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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

2月から3月にかけての恒例行事

確定申告が終わった。
ずーーっと前からの恒例行事なのだ。
2月~3月にかけては確定申告でー
4月~6月にかけては、住民税とかーそんなものの支払いの時期でー
人間は生きてるだけでお金がかかるのね。
当たり前だけど。

以前より職場からいただくお金は半分以下になってしまったのだが、
半分以下に働く時間を減らしたので、それもまた当たり前で
ただ、この額なのに、なぜか扶養に入れない。
職場のお姉さん方は、ちゃんと扶養の中で計算して働いている。
私もそうしようと思うのだが、突然残業になったりすると、
それも難しい。

来年、ずっとお世話になった先生が引退するそうなので、
それを機に、扶養に入れる時間帯内で働くように交渉しようとは思っている。


昨年までは、書類を税務署まで直接持って行ったのだが、
今年はe-taxにした。
スマホは、メールと電話しか使わないので、手間取った手間取った(T-T)
何度もやり直し(T-T)
集中してやらないとまずいと思ってパソコンに向かうと、
洗濯機がお風呂の水が少なくなって吸えないので、なんとかしろと騒いだり、
コーギー幸湖さんが、水を飲みたいと匍匐前進してケージに向かったり、
ちなみに幸湖さんは、病で四つ足で立ち上がれないので、
匍匐前進で進みます。
このときは水でしたが、トイレの場合もあるので、
察知し次第、車椅子代わりをしないといけません。
主人はわりとほったらかしなので、
幸湖さん、間に合わず途中で大や小をしてしまうことがあります。
大は片付けるの楽なんだけど、小をされてしまうとね(^0^;)
この頃は主人も、慌てて車椅子になってます。
前足は健在なので、早いこと早いこと。
ケージ内まで付き添った後、車椅子は再びパソコンの前に座ります。
再び、集中しようとすると、
「ここから出せ。」
という要求の音・・・・
車椅子は、再びお迎えに行き、幸湖さんの行きたい場所までお付き合いします。
そして
「ふう。」
と言いながらパソコンの前に座ると、
「どこまでいったんだっけ?」
となります。

お子さんや猫さんのいる御家庭で、リモートが難しいわけがよくわかりました。
これで書類が山ほどあったら、とっても無理!

入力し終わって、昨年の書類と見比べて足りない部分はないか確認し、送信。
・・の段階で、また手間取る。
スマホとマイナンバーカード使って送れるように今年からなったらしいんだけどさ
暗証番号と、なんだ?あの申請ナンバーみたいの。
カードを作られた方はおわかりと思いますが、
申請するときに自分で決めるんだよね。
あんなん忘れるって。
あれを書いた紙をちゃんとしておかないと、後でとっても困るって。
先週、今日の本番の前に、e-taxの申し込みだけしておこうと思ってやったら、
暗証番号が違うとか言われて、できなくて、
結局、主人がしまっておいてくれたあの紙を出してもらって、
やっと、今日無事に確定申告が終わったわけで。
主人がちゃんとしてる人でよかったと、本当に思いました。
私がだらしないので、主人に任せておけば安心。

なぜe-taxにしようかと思ったかというと、
一昨年までは、駅前で確定申告の受付してくれてたので、
仕事に行くときに提出すればよかったのですが、
昨年、税務署が移転して、綺麗な建物になったからか、
駅前の受付場所がなくなってしまい、
そして、当の税務署もかなり遠くなってしまってました。
歩いて行ける距離だから、近いっちゃ近いんだけれども。
まさかそんなことになっているなんて知らなかったので、
えらく困りました。
おまけに新しい場所は特定できるけど、行き方がわからん・・・
仕事にも間に合わない。
職場にはこれこれこういう理由で遅れますと連絡をいれ、
迷いに迷って、ようやく到着。
したのはいいけど、すごい人数が待ってる(;゜ロ゜)
とりあえず列の一番後ろに並ぶ。
そこへ案内係のお兄さん登場。
「2時間位かかりますよ。」
ええええええええええ~っ!
なんで?提出するだけでも?
その後、
「提出するだけの方はいらっしゃいますか~?」
「はいっ!」
しゅたっと手を挙げると、
「提出するだけ?」
「はいっ!」
「でしたらこちらへどうぞ。」
「ありがとうございますっ!」
にこにこのお兄さんの後についていき、提出してほっとしたものの、
「どうやって駅まで帰ればいいんだろう・・・」
来た道はわかるが、かなり遠回りして来てしまったので、駅までの最短がわからない。
そこへ、高校生(中学生?)の制服集団が歩いていて、
どうやら駅へ向かうご様子。
「あれに着いて行こう!」
そして、やっと駅まで帰れました。
「このままおうちに帰りたい・・・」
そう思いつつ、駅の改札をくぐり、電車に揺られ、
30分の遅刻で職場へ到着しました。

と、いうわけで

「来年は、絶対e-taxにする!」

心に固く誓いましたとさ。

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死について

ストレスにさらされると、胃が痛くなる。
昔からずっとそうで、
20代の頃、いつも胃が痛かった。
ある日、もしこれが胃癌で、もう手遅れだったらどうしよう。
まだ死にたくないと医者に行ったら、単なるストレスによる胃潰瘍だった。
先生は軽い胃潰瘍と言ってくれたが、今考えると『胃炎』程度だったと思う。
何週間か薬を飲み続けて、やっと治まった。


私には離婚歴があって、
最初の結婚をして何年か経った頃、
当時知り合った友人が、
「結婚もしたし、子供をつくる気がないなら、後は死ぬだけだね。」
と私に言った。
そう言われても、腹も立たず、その通りだなと思った。

その後、
当時のだんなの会社が倒産して、給料が何ヶ月もでなくなって、
会社に、だんなの名義で銀行から借りさせられていたお金も、
全部払わされることになって、
それでも、一緒に頑張っていこうと思っていたそんなときに、
だんなの実家のことで、私が言ったことに腹が立ったのか、
お前より、家族が大事だと言い放たれてしまった。
それからずっと、このままで一生が終わるのかと、考え続けた。
一番好きな人に、お前がいついなくなっても平気だと思われていて、
そんなので一生が終わるのか。
趣味や仕事で頑張れば、そう思われていようがいいじゃないか、
とも思ったが、それでも、家に帰ってくれば、
だんながいて、容赦なく『それ』を思い出させる。
友達の「後は死ぬだけだね。」は、全くその通りだよ、と思った。
あのときも、死ぬことは怖かったと思う。
どうなるかわからないし、魂が霧散して何もわからなくなってしまうなら
まだマシだろう。
でも、もし、死後の世界があって、今より条件が悪かったら。
そんな風に考えると、やっぱり死ぬのは怖かった。

それからすぐに、離婚して、元旦那から離れたので、
考え続けなくてもよくなった。


祖父母が亡くなる。
伯父や叔母が亡くなる。
それでも、死はあまり身近には感じられない。

しかし、父が悪性リンパ腫に罹ったとき、
『死』はぐっと近くなった。
いつ死んでもおかしくない状態だった。
その証拠に、父と同じ病の同室の方々は、父を除いて皆亡くなっている。
父は、もうかなりいい年だったのだが、
「死にたくない、絶対死なない、生き残ってやる。」
と思っていたそうだ。
私が、そのときの父と同じ歳だったら、
もう、いいや、と思うだろう。
その歳は、まだまだ先なのだが、今、「もう、いいや。」と思っている。


それ以上に、いつ死んでもおかしくないんだと思うようになったのは、
同い年の友人が二人、鬼籍に入ったときだった。

一人目の死を知ったのは、Yahoo!のニュースだった。
友人の名前があって、『死亡』とその後に続けて書いてあった。
その頃は、もうあまり付き合いもなくなっていたが、
彼とは、サークルも研究室も一緒だった。
大学を出た後も、研究室の皆と月一位で集まって食事をしていた。
仲のよかった友人はお通夜に行くと言った。
昼間は仕事があるから、と。
私はお通夜には行けないけれど、お葬式には行けるから、と
お葬式に行くことになった。
駅で、研究室やサークルの友人と待ち合わせをした。
久しぶりに会った友人達は、知り合いの顔を見ると、一瞬笑顔で手を挙げるが、
すぐに真顔に戻って、一様に黙っている。
冷たい雨の降る日だった。
帰りは、皆とは方向が逆なので、一人ホームで考えた。
昨日まで、いや、家族にしてみれば、朝まで一緒に過ごしていた人が、
突然帰ってこなくなったら、どんなに悲しいだろう、と。
その証拠に、焼香をして遺族に挨拶をしようと振り向いたとき、
目に入った友人のお母さんの目は真っ赤だった。

つい最近、写真をデジタル化する作業をしていたら、
色々な場面で皆と撮った彼の写真がでてきた。
彼の結婚式の二次会の写真もあった。
いつも笑顔だった。
この何年か後に、亡くなるとは思ってもいなかっただろう。
犯人の一人は、捕まっていないとあったが、今もそうなんだろうか。


二人目は、病で亡くなったようだ。
彼女も、ずっと会ってなかったし、付き合いもなかった。
なので、もう彼女からは、私は友人から外れていたと思う。
だが、私は彼女を友人だと思っている。
彼女のことは、色々なところで書いているので、
ここでは詳しく書かないことにする。


もう一人、あるサイトで出会った方がいる。
でも、詳しいことは、知らない。
どこの誰だか知らなくてもいい。
そういうサイトで出会ったので、それでいい。
その方も、突然亡くなった。
それを共通の友人に知らせたら、
「知らない方がよかった。」
と言われた。
どこの誰だか知らなくていいのだから、
生きてるか死んでるかなんて、知らなくていい。
生きて、どこかで過ごしているんだ、と思っていればいい、
ただ、このサイトに来なくなっただけなんだと、思うだけでいい。
そういうことだったんだろう。

私はどうなんだろう。
知って欲しいのか、知らないでいて欲しいのか。

『幸湖日記』という自作の小説の二人の主人公は、
どっちでもいいと思ってる。
でも、友達がお葬式に来てくれて、泣いてくれたと知って
「ありがとう。」
と言っている。
主人公中の主人公の幸湖さんは、
自分が死んだときに、大声で泣いてくれた飼い主のために
この世に遺っている。
そして、「泣いてくれる人なんて誰もいないよ。」という飼い主の言葉に、
胸を痛めている。
あれは、私の心の投影なので、本当はどうなんだろう。
知って欲しいのか、知らないでいて欲しいのか。

たぶん、知らなくてもいいと思ってる。
お葬式なんてしなくていいとも思ってる。
お墓もいらないし、覚えていて欲しいとも思わない。
主人には全部伝えてある。
散骨して欲しいと言ってある。


これから、この国はどうなるんだろう。
何も誇れる物がなくなって、世界に評価される物がなくなって、
だんだん貧乏になって、いいことが無くなって、
その中でどんどん歳をとって、何もできないまま生きていかなくてはいけなくなる。

私が父を嫌うように、父も私を嫌い、
嫌ってくれるなら、とことんまで嫌ってくれればいいのに、
どこか中途半端で、私がいつか謝ってくると思ってる。
父が大嫌いだと言って憚らない父の弟は、
私からみれば、とてもいいお父さんで、
自分のことより、子供の幸せを考えて行動していて、
叔父の奥さんは、乳癌の再発で亡くなってしまったが、
父は、叔父が叔母の診察を、連れて行く予定がたたないとキャンセルしてしまったから、
叔母の乳癌の再発の発見が遅くなって、亡くなったと信じているようだ。
それで、そんな自分勝手な奴は大嫌いだという。
ただ、父は母に乳癌がみつかったとき、何年も知ってて放っておいたそうだが、
それは更に酷いことではないだろうか。

そんなわけで、親の遺してくれるだろうものも、もう何も無く、
働くこともできなくなったら、
この先、どれだけ生きていかなければいけないのだろうと思うと、
このまま生きていても、仕方がないのではないかという思いが浮かんでくる。
自殺する気はないが、今、突然死んだとしても、後悔はなさそうだ。
主人と幸湖さんと暮らせたこの11年が幸せだったから、よかった。
ただ、それだけ。














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3回目のワクチンをうってきました その2

さて、続けて3回目接種後の副反応を書きたいと思います。

まずは、職場の人達。

ほとんどが熱は出なかった、そうです。
前回、38℃以上出た人も出なかった、そうです。
でも、やはり腕は皆、痛くなったとのこと。

1回目、2回目共に、熱が出て、
2回目は38℃以上出た人は、3回目も熱が出たそうです。
ただ、熱が上がってきそうになったときに、
ワクチン発熱時の推奨薬『カロナール』を飲んだため、
そんなに高くも、怠くもならなかったそうです。
ただ、カロナールの効果が切れると、上がってきたそうなので、
ひとえに『カロナール』さんのおかげで、助かった、と。

2回目、37.6℃だった人は、
3回目は、38℃以上になったそうです。
そして、頭がすごく痛かった、と。
『カロナール』、飲まなかったかもしれないなぁ。
そこを訊くの忘れた。

2回目に、40℃近く熱が上がって、
次の日も熱が下がらず、動けなかった人は、
3回目も38℃以上になって、
カロナールを飲んだので、下がったけど、
効果が切れると上がる。
それの繰り返しで2日間。
3日目は、すっきり爽やかになったそうです。

私の場合。
最悪だった・・・・
カロナール飲んでません。
2日目のお昼頃、37.6℃まで上がりましたが、
すぐに下がって、怠さなし。
腕は痛くて、やはり肘の上まで腫れる。
3回ともなったので、これは体質的なものでしょう。
下がったはずの熱が夜中に上がったようで(計ってないので何度かはわからない)
熱くて目が覚める。
そのまま寝たり起きたりを繰り返して、朝起きたときは、37℃。
なんとなく右眼の上辺りに違和感。
頭が痛くなる前兆です。
熱はすぐ下がりましたが、怠さと右眼の上に違和感が残る。
「今日、何もしないよ。
部屋とか汚いままでごめん。」
「ああ~ そんなの、いい、いい。」
と言いながら、主人が出掛ける。
あまり体を刺激しないように、お昼までいたにも関わらず、
37.4℃まで熱が上がる。
この後、仕事に行くので、仕方なく、カロナールを服用。
怠さと違和感は残るが、熱は下がったので職場へ向かう。
仕事をしている間、右眼上部の違和感は、だんだん痛みへとかわってくる。
なんだか、胃も痛い。
また熱も上がってきた感じ。
貧血起こしそうになる。
帰る1時間前に、いったん患者さんが落ち着いたので、許可をもらって帰る。
そのとき、先生にカロナールをいただいたので、服用。

次の日、熱も怠さもなく、しかし、右眼の上の違和感あり。
職場へ向かう。
仕事をしている間に、徐々に右眼の上の違和感が痛みにかわり、
だんだん酷くなる。
それに伴って、胃が痛くなり、気持ち悪くなる。
そして、また貧血が起きそうになる。
この間、熱はなし。
途中で、ブルフェンを服用。
痛み、なくならず。
「ブルフェンのんだから大丈夫。」
と自分に言い聞かせ、定時まで頑張る。
幸い、電車もバスも座れたので、
なんとか吐かずに、倒れずに家までたどり着けました。

家には、後ろ足の立たなくなってしまったコーギー幸湖さんがいるので、
ベッドに滑り込むわけにもいかず、
そのまま椅子に座っていたら、頭痛の方はだいぶ良くなりましたが、
胃の方は、食べ物を受け付けませんでした。
その次の日も、ほとんど食べ物を受け付けず、
主人がおじやを作ってくれて、それを食べました。
そして、今日に至ります。
まだ、胃が重いです。
その他の症状は、怪しいながら、出てないです。

土曜日、寒かったなぁ・・











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3回目のワクチンをうってきました。

先週の水曜日に、3回目をうってきました。
いちおう、医療従事者、だからね(^0^;)
今回は、接種券が来るのが早かったねぇ。
それでも、職場の同じ日にうった同僚達より、
1~2週間遅かったですね。
なので、職場の人々はほとんどが3回目を終了してました。
それぞれの副反応については、後ほど書かせていただきます。

1回目と2回目は、職場で予約を取ってもらったので、
職場のある区でうたせていただきましたが、
今回は、地元でうちました。

パソコンで予約しましたが、
今回は空きがかなりあって、すぐ取れましたね。
地元の高齢者の方々は、主人の母に訊くと、接種の日付が指定されてるそうで、
私よりずっと早くうったのに、18日と指定されているとのこと。
たぶんそれで、空きがあるんだなぁと。
その代わり、昼間は全然空きがなくて、
希望する会場で、一番早い日の空きが夕方の一つだけでした。

その日は幸い、主人が
「有休を消化しろって休みをいれられた。」
そうなので、会場まで車での送り迎えをしてもらえました。

1回目と2回目は6月だったので、
半袖の上に長袖の上着で良かったのですが、
今回は、何を着ていこうか、でまず迷い。
七分袖で、袖口がふわっとしてて、肩を出しやすい服の上に、
いつものなんちゃってダウンを着ていくことにしました。
まぁ、行き帰り送り迎えあるからね。

会場では、椅子が何列かに並べられて、
5分前に着いたものの、かなりな人が待ってました。
どうやら、予約時間ごとに椅子が一列で並べてあるらしい。
もう、私の予約枠の時間の次の時間の予約の方々(ややこしい(^0^;))が、
かなりいらっしゃいましたね。
失礼ながら、私より若いだろう人は見当たらず。
この日は、高齢者以外は、あの1個しか予約枠がなかったんですかねぇ。

あとは、前とそんなにかわらなくて、
問診と、注射だったのですが、
今回はたぶん看護師さんでした。
前は病院だったので、2回ともお医者さんだったと思う。
すごく優しい看護師さんで、
さっと肩を出したら、
「もういいですか。」
とのお言葉。
なんで?いいよ。
と思って注射を受けた後、なんちゃってダウンをさっと取って
出て行こうとしたら、
「あっあっ、大丈夫?すごく軽装。」
「大丈夫です。ここは暖かいですし。」
と言ったら、
「よかった。助かりました。皆さん、とても沢山着てるから。」
とのお言葉。
なるほどね。
それで、あの「もういいですか。」なのね。
私は送り迎えあったから、軽装でも寒くはなかったですが、
そうじゃなかったら、もう一枚着て出ますね。
2月だし、夕方だもん。

その後、15分待機して、
ワクチンの種類とうった日付の入った紙をいただいて終わりですが、
そのときに、名前と生年月日を言わなければいけないわけです。
先程、私より若い人は見当たらなかったと、書きました。
何気に生年月日を聞いていると、
「昭和1×年・・」
としか聞こえない。
ちょっと待って。
私、ここにいていいんだろうか(;゜ロ゜)

全て終わって、家に帰り着きました。
後は、どんな副反応がでるか、です。

3回目はモデルナにしようかと思っていたのですが、
希望の会場はファイザーしかなかったので、
3回目もファイザーになりました。

長くなったので、ここでいったん切ろう。















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欠けたもの

5冊組のアルバムの3冊を、前に住んでいた所に置いてきた。
表紙は、子猫の写真だった。
そのときはそれでいいと思っていた。
置いて行っていいのだと、勝手に思っていた。
相手の気持ちも考えず。

今頃になって、置いてきたことを後悔している。
中身ごと、捨てられてしまっただろう。
中身もさることながら、外見のアルバムが非常に惜しいことをしたと思っている。
可愛かったのにな。
もう手に入らない。
非常に残念だ。

私にはそういうところがあって、
何かが欠けているのに気が付くと、もう落ち着かない。
漫画、小説などシリーズものが、一つでも欠けているときは、
捜しまくって手に入れる。
もちろん、何が何でも、というわけではない。
はたくような大枚はないし、
そこまで必死になることはない。
それに見合わない金額だったら、諦める。
この子猫のアルバムのように、もう製造中止になって、
手に入らなくなったものを、無理にでも手に入れようとも思わない。
ただ、いつまでも、ああ、残念だ、と思い続ける。

こういう性格なので、断捨離などできるはずがない。
勢いに任せて捨ててしまったら、
後になって、
「捨てるんじゃなかった。」
と、ひどく後悔するのは目に見えている。

つい最近、永遠に後悔する前に手に入れたのは、
昨年亡くなった『佐伯かよの』先生の『Quo Vadis』だ。
一番つらいときに、ふらっと立ち寄った本屋さんに
新刊として積んであって、そのまま中身も見ずに購入していた。
ビニ本なので、中を見ることはできなかったのだが。
もともと『佐伯かよの』先生の作品は好きだったので、
全く抵抗はなかった。
家に帰って、暗い気持ちのまま読んだクオヴァディスは、
それを忘れさせてくれた。
その本屋さんの前を通る用があるときには必ず立ち寄って、
一巻ずつ続きを購入した。
内容の面白さ、絵の綺麗さは勿論のこと、
そんな思い出のある作品だったので、
尚更尻切れにするわけにはいかなかった。

出版物は、すぐに絶版になってしまって、
気が付いたときには、手に入らなくなっていることが多い。
それで後悔している作品が多々ある。
代表格が、『髙野まさこ』先生の『シュガーベビー』。
新刊として販売されてたときは、お金がなくて、買えませんでした・・・
こちらに来てすぐに、
主人が連れて行ってくれた古本屋さんで、
幸運にも5巻と6巻は手に入れることができたが、
その後の巻にはお目にかかることはない。
その後どころか、今手にしている巻にもお目にかかることはありません。
髙野先生は、とっくの昔に漫画家は辞められたたそうで、
自らの作品を再版する気もない、という記事を昔目にしたことがある。
非常に残念です。

これを無くすにはどうしたらいいか。
一気に全巻揃えるか、一切新しい物に手を出さないか。
なので、この頃は、よっぽど気に入らない限りは、
新しい物に手を出さないことにしている。
それでも、昔手に入れたものに欠けている物がみつかると、
気になってしょうがなくなるのだが。





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