忍者ブログ

昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

親友

小学生の時、仲のいい友達がいた。
彼女の家に、よく遊びに行ったし、彼女も遊びに来たりしていた。
だが、親しくなるにつれて、だんだん彼女が我が儘になり、
一緒にいて、苦痛を感じるようになった。
なんだか、楽しくないのだ。

その頃、別の子と遊ぶようにもなっていたので、
彼女から少しずつ遠ざかるようになった。
特に、彼女の誘いを断ったり、
意地悪をした覚えはない。
だが、前ほど一緒にはいなくなった。

そのときのことを、後で、彼女のお母さんから聞かされたのだが、
「親友はいらない。裏切られるから。」
と、彼女が言っていたそうだ。

彼女の我が儘についていけなくなったから遠ざかったのに、
裏切ったと言われるとは。
子供心に、心外だった。


私は、親に与えられるはずのものが与えられなかったので、
それを、外に求めていた。
無意識のうちに、友達に求めていたと思う。

今から考えると、
彼女が求めていたものも、同じものだったんだろうと思う。
両方がお互いに相手に求めていて、
私が先にネをあげた、ということだろう。


新しくできた友達は、何かと面倒見のいい子だった。
私は彼女が大好きだったのだが、
クラスがかわった途端、疎遠になった。
呼び方も、いつの間にか他人行儀な呼び方にかわっていた。

それでも、裏切られたとまでは思わなかった。
しょうがない、とあきらめた。

彼女とは、中学も同じだったが、
クラスが違ったせいか、学校内でもあまり会うことはなかった。
3年になって、幸か不幸か同じクラスになった。
彼女は、制服のスカートを長くして、鞄はぺしゃんこだった。
パーマも軽くかけていたかもしれない。
どれも『校則違反』というやつだ。

このとき見せてもらって初めて知ったのだが、
鞄の脇を針金でがっちりとめると、膨らまなくていいそうだ。

彼女が中学に入ってから、ずっとそうだったのは知っていた。
時々、そんな話を耳にしていた。
「ああ、そうなんだ。」
と、思った。
「どうして?」
とは思わなかった。

教室で、彼女と目が合うと、以前の様に笑ってくれた。
ああ、変わってないんだと思った。
私も、あの頃のようにべったりではなく、友達として彼女に接した。

母親が、またいつものように、頼んだわけでもないのに、
勝手に塾を決めてきた。
うんざりだった。
しぶしぶ行くと、そこに彼女がいた。
自分から行くと言い出すわけがないので、
彼女も親に言われて来たんだろうと思った。
親に言われて塾に来るくらいだから、
見かけより、噂されているより、グレてはいないのだろうと思った。
ただ、少し、決まった道から外れていたいのだろうと。

帰り、彼女が
「一緒に帰ろう。」
と、言った。
自転車で来てるから、と。
彼女の家と私の家は、とても近かった。
仲の良かった頃は、一緒に毎朝学校まで通っていた。
自転車にも、よく乗せてもらった。
久しぶりに彼女の後ろに乗った。
なんだか、嬉しかった。
それからずっと、塾の帰りは彼女と一緒だった。
途中で、今川焼きを買って食べたりしていた。
今川焼きを見ると、今でもその頃のことを思い出す。

だからといって、学校でも急速に親しくなったわけではない。
いつもと同じだった。
それが、お互いにちょうどいい距離だったと思う。

中学でできた友人達は、彼女と私が昔親しかったことを知らなかった。
『素行不良』とレッテルを貼られた彼女を嫌っている友達もいた。
かといって、私は学校内で彼女を避けたりはしなかった。
彼女が私を避けていなかったから、私も彼女を避けなかった。

中学を卒業して、そのまま彼女との縁は切れた。
でも、何年か前に、共通の友人から、彼女が結婚したことを聞いた。
それだけでよかった。


あの頃は、クラスがかわったせいで、彼女と距離が離れたと思っていたが、
今考えると、私は彼女に甘えすぎたんだと思う。
前の友達が私にしていたのと同じことを、私も彼女にしていたのだと気がついた。
いくら面倒見が良くて、しっかりしていても、
小学生が自分以外の誰かの心を支えるのは、荷が重すぎだろう。
クラスがかわらなくても、同じ結果になっていたと思う。


いつからか、
『親友』と誰かを呼べなくなった。
自分がその人を好きで、大切に思っていても、
相手もそうだとは限らないということを悟ったからだ。

それからも、友達は沢山できた。
これくらい親しければ『親友』と呼べるのでは、と思ったとしても、
相手は、『ただの友達』としか思ってない、かもしれない。
いや、実際に面と向かって言われたこともあった。

好きで、大切だから、ただそれだけでは、
『親友』ではないのだ。
その人が困ったときに、手助けができる。
それが『親友』なのだろう。

だから、面と向かって、あなたは親友じゃない、と言われた。
それを知って、益々、私が誰かを『親友』と呼ぶことがおこがましくなった。

今の私は、自分を護ることで精一杯で、
主人と幸湖さんを護ることで精一杯で、
他の誰かを手助けすることはできない。

例え、それでもいいと、それでも『親友』だよ、と言ってもらったとしても、
その響に酔って、嬉しくて、甘えて、失ってしまうのが怖い。

たぶん、あの頃より、まともにはなっているとは思うのだが。

拍手[0回]

PR

今頃になって

昨日、父親と喧嘩した。

7月に母が乳癌になって、手術をした。
前からなのだが、少し母には痴呆が入って来ていて、
普通に受け答えができ、身の回りのことはちゃんとできる。
だが、食事を作ったり、掃除をしたりが、できなくなってしまったようだ。
これは、痴呆が云々というより、
体が弱ってしまったため、
素早く動いて、料理をしたりすることができなくなってしまったから、
というのもあると思う。

それでも、
3~4日前、母が一人で急に来た。
「お父さんがいるとうるさいから、
いないうちに出てきた。」
と。
母の実家から送ってきたという『わさびの花漬け』を
「一つあげようと思って。」
と持ってきてくれたのはいいのだが、
案の定、賞味期限が半年も切れている。
それでも、ありがとうと受け取った。
「切れてても食べられるよ」、
というより、
「送ってきたばかりだから、期限が切れているわけがない。」
これだろうと思う。
母にしてみると、送ってきたのは「つい最近」という認識なのだろう。
たぶん、本当に送ってきたのは、もう1年近く前だと想像する。

うちの玄関は、少し上がり口が高い。
母は、それが上れないのだ。
お尻を押して上らせ、スリッパを履かす。
お茶を淹れて、少し話をする。
「具合はどうか。」と訊くと、「私は元気だよ。」という。
「胸、片方なくなっちゃって、悲しくない?」
なんて、少し意地悪な質問をする。
「全然なくなったわけじゃないよ、少し残ってる。」
上着をめくって見せてくれる。
コルセットのようなブラのなくなったはずの胸のあたりが、
少し膨らんでいた。
「脇の方だけとったね。」
お茶を飲み干すと、
「お父さんが帰ってるとうるさいから、
もう帰るよ。」
と、15分いたかどうかで、もう腰を上げて、
玄関に向かって行った。

うちの、コーギー幸湖さんは、『変性性脊椎症』と診断されていて、
発症してから、もう1年と4ヶ月経っている。
それを母には伝えてあった。
それも気になって、様子を見に来たらしい。

変性性脊椎症は、だいたい1年位で、死に至るそうだ。
だが、幸湖さんは、既に四つ足で立つことはできないが、
前足だけで匍匐前進をして、とても速く進める。
が、後ろ足で立てないので、
トイレは、後ろ足をそろえて
下半身は寝っ転がっている状態でするので、
お尻を拭いてやらないといけないから、
と、両親には伝えてあった。


昨日、父から電話があった。
「お母さん、俺が帰ってきたらいなくなってて、
心配したよ。」
そこまではよかった。
「あいつは、駄目だ。」
何が駄目なんだ?
あんたがうるさいから、モラハラだから、
お母さんは黙ってあんたのいないときに、出てきたんじゃないのか。
なんでそうなのかを、何故考えないのかがわからない。
自分が悪いという考えは、何一つ浮かばないところが、
あんたの異常なところだ。

「あんただって、悪いよ。
具合はどうだとか、電話くらいするのが本当だろう。
あんたの親だよ。」
始まった。
自分はどうなんだと言いたい。
こちらは、主人が忙しくて、メンタルやられてるから、
ということも伝えてあり、
つい最近、嬉しくもない私の誕生日もあったのだが、
大丈夫かでも、おめでとうの電話もよこさないくせに、
自分のところには、電話をよこせ、と。

前に、あんまり「ずっと悩んでて、俺は疲れた」と、
同じことを何度も繰り返しぐずぐず言うものだから、
「私にだって悩みはあるんだよ。」
と言ったら、
「お前の悩みなんてたいしたことない!」
と、平然と言われた。
俺の悩みは、お前のと違って重大だから、
俺の手助けをしろ、俺の悩みをなんとかしろ、と?
やなこった。
そんなことを平然と言う人間とは、
お付き合いしたくないです。
悩みを解決するためのことは、何もしないで、
ぐずぐず文句を言うだけ。
定年してから、どんだけ経つと思ってるんだろ。
毎日毎日、何してきたんだろう?

「お父さん、すぐ文句言うから電話したくないんだ。」
いつもは流して終わりだが、昨日はそう言ってやった。
「だったら、ここにあるお前の物を捨ててやる!」
って、言うぞ。
と思ったら、案の定、言い出したので、
「はいはい!さようなら!」
と言って、電話をきった。
捨てればいいさ。
そんなもので、あんたに縛られて生きていたくないよ。


自分の思い通りにならないと、
怒鳴ったり、物を壊したり、
挙げ句の果てには、平手で顔を思い切り殴ったりする。
そういう親に育てられて、
私は、すごく生き辛かった。
自分の好きな物を好きだって言えないのって、
おかしいでしょ。

もう、あんたのことは知らん。

母も、私を自分の一部としてしか考えてくれなかった。
自分ができなかったことを、私に押しつけた。
私はあんたじゃない。


「キビシク育てられたのね」、と主人の母は言ったが、
厳しく?
あんなの、躾じゃないよ。
私を一人の人間として見てないんだから。
父親は道具、母親は自分の一部

今頃になって、毒親に育てられたんだと理解した。
そして、自分は、アダルトチルドレンだと。

インナーチャイルドを癒やせ、と、
カウンセリングの本には書いてあるが、
「大丈夫だよ。」
なんて、今の自分が言ってあげることはできない。
「お前だって、汚いんだ。」
と、思ってる。
聖人君子な顔をして、私は傷ついているなんて、
どの面さげて言えるんだと思ってる。
お前だって、誰かを傷つけて生きてきたんだ。
自分が恵まれないから、恵まれた他人を羨み、
自分に何もないから、持ってる他人を憎み、
自分ができないから、できる他人を恨む。

上を見ればキリがなく、下を見ればキリがない。


ただ、一つだけ、幸福なことがある。
主人に巡り会えたこと。
こんな私を拾ってくれた主人には、
とてもとても感謝している。
主人と幸湖さんがいれば、まだ生きていける。
例え、幸湖さんが虹の橋の麓へ逝ってしまったとしても、
まだ、主人がいてくれる。

それだけが、救い。









拍手[0回]

『明日はきっといい日だ』

「炎華は絶対言わない言葉だね。」
と、主人に言われた。
「私の辞書にはない言葉だ。」
と、即座に応えた。
誰かがTwitterで、呟いていた。
『明日はきっといい日だ。』

時々、叫びたくなる。
コロナのせいではない。
元々、インドア派なので、どこにも行けなくても、
全然苦ではない。
どちらかといえば、
「コロナだから、行けないよ。」
と、口実になって、ちょうどいい。

絵を描いているとき、
洋毛で、人形を作っているとき、
頭の中で、色々考えてしまい、
それが楽しい事ではなくて、
嫌な事や、不安な事を考えてしまう。
過去のつらかったことや、嫌だったことを考えてしまう。
そして、叫びたくなる。
でも、叫んだとしても、
気分がすっきりするとか、
気持ちを切り替えることができるなら、いいのだが、
きっと、もっと不安になって、
自己嫌悪に陥るだろうと思うと、
やっても無駄だという気になる。
そして、また頭の中で負のことを考えつつ、
作業を進める。


子供の頃、両親に平手で殴られたことを思い出す。
父に殴られても、母は私を庇ったりしない。
逆もしかり。
二人で私を怒る。
「あんたが悪いんだからね。」
親といると、息が詰まる。


そういえば、
転校する前、友達の従姉だというお姉さんに、嫌われていた。
そのときはなぜだかわからなかったが、
私は、鼻持ちのならない子供だったんだろう。
貧乏だから、美人じゃないから、頭もそれほど良くないから、
自分だけのすごい所が欲しくて、
ちょっと誰かに「すごいね」と誉められると、
それが人よりずっと秀でていることだと、思い込んで、
そんな気になって振る舞っていたから、
そのお姉さんは、私が嫌いだったのだろう。

今頃、そんなことを思い起こしても、
何の意味もない。

何かつらいことがあっても、
頼る人も、頼るものもなかった。
母親に、そんなことを話しても、
「でもね、それはあんたが、こうだったから・・」
聞いてくれるだけでよかったことも、
いつの間にか、説教にかわっている。
「それはつらかったね。」
「よく頑張ったね。」
「よく我慢したね。」
なんて、言ってもらったこともない。
父親には、言っても無駄だった。
聞いてないか、うるさがられるか、
怒られるかだ。
だから、何か、頼れるものが、自分の中に欲しかった。

絵が好きだった。
小さい頃から、絵を描いていた。
でも、いくら描いても、納得できる絵は描けなかった。
それを知ってるかのように、描いた絵を否定された。
もう、絵は描かないと思った。

文章を書くのも好きだった。
ちょこちょこ小説を書いていた。
でも、それを話したら
「頭おかしいんじゃないの?」
と、言われた。

何をやっても駄目なんだと、
私は、そんな人間なんだと、思った。
それでも、生きていかなきゃいけないんだ。


それまで、一番近くにいた人達に、
私はずっと否定され続けてきた。
『私』でいるな、と。
従え、と。


ただ、今、最後に傍にいてくれる主人は、違った。
『私』でいていいんだ、と、初めて言ってくれた。
「自分の好きなことをしていいんだよ。」
と言う。
「そうしている炎華を見ているのが、俺の幸せだから。」
と、言う。
涙が、止まらなかった。

また、絵を描いた。
また、小説を書いた。

自分の中に、頼れるものを、創りあげよう。
主人が創ってくれた時間の中で。

『明日もきっといい日だ』






拍手[0回]

主人が新型コロナワクチンをうちにいきました。

約2週間前、主人が2回目のワクチンをうちに行きました。
職域接種なので、『モデルナ』製です。

1回目は、9日目に左腕(ワクチンをうった腕)と足(右)の
袖やパンツの裾のあたるところに、でっかい疹丘が沢山出来て、
「かゆい」
と言ってましたが、
それがワクチンのせいなのか、単にかぶれだったのかはわかりません。
2日位で治ってしまいました。
元々、何が原因かはわかりませんが、
主人は蕁麻疹が腕や足やお尻にできます。
見た感じ、いつものと変わりませんでした。
ただ、同時に2カ所にできることはなかったですが。


2回目、さあ、次の日は熱がどれくらいでるかしら、と話しをしていたのですが、
最高37.8℃止まりでした。
本人曰く、
「昔からあまり熱が出たことはない。」
そうで、
「唯一、38℃越えたことがあったけど、
あれは、学校行きたくなくて、こたつであげたから。」
それは、熱が出たとは言わんだろう(^0^;)
「インフルエンザにも罹ったこと無いと思う。」
と、本人は言ってます。
義母は、毎年インフルエンザに罹って、39℃以上熱だしてますが(;゜ロ゜)
コロナが流行ってから、義母もインフルエンザには罹ってませんね。

それで、やはり9日目に、うった腕が少し腫れて、
「うったところがかゆい」
言ってました。
次の日には、もう治ってましたが。


まず、主人は
あまり熱がでない。
蕁麻疹がでやすい。
インフルエンザに罹ったことはない。

私は、
最高39.2℃の熱を出したことがある。
具合悪いと、38℃までは普通にでる。
蕁麻疹はあまりでない。(砂肝を食べたときは、下腹部に線状に蕁麻疹がでた)
青あざができやすい(血管が弱ってるのか?(^0^;))
3年に1度、インフルエンザに罹る。
(コロナが流行ってからは罹らない。ちゃんと手洗いとうがいしろってことね(^0^;))

上記を踏まえて、


主人(モデルナ製)
1回目 次の日、少し腕が痛い。
    熱でない。
    怠くならない。
    9日目に蕁麻疹(ワクチンのせいかどうかはわからない)
2回目 次の日、腕痛い。
    熱、徐々に上がり、夕方最高37.8℃。(寝る頃には36℃台)
    怠くはならないけど、いつもより眠い。
    9日目に腕が少し腫れて、うったところが痒い。


私(ファイザー製)
1回目 その日から腕が痛い。3日位痛かった。その腕を下にして寝られない。
    おまけに、上まで挙がらない。
    うった所が内出血で真っ黒(ワクチンのせいではないらしい。)
    肘の上まで、かなり腫れる(これもワクチンのせいか、わからない。)
    熱でない。
    怠くならない。
2回目 1回目より腕が痛い。触られただけでぎゃーっと叫ぶ位。
    内出血なし(1回目真っ黒くなったのは、やはりワクチンのせいではないらしい)
    腕腫れる(主人曰く、1回目の四分の一くらいの腫れ)
    腕挙がらないが、1回目ほどでは無かったと思う。
    次の日、朝起きたときだけ、少し下痢。
    徐々に熱が上がり、お昼に最高38.2℃。(次の日には36.8℃)
    怠くならない(ずっとパソコンでゲームしてました(^0^;))
    
個人差、かなりあると思います。

拍手[0回]

絆って何だろう。
親子の絆、友情、人の輪。

昔、この人とは、一生一緒にいて、
一緒に歳を重ねていくだろうと思っていた人との絆は
もうない。
愛されてたんだろうと思う。
必要とされてたんだろうと思う。
でも、今は本当にそうだったのか、わからない。
私じゃなくてもよかったんじゃないかとさえ思う。


母が乳癌になって、その前から、少し痴呆もあって、
家のことが昔ほど、いや、ほとんどこなせなくなった。
父は、そんな母に対し、
「あんな女!」
と言う。
朝も起きてこず、いつまでも寝てる。
薬も言っても飲まない。
ご飯の支度もできないし、掃除もしない。
父は、母がそうなる前は、家のことは何もやってこなかった。
定年になってからも、何一つ自分でやろうとせず、
テレビの前に座ったきりで、事足りた。

父が悪性リンパ腫になったとき、
腎癌になったとき、
前立腺癌になったとき、
母は、愚痴一つ言わず、毎日病院に通った。
そうして、父を励まし、ドクターや看護師さんに気を遣い、
もくもくと。

父はどうだろう。
そんなことはすっかり忘れてしまったようだ。
自分が母にさせてきたこと、してもらったことは
全てなかったことになっている。
あのとき、こうだったから、こうしてくれたから、
今度は自分が、などとこれっぽっちも思っていない。
何で、自分がこんな事をしなくちゃいけないんだ。
何で、毎日毎日掃除して、お総菜を買いに行って、
毎日毎日、この俺が!
そう思っている。
役に立たなくなったら、もういらない。
夫婦の絆はどこへやら。
私が思うに、最初からなかったんじゃないか。
『夫と妻』、というより、『主と隷』。
だから、「あんな女!」と切り捨てるように言えるのだろう。

母は、そんな一生でよかったのだろうか。

「自分は、きかん気が強いから。」
と、よく言っていた。
確かに、どちらかというと怠け者の父を上手く働かせて、
今、困らない程度にはなってはいる。
でも、
「お父さんが、」「おばあちゃんが、」「あんたが、」
という言葉を母からよく聞いた。
「お父さんが嫌な顔するから。」
「おばあちゃんが、そう言ってるから。」
主語は皆そうだった。
肝心の「私」はどこへ行ったのだ?
きかん気が強い人が、「私」を表に出さないはずがないと思うが。
たぶん、楽だったんだろう。
母にとって、誰かのせいにしておけば、誰かが決めたことに従っていれば、
楽だったんだと思う。

可哀想だと思うが、自業自得とも思う。


両親を見ていて、自分は違う、と言うつもりはない。

ずっと友達でいよう。
と言っていた仲のいい友達は、皆いなくなった。
特に、私の様な人間には、いつまでも一緒にいてくれる『人』は少ない。

「友達がいるから、結婚しようと思わない。」
と、言う人がいる。
羨ましいと思う。
そんなに強い友情を、ずっと持ち続けられることが、
それを信じていけることが、
そういう人が傍にいることが、すごく羨ましい。

私の経験では、
女同士は、子供ができると、疎遠になってしまう。
私には子供はいない。
結婚して、子供が産まれて、育てて、の道からはずれたので、
その道を歩いている友達とは疎遠になった。
大切なものが違ってしまえば、話題もなくなる。

なら、切り捨てるしかない。
そうやって、皆、いなくなった。
それこそ、自業自得だろう。
友人達が悪いわけではない。
私の方に、非があるのだから。
子供をつくらなかったということが非というのではなく、
性格的に、非があるということだ。

しかし、それでも、
こちらを見てくれる友人はいる。
彼女とは、まだ繋がっている。
そういう『人』は、そんなにはいない。

今、私の傍(物理的だけではなく)にいてくれる数少ない『人』達を
大切にしていこうと思う。

『絆』という言葉は、私にはあまり響いてこないのだが。





拍手[0回]