。
本当のことを忘れているだけだ。
自分達、特に母が言ったことをすっかり忘れてしまったようだ。
それを指摘すると、
「嘘をつけ!そんなこと言うはずがないだろう!」
今度は嘘つき呼ばわりだ。
「お母さんが言ったんだよ。」
「あの馬鹿と俺は違う!」
『あの馬鹿』?
自分の女房を馬鹿呼ばわりか。
家事も育児も、全部一人でこなして、
自分が病気になったとき、
病院に毎日通ってくれた女房を馬鹿呼ばわりかよ。
その間、父は怒鳴りっぱなしだった。
「もういい!うるさい!うるさい!!」
と言って、電話を切った。

その後、母が家に来た。
「お母さん、そんなこと言わないと思うけど。」
それを言いに来たのか。
父に相当問い詰められたのだろう。
「言ったんだよ。
だけどそれじゃまずいからって、こうしようって、こっちが提案して、
今のように決まったんだよ。」
「そうだっけ?」
「そうだよ。」
母は黙る。
「お父さん、なんなの?あれ。
お母さん、よく頭おかしくならないね。」
と言うと、
「だからさ、お母さんも、もう一人で実家へ帰ろうと思って。
一人で畑でもやって、暮らそうと思ってさ。」
と、母が言ったとき、父が来る。
最初から喧嘩腰だ。
こちらも怒りが頂点まで達している。
父の腕を掴んで、椅子に座らせる。
何故かというと、立たせておくと、すぐに殴るからだ。
殴られたら殴り返す気ではいたが、
ただ、私の場合、非常に目が悪く、殴られると失明する可能性が高いので、
それはできれば避けたかった。
また電話のときの話がむしかえされて、また同じ説明を繰り返す。
「嘘つけ!」
また嘘つき呼ばわりか。
「お母さんがそう言ったんだよ。」
「馬鹿!俺とこいつは違う!」
今まではずっと何を言われても我慢してきた。
どんな場面でも我慢してきた。
この三人の家族で、父はいつも最優先だった。
誰も、何も言わなかった。
何か嫌な事を言われても我慢してきた。
殴られても、ぶたれても我慢してきた。
もう限界だ。
お前なんて、もう親でもなんでもない!
「馬鹿?馬鹿はお前だ。」
目を見て言ってやった。
「いつもいつも感情にまかせて物を言って。
この前だって、お母さん死にそうだったのに、
肝心なこと、何も言わなかったじゃないか。
私には何も通じなかったぞ。」
それを聞いたとき、あろうことかこう言ったのだ。
「死んでないじゃないか!
これが死ぬはずないじゃないか!
今だってここまで歩いて来たんだぞ!」
「今じゃないよ。
この間電話してきたとき、お母さん、死にそうだったんでしょ?
なのに、文句ばっかり言って。
『お母さんの様子がおかしいから、ちょっと来て。』
って、言えば済むことだったのに。
お母さん、本当に死んじゃったら、どうする気だったの?」
「死んでないじゃないか!」
だめだ、こいつ。

私への嫌がらせに、マスクをとって「はーっ」と息を吹きかけるのを見て、
コロナが流行ってるから、親に会いに来ないのは、
我々がコロナをうつされたくないからだ、と勝手に思い込んでいることがわかった。
逆だよ。
我々は、二人とも医療関係者だから、コロナに感染している場合があるからで、
誰かにうつしたくないから、親の家だけじゃなく、
仕事以外どこへも行かないでいるのに。
買い物も車に乗れる主人が週1で行くので、コロナが流行ってから
仕事と本当に必要なとき以外、私は外には出てません。
何度言っても、わかろうとしないので、本当に嫌になる。
それで、全然来ないと文句言われても。
「別にうつされても、もう歳だし。」
と、両親は言うが、
もしコロナに感染したら、知らずに外に出て、誰かにうつすかもしれない、とか、
重症化して、入院することになって、
すごく苦しむかもしれないとか、考えたことないのかね?
ないんだろうな。
そうなったら、同じ医療従事者の方々に、多大なるご迷惑がかかるので、
それも避けたいという、我々の気持ちを慮ってくれなどと言っても、無駄だよね。
両親の周りに感染者がいないということから、
遠い世界のことのように思ってるんだろうな。

幸が四つ足で立てなくなって、
家では床にはマットを全面に敷いているのだが、親の家はフローリングのため、
幸を連れていけなくなった。
フローリングの上では、滑ってしまい、もうお座りすることもできないのだ。
そして、発症から一年位で死ぬと宣告されているのだが、
5月になれば2年生きていることになり、
いつ死んでもおかしくない状態なので、なるべくそばにいてやりたいと思っている。
それも話してあるのだが、俺様一番の奴には理解できないらしい。


私に『馬鹿』と言われて、更にヒートアップして、
母を指さして、
「この馬鹿が!この馬鹿が!」
と、まだ何度も言うので、
「馬鹿はお前の方だって言ってるだろうっ!
全部一人で何でもしてきたお母さんを『馬鹿』とはなんだ!
おまけに、この前何て言った?『あんな女』って言ったんだぞ!
なんだ?『あんな女』って、
お前が病気になったときも、毎日病院に通ったお母さんを、『あんな女』?
心底軽蔑した。
馬鹿はお前だ!ばーかばーか!」
もう『お父さん』なんて呼べなかった
人でもなかった。
人外だった。
「お前」というのも嫌だった。
怒鳴り散らす人外を押して、
「もう帰れ!二度と来るな!」
と言って玄関まで押し返した。
それを感じて、幸が足を引きずりながら追い掛けて来た。
ふんふん鳴きながら、追い掛ける幸の鼻面を、
あの男は、「この馬鹿犬!」と言いながら蹴ったのだった。
もう許せなかった。
「幸には関係ないでしょう!早く出て行け!」
と怒鳴って外へ出させた。
母は、人外の後から少し笑って手を振った。
なんで、あんな人外と一緒にいられるんだろう。
なんで『この馬鹿』とか『あんな女』とか蔑まれても、
一緒に帰ることができるんだろう。
私には理解できない。

幸は。
あの人外と私の間にずっといた。
同じポーズで間にいた。
頑固にそこから動かなかった。
帰った後で、
「ごめんね。」
と謝った。
心静かにさせておいてやりたいのに、ごめんね。
あんなのを、鼻を鳴らして追い掛けていかなくてもいいんだよ。
そして、ありがとね、と言った。
ありがとね。

それを聞いた主人が、私の実家に出掛けたのは、次の日だった。





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2月から3月にかけての恒例行事

確定申告が終わった。
ずーーっと前からの恒例行事なのだ。
2月~3月にかけては確定申告でー
4月~6月にかけては、住民税とかーそんなものの支払いの時期でー
人間は生きてるだけでお金がかかるのね。
当たり前だけど。

以前より職場からいただくお金は半分以下になってしまったのだが、
半分以下に働く時間を減らしたので、それもまた当たり前で
ただ、この額なのに、なぜか扶養に入れない。
職場のお姉さん方は、ちゃんと扶養の中で計算して働いている。
私もそうしようと思うのだが、突然残業になったりすると、
それも難しい。

来年、ずっとお世話になった先生が引退するそうなので、
それを機に、扶養に入れる時間帯内で働くように交渉しようとは思っている。


昨年までは、書類を税務署まで直接持って行ったのだが、
今年はe-taxにした。
スマホは、メールと電話しか使わないので、手間取った手間取った(T-T)
何度もやり直し(T-T)
集中してやらないとまずいと思ってパソコンに向かうと、
洗濯機がお風呂の水が少なくなって吸えないので、なんとかしろと騒いだり、
コーギー幸湖さんが、水を飲みたいと匍匐前進してケージに向かったり、
ちなみに幸湖さんは、病で四つ足で立ち上がれないので、
匍匐前進で進みます。
このときは水でしたが、トイレの場合もあるので、
察知し次第、車椅子代わりをしないといけません。
主人はわりとほったらかしなので、
幸湖さん、間に合わず途中で大や小をしてしまうことがあります。
大は片付けるの楽なんだけど、小をされてしまうとね(^0^;)
この頃は主人も、慌てて車椅子になってます。
前足は健在なので、早いこと早いこと。
ケージ内まで付き添った後、車椅子は再びパソコンの前に座ります。
再び、集中しようとすると、
「ここから出せ。」
という要求の音・・・・
車椅子は、再びお迎えに行き、幸湖さんの行きたい場所までお付き合いします。
そして
「ふう。」
と言いながらパソコンの前に座ると、
「どこまでいったんだっけ?」
となります。

お子さんや猫さんのいる御家庭で、リモートが難しいわけがよくわかりました。
これで書類が山ほどあったら、とっても無理!

入力し終わって、昨年の書類と見比べて足りない部分はないか確認し、送信。
・・の段階で、また手間取る。
スマホとマイナンバーカード使って送れるように今年からなったらしいんだけどさ
暗証番号と、なんだ?あの申請ナンバーみたいの。
カードを作られた方はおわかりと思いますが、
申請するときに自分で決めるんだよね。
あんなん忘れるって。
あれを書いた紙をちゃんとしておかないと、後でとっても困るって。
先週、今日の本番の前に、e-taxの申し込みだけしておこうと思ってやったら、
暗証番号が違うとか言われて、できなくて、
結局、主人がしまっておいてくれたあの紙を出してもらって、
やっと、今日無事に確定申告が終わったわけで。
主人がちゃんとしてる人でよかったと、本当に思いました。
私がだらしないので、主人に任せておけば安心。

なぜe-taxにしようかと思ったかというと、
一昨年までは、駅前で確定申告の受付してくれてたので、
仕事に行くときに提出すればよかったのですが、
昨年、税務署が移転して、綺麗な建物になったからか、
駅前の受付場所がなくなってしまい、
そして、当の税務署もかなり遠くなってしまってました。
歩いて行ける距離だから、近いっちゃ近いんだけれども。
まさかそんなことになっているなんて知らなかったので、
えらく困りました。
おまけに新しい場所は特定できるけど、行き方がわからん・・・
仕事にも間に合わない。
職場にはこれこれこういう理由で遅れますと連絡をいれ、
迷いに迷って、ようやく到着。
したのはいいけど、すごい人数が待ってる(;゜ロ゜)
とりあえず列の一番後ろに並ぶ。
そこへ案内係のお兄さん登場。
「2時間位かかりますよ。」
ええええええええええ~っ!
なんで?提出するだけでも?
その後、
「提出するだけの方はいらっしゃいますか~?」
「はいっ!」
しゅたっと手を挙げると、
「提出するだけ?」
「はいっ!」
「でしたらこちらへどうぞ。」
「ありがとうございますっ!」
にこにこのお兄さんの後についていき、提出してほっとしたものの、
「どうやって駅まで帰ればいいんだろう・・・」
来た道はわかるが、かなり遠回りして来てしまったので、駅までの最短がわからない。
そこへ、高校生(中学生?)の制服集団が歩いていて、
どうやら駅へ向かうご様子。
「あれに着いて行こう!」
そして、やっと駅まで帰れました。
「このままおうちに帰りたい・・・」
そう思いつつ、駅の改札をくぐり、電車に揺られ、
30分の遅刻で職場へ到着しました。

と、いうわけで

「来年は、絶対e-taxにする!」

心に固く誓いましたとさ。

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3回目のワクチンをうってきました その2

さて、続けて3回目接種後の副反応を書きたいと思います。

まずは、職場の人達。

ほとんどが熱は出なかった、そうです。
前回、38℃以上出た人も出なかった、そうです。
でも、やはり腕は皆、痛くなったとのこと。

1回目、2回目共に、熱が出て、
2回目は38℃以上出た人は、3回目も熱が出たそうです。
ただ、熱が上がってきそうになったときに、
ワクチン発熱時の推奨薬『カロナール』を飲んだため、
そんなに高くも、怠くもならなかったそうです。
ただ、カロナールの効果が切れると、上がってきたそうなので、
ひとえに『カロナール』さんのおかげで、助かった、と。

2回目、37.6℃だった人は、
3回目は、38℃以上になったそうです。
そして、頭がすごく痛かった、と。
『カロナール』、飲まなかったかもしれないなぁ。
そこを訊くの忘れた。

2回目に、40℃近く熱が上がって、
次の日も熱が下がらず、動けなかった人は、
3回目も38℃以上になって、
カロナールを飲んだので、下がったけど、
効果が切れると上がる。
それの繰り返しで2日間。
3日目は、すっきり爽やかになったそうです。

私の場合。
最悪だった・・・・
カロナール飲んでません。
2日目のお昼頃、37.6℃まで上がりましたが、
すぐに下がって、怠さなし。
腕は痛くて、やはり肘の上まで腫れる。
3回ともなったので、これは体質的なものでしょう。
下がったはずの熱が夜中に上がったようで(計ってないので何度かはわからない)
熱くて目が覚める。
そのまま寝たり起きたりを繰り返して、朝起きたときは、37℃。
なんとなく右眼の上辺りに違和感。
頭が痛くなる前兆です。
熱はすぐ下がりましたが、怠さと右眼の上に違和感が残る。
「今日、何もしないよ。
部屋とか汚いままでごめん。」
「ああ~ そんなの、いい、いい。」
と言いながら、主人が出掛ける。
あまり体を刺激しないように、お昼までいたにも関わらず、
37.4℃まで熱が上がる。
この後、仕事に行くので、仕方なく、カロナールを服用。
怠さと違和感は残るが、熱は下がったので職場へ向かう。
仕事をしている間、右眼上部の違和感は、だんだん痛みへとかわってくる。
なんだか、胃も痛い。
また熱も上がってきた感じ。
貧血起こしそうになる。
帰る1時間前に、いったん患者さんが落ち着いたので、許可をもらって帰る。
そのとき、先生にカロナールをいただいたので、服用。

次の日、熱も怠さもなく、しかし、右眼の上の違和感あり。
職場へ向かう。
仕事をしている間に、徐々に右眼の上の違和感が痛みにかわり、
だんだん酷くなる。
それに伴って、胃が痛くなり、気持ち悪くなる。
そして、また貧血が起きそうになる。
この間、熱はなし。
途中で、ブルフェンを服用。
痛み、なくならず。
「ブルフェンのんだから大丈夫。」
と自分に言い聞かせ、定時まで頑張る。
幸い、電車もバスも座れたので、
なんとか吐かずに、倒れずに家までたどり着けました。

家には、後ろ足の立たなくなってしまったコーギー幸湖さんがいるので、
ベッドに滑り込むわけにもいかず、
そのまま椅子に座っていたら、頭痛の方はだいぶ良くなりましたが、
胃の方は、食べ物を受け付けませんでした。
その次の日も、ほとんど食べ物を受け付けず、
主人がおじやを作ってくれて、それを食べました。
そして、今日に至ります。
まだ、胃が重いです。
その他の症状は、怪しいながら、出てないです。

土曜日、寒かったなぁ・・











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3回目のワクチンをうってきました。

先週の水曜日に、3回目をうってきました。
いちおう、医療従事者、だからね(^0^;)
今回は、接種券が来るのが早かったねぇ。
それでも、職場の同じ日にうった同僚達より、
1~2週間遅かったですね。
なので、職場の人々はほとんどが3回目を終了してました。
それぞれの副反応については、後ほど書かせていただきます。

1回目と2回目は、職場で予約を取ってもらったので、
職場のある区でうたせていただきましたが、
今回は、地元でうちました。

パソコンで予約しましたが、
今回は空きがかなりあって、すぐ取れましたね。
地元の高齢者の方々は、主人の母に訊くと、接種の日付が指定されてるそうで、
私よりずっと早くうったのに、18日と指定されているとのこと。
たぶんそれで、空きがあるんだなぁと。
その代わり、昼間は全然空きがなくて、
希望する会場で、一番早い日の空きが夕方の一つだけでした。

その日は幸い、主人が
「有休を消化しろって休みをいれられた。」
そうなので、会場まで車での送り迎えをしてもらえました。

1回目と2回目は6月だったので、
半袖の上に長袖の上着で良かったのですが、
今回は、何を着ていこうか、でまず迷い。
七分袖で、袖口がふわっとしてて、肩を出しやすい服の上に、
いつものなんちゃってダウンを着ていくことにしました。
まぁ、行き帰り送り迎えあるからね。

会場では、椅子が何列かに並べられて、
5分前に着いたものの、かなりな人が待ってました。
どうやら、予約時間ごとに椅子が一列で並べてあるらしい。
もう、私の予約枠の時間の次の時間の予約の方々(ややこしい(^0^;))が、
かなりいらっしゃいましたね。
失礼ながら、私より若いだろう人は見当たらず。
この日は、高齢者以外は、あの1個しか予約枠がなかったんですかねぇ。

あとは、前とそんなにかわらなくて、
問診と、注射だったのですが、
今回はたぶん看護師さんでした。
前は病院だったので、2回ともお医者さんだったと思う。
すごく優しい看護師さんで、
さっと肩を出したら、
「もういいですか。」
とのお言葉。
なんで?いいよ。
と思って注射を受けた後、なんちゃってダウンをさっと取って
出て行こうとしたら、
「あっあっ、大丈夫?すごく軽装。」
「大丈夫です。ここは暖かいですし。」
と言ったら、
「よかった。助かりました。皆さん、とても沢山着てるから。」
とのお言葉。
なるほどね。
それで、あの「もういいですか。」なのね。
私は送り迎えあったから、軽装でも寒くはなかったですが、
そうじゃなかったら、もう一枚着て出ますね。
2月だし、夕方だもん。

その後、15分待機して、
ワクチンの種類とうった日付の入った紙をいただいて終わりですが、
そのときに、名前と生年月日を言わなければいけないわけです。
先程、私より若い人は見当たらなかったと、書きました。
何気に生年月日を聞いていると、
「昭和1×年・・」
としか聞こえない。
ちょっと待って。
私、ここにいていいんだろうか(;゜ロ゜)

全て終わって、家に帰り着きました。
後は、どんな副反応がでるか、です。

3回目はモデルナにしようかと思っていたのですが、
希望の会場はファイザーしかなかったので、
3回目もファイザーになりました。

長くなったので、ここでいったん切ろう。















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