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昔日和-他愛もないこと-

思ったことや過去にあったことを、だらだらと書いてあります。どちらかというと、楽しいことではないです。近頃は精神安定のための、愚痴の捌け口になっております。

階段

前回の記事の続きを書こうと思いましたが、止めて、昨日のことを書きます。

家の階段から落ちました。
それも一番上から。
幸い、家の階段は下まで直下ではなく、途中で2回ほど曲がっているので、
2回目の曲がりまででなんとか止めましたので、下まで、ということにはなりませんでした。

2回の曲がりというのは、こういうときはいいのですが、
上から2段目の階段から、曲がる準備段階に入っているので、
片側がえらく狭くなってます。
狭い方は足を乗せることができないほど狭い。
広い方に足を乗せれば何てことはないのですが、この日は違っていた。

幸湖さんが虹の橋を渡ってから、主人はずっと片付け&掃除をしてました。
幸湖さんが使っていた場所が、粗方綺麗になったので、
次は2階の、フィギュアの倉庫のようになっていた部屋に移りました。

今は主人は本当に気に入った子だけをほんの少し、私はほとんどお迎えしません。
私は更に、SDや1/6ドールをお迎えしておりましたが、こちらも今は全然。
昔のSDで、お迎えしたい子は何人かおりますが、もう無理だろうな。
中古でも売ってないだろうし、売ってたとしてもすんごい額になっていて・・

ともかく、もう飾らないよね、というフィギュアを、主人と相談の上廊下に出しました。
後で、お嫁にもらっていただく方を探すという目的で、仕分けしました。
これが良くなかった。
階段の広い方の出だしが、この子達で埋まっていて、
起きたばかりの私は何も考えず、一歩を踏み出しました。
実は前の日も、一段落ちたんだよね。
狭い所に足を沿わせて降りないといけないところを、
普通に真っ直ぐ足を出しました。
まあ、落ちるわな。

途中、ちゃんと手と足で落下を防止しましたが、
足が更に滑ったんだよね。スリッパ履いてたしね。
2曲がり目に到達する前に、落下は停止しましたが、
腰打ってすごいあざができて、左腕擦りむいて、踏ん張ったせいで足首とすねが筋肉痛で、
昨日は、やたら体が怠くて、早々寝てしまいました。
今日になったら、腕も筋肉痛(^0^;)

左腕の擦り傷なんですが、ぺろーっと剥けているわりには、
出血は一切無く、綺麗に同じ枚数が剥がれた感じ。
昨日は鳥が羽を広げて飛んでる形だったのですが、
今日になったら、ドラゴンの頭みたいになってる。
主人に、
「なんかさ、かっこいいよね。」
と、注に描バリに見せたら、かなり呆れられました。

私が落下したときに、主人は既に起きていて、
すごい勢いで飛んで来ましたよ。
主人が来たときには、もう落下は自力で封印した後でしたが。
「ああ~ やると思ったんだよ!
思ってたなら、片付けておけよ!俺!」
と自分に怒りながら、娘達を片付けてました。
申し訳ない(^_^;

家の階段を派手に落ちたのは、これで3回目かな。
幸湖さんが階段の下にいるときに落ちて、あの子は、脱兎の如く逃げたですよ。
まあ、いい思い出です。(ホントか?)







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母の死

幸湖さんに続くように、母が逝った。
4月2日のことだった。

職場で、4月から服装に規定が適用されて、黒のズボンとサンダルを買いに行った日のことだ。
帰って来ると、ポストにケアマネさんからのメッセージが入っていた。
このとき、父との関係は最悪だった。
かなり気を遣ってくださったのだろう。
すぐに電話をすると、
「今日、お母さんが入院するから、病院まで付き添って欲しい。」
と、言われた。

母は、8年位前から認知症を患っていた。
物忘れがかなりひどくなってはいたが、人の顔がわからなくなるほどではなかった。

認知症の始まりに気が付いたのは、母が私を途中まで送ってくれたときのことだった。
麓まで続く階段の上で、
「お母さん、ここでいいよ。」
と、手を振った。辺りは薄暗くなっていたので、そう言って母を帰したのだが。
母は、自分の家がわからなくなってしまったそうだ。
家を通り越して、かなり先まで行ってしまったと。
本人は、
「引っ越して来たばかりだったし、暗くなってたから、よくわからなくなっちゃって。」
と、言った。本人も、自分が認知症だなどと信じたくなかったのだろう。

 母を説得して認知症のことも診ている脳神経科に連れて行った。
医師は、認知症だとはっきりは言わなかったが、あのときそういう診断がついていたのだと思う。
血圧やコレステロールの薬と一緒に、認知症の症状を進まないようにする薬がでていた。
ただ。母はちゃんと服用していなかったようだ。
父は、誰かの面倒をみられる人じゃ無かった。
自分が薬を飲むときに、一緒に母の分も出してやって、水を用意すれば済むことを
一切やらなかった。
母の認知症の症状は、徐々にだが進んでいったようだ。

近頃になって、主人が言った。
「(亡くなる寸前は)お母さん、お茶が淹れられなくなってたもんね。」
そうなんだ。と思った。
料理が全然できなくなっていたのは、知っていた。
暮れに実家に行くと、必ず年越しそばがでるのだが、最後は主人が作っていた。
数年前から、ぬるいおそばがでてきたりしていたので、
お母さん、症状が進んだな、とは思っていた。
そのうちコロナになって、実家には行かないことにした。
うちは、二人とも医療関係の職に就いているため、
コロナに罹る可能性は、一般の人より高い。
それを幾度説明しても、父はなぜ自分がこんなに大変なのに、
「俺だけがこんな女のために嫌な思いをして、苦労しなくちゃいけないんだ。」
と、怒りを露わにする。
それでも、自分から行動を起こすことは一切無かったので、喧嘩になった。

母には申し訳なかったと思うが、あのときは本当に父と顔を合わせたくなかった。

母が逝ってしまった今、父はあの頃のことは嘘のようにおだやかな人になっている。
「お父さん、しっかりしてよ。私の実の親はもうお父さんしかいないんだからね。」
と、母が亡くなってすぐのとき、弱気になっている父に言った。
「うん。わかった。」
と頷く父が、一回り小さく見えた。








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虹の橋

悲しいことは沢山ある。
つらいことは、山ほどある。

14日に、コーギー幸湖さんが逝った。
3年と8ヶ月の闘病の末に。
最期の1年半は、寝たきりだった。
寝返りもうてなかった。
時々、向きをかえてあげていた。

わんわん!と、もう吠えることもできなかったから、
掠れた声で、わふっわふっと鳴いて、
水が飲みたい、おしっこがしたい、としらせてくれた。
濡れてもいいシートの上に寝かせていたので、
「おしっこがしたかったら、しても大丈夫だからね。」
と教えたが、
トイレまで連れて行かないと、絶対にしなかった。
掠れた声で、おしっこがしたいと鳴く。

14日の朝、いつものように、幸湖さんは、毛布から顔を出して、
大きな目を開いていた。
主人が、幸湖さんをトイレに連れて行き、
水を飲ませ、おしっこをさせたとき、
泡を吹いて、えづきだした。
横にして、体を擦っても治まらなかった。
いつもは体を擦って、安静にしていると治まるのだが、
そのときは違った。
えづきが止まらなかった。

幸湖さんがいつも寝ている絨毯と毛布を2枚重ねた寝床に戻した。
黒目が上に上がりかけていて、心臓の鼓動も弱く不規則だった。
前足を握ると、冷たくなっていた。
慌てて、添い寝をして、心臓の上をマッサージした。
しばらく続けていると、上に向いた黒目が正面に戻って来て、
前足もすごく温かくなり、心臓の鼓動も強くなったので、
大丈夫だと思い、少し目を離した。

幸湖さんは、逝ってしまった。

体も足も、まだとても温かかった。

目が重くなって、鼻の奥が痛くなるまで、泣いた。

幸湖さんの遺体が無くなって、まだお寺から帰ってこないとき、
幸湖さんが寝ていたままになっていた布団の上で、
初めて声を出して泣いた。
つらかった。
悲しかった。
心が潰されるようだった。

もう何年も散歩にもいけない
もう何年も寝たきり
こんなに苦しいことはないだろうと、思っていた。
それならいっそ、この体から離れてしまった方が、
幸湖さんにとって、いいのじゃないかと、思っていた。

今、その通りになった。
自由に駆け回れるようになった。
それを喜んであげなければいけないのに、
私は、声をあげて泣いていた。
幸湖さんが、いなくなってしまった悲しさに。


主人は、思ったより、私が冷静なことに安心したと言う。
それはその通りだが、その通りではない。

例えば、空をとんでいて、
雲の上ぎりぎりを飛んでいる。
幸湖さんのことを思い出しても、
写真を見ても、
誰かに、幸湖さんの死を告げたとしても、
幸湖さんに似た子の動画を観たとしても、
悲しくなったり、泣いたりすることはない。

けれど、
高度が少し下がって、下の雲に触れた途端、
涙がとまらなくなる。
それがどういうタイミングなのかは、全くわからない。

悲しいことは、沢山ある。
つらいことは、山ほどある。

昔、心が壊れそうになるくらい、つらいことがあった。
幸湖さんがいなくなったことは、それ以上につらいと思うのに、
まだ大丈夫だと思える。

幸湖さんの気配は、感じない。
幸湖さんが死んだ日の夜、頭の右上に、何かが乗っているような感覚があったけど。
でも、もう虹の橋を渡ったね。
今度は、何になって生まれてくるのだろう。

さっちゃん、家族になってくれて、ありがとうね。


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口角をあげて

「あんたたちは、何にもしてくれない。」
父が電話でそう言った。
何にもしてくれないってなに?
未だ自分でやろうとしないところに、腹が立った。
が、だんだん怒るのもあほらしくなった。

どこへ行ってどう相談するのか、常にアドバイスをしてきた。
なのに、何一つやろうとしない。
そして、
「あんたたちは、何もしてくれない。」
だ。

仕方が無く、相談窓口の電話番号を調べ、
ここに電話しろと、メモを渡した。

母は認知症だ。
話すと普通だが、物忘れが激しく、おしっこも漏らしてしまう。
父は、そんな母が許せなくて、怒るらしい。
怒るだけで、公の場所に電話するでもなく、相談するでもなく、
オムツを買ってくるでもなく、
誰かがやってくれるのを待っているだけ。
手を貸してしまうと、何もかもやらされてしまうのがわかっているので、
わざと手は貸さなかった。

電話をすると、すぐに看護師さんが来てくださった。
母は、熱中症の気があったそうだ。
それで起き上がれなくなっていた。
看護師さんが、色々介護してくださっているところに、
私が手を貸す。
当の父は、リビングで座っているだけ。
いやいや、あなたも一緒にいて手伝うのが本当だろが。
さんざん文句言って、これだから。

「しっかりしてた人だから、あんな風になって、ショックだった。」
と、父が言う。
「私だって、あんな母親の姿見せられて、ショックだよ!」
と言い返した。
実は、そんなにショックではない。
私は既に、父にも母にも、何の希望も期待ももっていないからだ。
歳をとって、なるようにしてなっただけ。
父は、いつまで母に自分のことを面倒見させる気だったんだろう。
何にもできないからと、何もしようとしないのは、おかしいとは思わないのか?

でも、
公の所にお願いすれば、ちゃんと手を貸してくれるんだということに、
ひどく安堵した。


『口角をあげて』
今、これが私の目標だ。
昔は、嫌なことがもっと多かった。
自分自身の性格に難ありだったからかもしれない。
だけど、そうじゃないことも多々あったと思う。
理不尽に貶されたり、虐められたりもした。
不機嫌な顔をしていれば、誰も寄ってこないと思って、
ずっと口角を下げて、『への字』の口をしていた。
でも、今は、いつも笑っていたいと思う。
たとえ、笑っていられないときでも。






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コタツをしまう

コタツを仕舞った。
いつもは梅雨が終わってから仕舞うのだが、
今年は早々主人が言い出した。

暑い。
毎日暑すぎる。

気温は猛暑!というわけではないのだが、湿気がすごい。
それだけで息苦しくなる。
と、いうわけで、コタツを仕舞うことになった。

うちのコタツは、主人と私の作業台になっていて、
天板からしてでっかくて、重い。
「コタツを仕舞う」といっても、
上にかかっているコタツ布団や上掛け、
下に敷いてある絨毯などを仕舞うだけだ。
それだけなのだが、
重くてでかくて丈夫な天板の上には、
ディスプレーやスキャナー、PS3などがのっていて、
更にペン立て、その他もろもろがのっている。
これを全部どかしてから、片付けるわけで・・・(T-T)

コーギー幸湖さんは、コタツの中で寝るのが好きだ。
寝ながら、絨毯をなめなめしてくれて、
まめに、というほどではないが、拭いてはいたが、
異様な幸湖さん臭さが(^◇^;)

しかし、今回は、幸湖さんは『変性性脊髄症』という病気のため、
自力で移動できなくなり、
コタツの中で寝ることができなくなった。
なので、コタツの中に敷いていた絨毯からは
幸湖なめなめ臭がしなくなった。

それでも、全部取っ払った後の洗濯が大変だ。
冬中敷きっぱなし掛けっぱなしだったので、
汚れが半端なく、
洗った水の汚れ具合を見ながら、何度か洗濯機をまわし、
このくらいでよかろう、
というところで、濯ぎに移行する。
そして、乾かない・・・
今日も朝から再び干してあります(^◇^;)
あまり天気が良くないんだよね。
あと、コタツ掛けと上掛けが残ってて・・

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